33 激励


 正座した状態で顔を右に向け左に向けたところでお祈りは終わったらしい。


 皆が立ち上がり始め……と思いきや、ファイエド含め半数弱はまだじっと座っている。両手を顔の前に掲げて何やら口の中で唱えている人もいる。この辺はやってもやらなくてもいいオプションなのだろうか。


 ぼんやりと場を眺めていると、


Excuseすみま meせん


と、声がかかった。イスラム風の白装束に身を包んだ男。


「はい」


「もしかして、シンのお父さんでは?」


「あ、あああ、ええ。はい、そうです」


 息子がいつもお世話になって……という英語が思い浮かばずにいる間に、祈り終えた男たちがうようよと集まってくる。慌てて腰を上げ、求められるままに握手を返した。


「大変なときですが、どうか気を確かに持って」


「素晴らしい息子さんですね」


「神のご加護を」


「みんなで祈っていますよ」


 口々にそう励まされ、面食らいながらも何とか「Thankありが youとう」と返した。モスクが一つのコミュニティの役割を果たしていることを改めて感じる。


 毎週こうして集まっていれば、大体見慣れた顔ぶれになることは想像に難くない。そこへ極東の島国からやってきた信哉は見た目からして珍しいだろうし、改宗した身となれば皆で応援しようという空気にもなるだろう。その温かさは素直にありがたい。


 お祈りを終えたファイエドが、その場に残っていた知り合いを紹介してくれた。バングラデシュ以外に、パキスタンやインドの人もいる。四人と話して四人ともがエルボンマート勤務だったのには苦笑がこぼれた。




 しばらく雑談をしてから車に戻ったが、奥さん勢がしびれを切らしているかと思いきや、その影が見当たらない。


 間もなく、女性用の扉から出てくる二人の姿が目に入った。だが、どうも様子がおかしい。サフィナに肩を抱かれた麻子が、ハンカチを顔に当ててうつむきながらよろよろとやってくる。何だ、具合でも悪くなったか?


「おい、どうした?」


「ちょっと感傷的になっちゃったのね」


と、サフィナも涙ぐんでいる。麻子はやっとといったていで声を絞り出した。


「皆さんがね、信……哉のため……祈っ……て……」


 もう言葉になっていない。私は肩をさすってやるのが精一杯だ。アメリカ人ならハグにキスだろうが、自分の習慣にないものは仕方がない。


 麻子は、私よりもサフィナになだめられて何とか落ち着いた。サフィナはちょうどモスクに来ていた同僚の車で職場に戻ると言い、ファイエドと我々で少し遅めの昼食を取ることになった。


「せっかくのアメリカですし、ハンバーガーなんてどうです?」


「あ、ああ、いいね」


 そう積極的に食べたい献立こんだてでもないが、まさかマクドナルドに連れて行かれるわけでもあるまい。麻子はもはや何でもいい、という顔。


「ここから十五分ぐらいです」


 またしてもオデッセイを追って走る。車中では、いつもの調子に戻った麻子が呟いた。


「モスクって、ああいう感じなのね」


「ああ、何だかイメージ違ったな」


「もっとなんか、天井が高かったりするのかと思った」


「まあ、そういうモスクももちろん、あるとこにはあるんだろうけど……んっ?」


「どしたの?」


「いや、今……そこに停まってたのがリサの車に見えた」


「あら」


 窓越しに見えた駐車場。美容院や携帯電話ショップなど、さまざまな個人経営の店舗が並ぶ小さなショッピングモールだ。


「モスクには?」


「いなかったわよ。まあ他にも小さい部屋がいくつかあって、多少人の行き来はあったけど……お祈りのときはみんなメインの部屋に集まった感じだったし、たったあれだけの人数だから、いれば見かけたはずだけど」


「うん……まあ見間違いかもな」


 ソラーラ第二世代のクーペ。逆輸入版であれば日本市場では稀少と言えるが、アメリカではそこまで珍しい車種ではない。ただ、この町では、白に限らずまだ他に見かけてはいなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る