13 サフィナ


 駐車場に出ると、リサは携帯で電話をかけ始める。ところが、話の内容がさっぱりわからない。会話が明らかに英語ではなかったからだ。何語なのかすら見当がつかなかった。


 リサは電話で話しながら、車に乗るようにと我々に身振りで示す。昨日空港から乗せてくれたときと同じ、カムリ・ソラーラ。クーペの白だ。ツードアだから、リサが助手席をぐっと前に押し出して隙間を作ってくれる。我々はそこから後部座席へと乗り込んだ。


「今の電話、お姉さん?」


「ええ」


「英語じゃなかったみたいだね」


「ああ、ベンガル語です。私たちバングラデシュの出身で……そういえば言ってませんでしたね。ごめんなさい」


「いや、それはかまわないけど……いつアメリカに?」


「大学からです。姉と義兄もね」


「ご両親は?」


「父は九年前に亡くなりました。……癌で」


「ああ、そりゃ気の毒に」


「母は……実は明日こっちに来ます」


「あ、そうなの?」


「普段はバングラデシュのダッカに住んでて、年に一度ぐらい、姉のところに孫の顔を見に来るんです」


「ということは、信哉も会ったのかな? お母さんに」


「ええ、二回会ってます。母だけじゃなくて、実はカナダでも、トロントとオタワに私たちのいとこが何人かいるんで親戚回りをしたんですよ。そのうちダッカにも行きたいねって言ってたんですけど……」


 車内の空気が重くなる。麻子が明るい声を作った。


You行け can goわよ、 with一緒 him


 ルームミラーの中で、リサの目が力なく微笑んだ。




 速度を落として住宅街に入ると、程なくして前方左手でガレージのシャッターが上がった。リサがリモコンをコンソールに戻し、ハンドルを切る。


「すっごい、お屋敷ね」


 私も駐在時代、同僚や得意先の自宅に招かれる度に目を丸くしたものだが、アメリカで一戸建てと言ったらこれぐらいのサイズは何でもない。


 ガレージの中にはすでに、だいぶ年季の入ったシルバーのオデッセイがまっていた。その隣にリサのソラーラが入る。車を降りると、正面のドアから女性が顔を出した。


「ハロー。ようこそお越しくださいました」


「ああ、ナイストゥーミーチュー」


「リサの姉のサフィナです。シンがこんなことになって……みんなショックで……」


「シンってショーンのことね」


 リサが補足する。


「ショーンとは呼ばないでって、最初にみんなに禁止令出したんです。そこはやっぱりねえ、私だけ特別でいたいじゃない?」


「I understandわかるわ


と麻子。


「さ、中へどうぞ」


 顔立ちはリサとよく似ている。美人姉妹なのは間違いない。リサのとがったところを丸めてぐっと大人にした感じか。身長は二人とも同じぐらいで、サフィナの方が少しふっくらとした体型だ。


 リサにならってガレージで靴を脱ぎ、サフィナの後について家に上がりながら、よそ行きの笑顔を残したまま麻子と視線を交わす。お互い言いたいことはわかった。


――イスラム教徒だよね、この人……。


 サフィナは、着ている服こそ洋風のセーターとロングスカートだが、頭にスカーフを巻いていた。いや、頭というよりは、髪全体と首を含め、真知子巻き風に顔周りを覆っている。イスラムの世界ではヒジャブと呼ぶのだったか。薄い布の内側でお団子型にわれているらしき後頭部の膨らみを何となく見つめた。


 バングラデシュ出身と聞いたとき、あの国はイスラムやらヒンドゥーやら、いろいろ混ざってるんじゃなかったかなと漠然と考えたが、これで少なくとも知るべき答えは与えられた。


「ジョティ!」


 サフィナが声をかけると、子供たちが次々と顔を出した。やたら飛び跳ねている男の子をたしなめるように、その肩をお姉ちゃんがぴしゃっと叩く。


「ハロー」


と、人懐っこい笑顔が我々の方を向いた。


「これが一番上のジョティ、十二歳。真ん中がローハン、九歳。ちっちゃいのがサイカ、もうすぐ四歳」


 サフィナが順に紹介すると、「ナイストゥーミーチュー」と長女のジョティが言った。我々が答えるが早いか、長男ローハンが「ナイストゥーミーチュー」と大声を張り上げて女性陣から一斉に非難を浴びる。照れ屋盛りのようだが元気は良さそうだ。


「私も実は、ここに居候中なんです」


とリサ。


「あ、そう。それはよかった、うん」


 こんなときに一人でいるのは精神的にこたえるだろうから、という意味を込めたつもりだが、事故関連の手続きや保険会社とのやりとりもあるだろうし、リサ一人で進めるよりはサフィナやその夫の目を通してくれた方が安心、という心理もあった。


 リサは決して馬鹿ではないし、世間知らずでもなさそうだ。ただ、思い込みが激しいというか、何かを強く信じたが最後、何をも恐れずに突き進んでしまいそうな危険な香りがある。誰かに陰で手綱を引いてほしいのが正直なところだ。あの信哉が彼女を御し切れているとは考えにくいから、大方尻に敷かれているのだろう。



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