11 リセット


 私は、出産や結婚以上に、婿養子になることに最も強く反対した。まずは詳しい話を聞く必要があったため、麻子と話し合った結果、相手の女性を挨拶に連れてくることだけは許した。


 かくして対面した嫁候補は何を恐れるでもなく、幸福を隠し切れないお気楽なムードで現れた。目の前に伸びるバラ色の道を微塵みじんも疑わず、楽観性としたたかさを全身からぷんぷん匂わせて。


 麻子が間に入り、信哉が珍しくどうしてもと食い下がったこともあって、こちらが折れることになるかもなと思い始めた頃。信哉は再び私の前に膝をついた。


 彼女が流産した。二人で話し合った結果、結婚と婿養子の件も白紙。別れてそれぞれの道を行く、と。私が人生で最も怒りに燃えた瞬間だった。


 ふざけるのも大概にしろ。結婚を何だと思ってるんだ。つい先日、本気だと言わなかったか。お前の本気とはこんな低レベルなものか。人生をナメるな。


 近所迷惑もかえりみずに怒鳴り散らした。信哉はただうつむいて膝を見つめていた。こいつはただ嵐が過ぎ去るのを待っているだけだと思うと、怒りが倍増した。私は目の前にあったティッシュの箱を叩き潰した。


 出て行け!


 叫んでも腹の中は静まらない。二度とうちの敷居をまたぐな、と言いかけたとき、「迷惑かけてすみませんでした」と、思いのほかはっきりした声で信哉は言った。


 自室へと引っ込んだ信哉は、二、三日のうちに黙々と準備を整え、家を出た。一人暮らしの友人の家に身を寄せていたのだと、後で長女から聞いた。


 それっきり、信哉は私の前に姿を現すことも、声を聞かせることも、メールを送ってくることもなかった。今日、あの病室でするまでは。


「ねえ、リサさんどう思う?」


 唐突に聞かれて面食らう。


「ん? ああ……うん」


「年は同じぐらいかしらねえ」


 三十になった信哉より二つ三つ上にも見えるし、下だと言われればそんな気もする。しっかりしていて頼りにはなるが、落ち着いた大人の女性という雰囲気ではない。むしろ若さゆえの負けん気を強く感じた。


「常識がないとは思わんが、結構なじゃじゃ馬かもな」


「男まさり?」


「うん。頭は悪くない」


「もしくは良すぎる」


「……かもな」


美香みかさんと全然違うタイプよね。あの人ほら、変にお行儀ばっかりよくて、本音が見えない感じだったじゃない」


 そういえばそんな名だった。息子のできちゃった結婚未遂は記憶に新しいが、私は相手の名前まではおぼえていなかった。外っつらばかりよくて、腹の底では何を考えているのかわからない娘。リサはあれとは一八〇度違い、思ったことはきっと口か顔に出る。息子の好みをはかりかねた。


「今度はどういう結婚だったんだかな」


「さっきの馴れ初め聞いた感じでは、普通に恋愛なんじゃない?」


「リサの方はな」


 麻子は反論しかけて口をつぐんだ。


「信哉は結婚すりゃこっちに残れるわけだろ」


 信哉が海外への憧れを示し始めたのは中学生の頃。高校時代には夏休みに一人でオーストラリアに行き、三週間の語学研修とホームステイにいたく感銘を受けて帰ってきた。大学は「国際」だの「異文化」だのと名付けられた新興の(私に言わせれば幾分浮ついた)学部しか受けなかった。


「そう思うのと本当にやるのは違うわよ」


「報告すらしてこないってのは、何かしら後ろめたいからじゃないのか? 例のときだって、結婚すりゃ仕事が保証されるって腹が何割かはあったはずだ。あいつにとって結婚てのは単なる手段なんだよ。でなきゃあんな簡単にひるがえすもんか」


 思い出すのも苦々しいが、今やあの騒動を抜きにして息子を語ることはできない。


「そっちはもう済んだことよ。それはそれ、これはこれ。リサさんには追い追い詳しい話聞いてみましょ」


 麻子が話を切り上げてくれて、内心ほっとする。実の息子が辛くも命を取りとめ意識不明な中、悪口ばかりを口にしたようでさすがに気が引けた。



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