08 信哉


 トイレはすぐに見つかり、一応小用を足した。手を拭いたペーパータオルをもてあそびながら、窓の外を眺める。いつの間にか日が沈んでいた。


 夕日の名残と、ぽつぽつとともり始めた街灯が照らし出す平らな町。病院の駐車場の向こうをハイウェイが横切り、その先にはしばらく緑が続く。その後にようやく少しまとまった数の光が見えるといった具合。とはいえ、車の行き来が絶えることはなく、交通量は意外に多そうだ。


 この町のどこで事故に遭ったのか知らないが、決して見通しの悪い道ではなかったのではないか。なぜうちの息子がこんな遠くのド田舎で交通事故に? そんな恨みぶしの一方ではしかし、不謹慎を承知で「あいつらしいな」とも思う。


 信哉は親の目から見ても何かと運のない人生を生きているように思われた。そういう星のもとに生まれついたのだと、父である私が断定するのはあまりにこくだろうか。


 遠足は雨。運動会はひょう。初めて買ってもらったファミコンソフトは欠陥品。従兄いとこたちと花火をすれば一人だけ火がかず、高校受験は人身事故、大学受験はインフルエンザ。まあ毎度志望上位校に落ちるのはそのせいだけではなかったかもしれないが。


 そんなとき、麻子は「あんたのせいじゃないんだから、気にしない、気にしない。きっと次こそうまくいくわよ」と励ますが、私は何でも運のせいにする大人にはなってほしくなかった。不運というのは、あるにはある。だからこそ、自分にできることを常に本気でやれと言い続けた。しかし、「打てば響く」という現象は、我が息子に限っては一向に起きてくれなかった。


 友達付き合いは普通にできているようで安心したが、喧嘩けんかになれば早々に身を引くか、相手の剣幕に驚いて泣き出すか。志穂とは年が離れているから、対等にやり合える相手が家の中にいないというハンデは如何いかんともしがたい。闘争心が必要な場面などないのだから、その部分が育たないのは自明の理ではある。


 何事にも強い興味を示さず、絵を描かせても、工作をさせても、球技をさせても、すべてがいまいち。幼稚園の頃から一人で長時間静かに座っていられるのが唯一の特技といえば特技だ。


 学校の成績は中の上。習い事は親が勧めれば、ピアノに書道、そろばんとひと通りやりはするが、特にどれが好きということもない。中学では茶道部、高校ではアマチュア無線部と英語部をかけもちし、部活でも生徒会でも文化祭でも目立った役職にくことなく、それでいていじめられるでもなく、平穏な学生生活を送っている風だった。


 親としてはありがたいことだ。ぱっとしないなどと文句を言う方がどうかしている。それは私自身にもわかっていた。気になってしまうのは、あいつが男の子だからでしかない。もっと早い時期に男親である私と暮らせていれば、もう少し違ったのではないかと。


 つい先ほど目にした息子の姿が脳裏に浮かぶ。半開きの目で一体何を思っているのだろう。いや、医学的に見れば何も思ってはいないことになる。素人なりに納得するには、眠っているようなものだとでも考えるしかない。


 あのSNSのメッセージで「危ない状態」とリサが表現したのはこれだったのだ。近いうちに急変する可能性は低いから、ある意味安定してはいる。とはいえ、紛れもなく重篤な状態であり、これがいつまで続くかもわからない。そういう種類の不気味なであることを、突然現れた嫁の立場からいきなり伝えるのははばかられて当然だ。



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