09 馴れ初め


 病室に戻ると、何やら女同士の話に花が咲いている。


「あ、お帰り。今ね、め聞いてたとこ」


「へえ」


 呑気なものだと呆れるが、とがめても仕方がない。


「私、国籍はアメリカなんです。たまたま一時期カナダに住んでたときにショーンと……あ、ごめんなさい、私シニヤのことショーンって呼んでて」


「シンヤ」が言えずに「シニヤ」になっている。英語圏の人間には、nyやniの音を分けて発音することが難しいらしい。


「トロントのクラブで出会ったんだって」


 麻子の言葉にきょとんとなった私に、会話の内容を察したリサが補足する。


「踊るところね。DJがいて、おっきな音で音楽かけて、お酒飲んだり途中でショーがあったりして」


「ああ」


 何となくイメージは湧き、知った風にうなずいておく。


「つまり、別々に行ってて、その場で初めて会ったんだね?」


「そう。彼はランゲージ・エクスチェンジの一環で来てて」


「ランゲージ……何だって?」


「ランゲージ・エクスチェンジ。英語を学びたい日本人と、日本語とか日本文化に興味があるカナダ人が集まって、カフェでお茶飲みながらおしゃべりしたり、湖で遊んだりしながらお互いの言語を学ぶっていう」


「ほう」


 私が抱く「ワーホリ」のイメージにぴたりと当てはまった。それはズバリ、チャラチャラと遊んでばかりの軟派な若者ども、というネガティブなイメージでもあった。


「で、私は会社の仲間とその友達と、ガールズナイトな感じで。金曜日だったから」


 日本でいう女子会みたいなものだろう。


「なんか、あっちの連れの一人がお酒こぼしちゃったみたいで、ショーンが一生懸命いてたんです。お店の人が忙しくてつかまらないもんだから、自分でトイレからペーパータオルいっぱい持ってきて」


 リサの顔に微笑が浮かんだ。


「それが……気に入ったの?」


「そのときは、ああ、なんていい人なんだろうと思って、ちょっとしゃべってみたくなっただけなんですけど、声かけて目が合った瞬間にはもう恋してたかな。ショーンったら、すっごくピュアな目してて」


 そんな話を聞かされ、どんな顔で照れればいいのか。しかし、リサはのろけているというよりは、どこか寂しげな口調だった。恋に落ち、結婚までした相手が目の前で意識不明では無理もない。


「付き合い始めてそんなに経たないうちに、ショーンのビザが切れそうになって」


「ああ、一年までだったかな、ワーホリってのは」


「そう。ワーホリビザが切れると違法滞在になっちゃうから、その前に観光用の滞在許可に切り替えたんです。で、それが有効な半年の間にトロントで結婚して……」


 そこが随分急じゃないか、と口を挟みかけたのをリサの早口に遮られた。


「今度はアメリカのビザを申請しました。CR1っていう、米国民の配偶者専用のビザがあるんです。それが取れたのが去年で、その後すぐアメリカに引っ越したってわけ」


「あれ、家は? お姉さんちとは別?」


「ええ。アパートに二人で」


「なるほど」


「ショーンは当面の仕事として、フリーランスで通訳とか翻訳を始めたところだったんですけど、正規雇用で介護の仕事をしたいからって、そっちの情報も集めてました。日本で介護の専門学校に行ってたんでしょ?」


「ああ、そうだね。二年間」


 介護の学校と聞いて思い出すのは、息子の学歴難と就職難だ。


 高三のとき、予備校の模試ではMARCHレベルでB判定までこぎつけていた信哉だが、いざ受験となると滑りに滑り、中堅以下の私大でようやく引っかかった。もともと本番に弱い上、直前にインフルエンザにかかりもしたから、それはまあ仕方がないし、私自身も難関に落ちて妥協したクチだから偉そうなことは言えない。


 問題は四年次の就職活動。氷河期は去り、再び売り手市場に転じたと言われる年だった。にもかかわらず、学歴が弱かったか、本人に意志や覇気というものが欠けているせいか、内定を取りきれず卒業後はフリーターに留まった。いつもながらのあいつらしい展開に私は脱力を覚えた。


 ところが信哉はある日、来年から福祉の専門学校に通って介護福祉士を目指したいと言い出した。麻子はとうとうやりたいことが見つかったのねと応援ムードだったが、私はひとまず突っぱねた。大学の四年間は何だったんだ。働きたくないから勉強に逃げようとしてるだけじゃないのか。甘ったれるな。本気で生涯の仕事にする気があるのか。本気ならまず俺を説得してみろ、というつもりで畳みかけた。


 数日経ち、信哉はパソコンでプリントアウトしたらしき資料を私の前に広げた。少子高齢化に伴い、介護の人材がいかに不足しているか。私はそんなデータを期待していたわけではないのに、表やグラフを交えた統計情報まで。


 続いて信哉は、大学の四年間を無駄にしたわけではないことを彼なりに懸命に語った。クロスカルチャーコミュニケーション学科で学んだことはいつか生かしたいし、介護関連職は海外でも今後需要が高まるから外国で働くチャンスも出てくるかもしれない。介護の仕事は、現場も裏方も含めて、理屈じゃない部分で長く続けたい、極めていきたいと初めて思えた分野だ、と。


 相変わらず気概やら気迫といったものは伝わってこなかったが、少なくとも真面目に考えた結果であろうことは見て取れた。具体的にはどんな学校を考えてるんだ、と尋ねると、嬉しそうに顔をほころばせ、こういう理由でこことここを検討し、こういう理由でここに通いたい、と、これまたカラフルな印刷物をいそいそと広げた。


 期間は二年間。一年分の学費は通っていた私大と大差ない。信哉が在学している間に私は定年を迎える。全額は出さん。お前はいくら出せるんだ。信哉は、現時点で出せる分は自分で出すから残りは貸してほしいと言った。しかし、バイトばかりして勉強が身にならないのでは本末転倒だ。半分は我々が出すことにした。


 信哉は無事に卒業して資格を取った。二十七にしてようやく社会人かと我々も安堵しかけたが、リーマンショックの名残による新たな就職氷河期のせいか、「新卒」というステータスを失って久しかったからか、見事に就職が決まらなかった。そんな矢先にあいつが起こしたのが、だったわけだ。



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