05 リサ


 シカゴでの乗り継ぎを経て、目的地ドークスビルの玄関口となるMaywettownメイウェットタウン Petersonピーターソン Regional地方 Airport空港に到着した。空港名がドークスビルでないのは、おそらく東京と成田みたいなものだろう。


「こちらが見つけますからご心配なく」とリサは言っていたが、我々もさして心配はしていない。信哉から親の写真ぐらいは見せられているだろうし、アーカンソーのこんな片田舎で日本人を見つけるのが難しいとは思えなかった。


 我々を乗せたエスカレーターが開放感あふれる吹き抜けをゆっくりと下っていく。陽光が射し込む明るいロビーに、出迎えらしき人々がたむろしていた。スーツ姿の男、家族連れに老夫婦。と、ここまでは白人だが、その向こうにジーパン姿でたたずむ若い男は中国人だろうか。こんなところで黄色人種を見かけることはやや意外だった。


「まあ、彼らはどこにでもいるからな」


 自分たちを棚に上げて呟いたそのとき、


「あれかしら」


 麻子の緊迫した耳打ち。


「え?」


 慌てて見回すが、それらしき女性は見当たらない。


「あ、やっぱりそうみたい」


 麻子の視線を追うと、右手から足早に近付いてくる人物がようやく視界に入った。大きな目が我々の姿を捉えている。しかし、その目が青くなく、髪も金色には程遠いことは遠目にも明らかだった。


 彼女は口元に微かな笑みを浮かべ、ためらいのない足取りでエスカレーターの下までやってきた。黒々とした長い髪をかき上げると、緩いウェーブが華やかに揺れる。オフィス着風の水色のブラウスが小麦色の肌によく映えた。


――リサ……。


 外見は想像を裏切ったが、何だか懐かしいような心地になる。存在を知ったのが昨日のことで、写真ですら見たことがなかったのに。


Mr. and Mrs. Murakami


 潤んだ瞳がこちらを向く。うっかり見入ってしまうほどに長い睫毛。


「あ、ああ、ハ、ハロー」


 用意してきた自己紹介はどこかへすっ飛んでしまった。そこへ、


「ハロー」


と私の後に続いた麻子は、案の定ひょこっと頭を下げる。


「おい、堂々としてろ」


 そういう私も、鼓動はおよそ堂々としていない。誰よりも落ち着いているのがこの嫁だった。


I'm私が Lisaリサです。. I soっと longedお会い toでき meetました you


 そう言うなり、彼女は麻子に抱きついた。「ハグ」という文化には全く馴染みのない麻子が、それでも意外と自然なハグを返す。……やるじゃないか。


 麻子から私の方へと向き直った彼女に、


Yeahああ、, we are happy to meetえて you嬉し, tooいよ


と返し、息子が病床にあるときに「ハッピー」はまずかったかなと内心舌打ちした矢先、細い腕が私の背に回された。ふわっと柑橘系の爽やかな香り。予想以上に華奢きゃしゃな体を受け止めて慌てたせいで、彼女の肩にしがみつくような格好になる。みっともないハグを、初対面の嫁は見て見ぬふり。私は照れ隠しついでに尋ねた。


「信哉の容態は?」


「昨日と変わりないです。意識はないまま」


 乗り継ぎのシカゴから電話を入れるつもりだったが、飛行機に飛び乗るのがやっとでそれどころではなかった。到着が二十分ほど遅れた上に、入国審査が長蛇の列。審査官の手際も悪く、加えて、次の搭乗口の遠いこと。これほどの「長距離」を走ったのは何年ぶりだったろう。


 容態が急変せずにいるのはありがたいが、意識のない状態がすでに三日続いていることになる。


「助かるのかね?」


「今は何とも……病院に行ってから、お医者さんも交えて詳しくお話ししましょう」


 リサは曇った表情を取り繕うように、


「受け取る荷物、ありますよね?」


「ああ、そうだ、スーツケースが二つ」


 滞在が長引くことを考えて、衣類は手当たり次第に詰めてきた。観光旅行のときとは違い、なるべくコンパクトに、などと考える余裕はなかった。


 到着エリアから出発エリアが見通せる小さな空港。預けた荷物の受け取りは通常、降りてきた客しか入れないエリアになっているはずだが、ここでは出迎えの者と合流した後に受け取る形だ。ターンテーブルは見たところ二機のみ。荷物はまだ出てきていない。


 リサの横顔をそっと盗み見る。褐色の肌の人種だが、日本人にもいそうな「色黒」のレベル。そういえば、名字は何だったろう。中東、いやインド系か。もしかしたらマレーシアとか、あちらの方かもしれない。英語には特に強いアクセントは感じられなかった。


 リサは携帯でメールを打っているらしい。姉の家に泊まらないかと申し出てくれたぐらいだから、我々の到着を報告しているのかもしれない。画面を見つめるリサの小鼻に何か付いている、いや、ホクロかなと数秒見つめ、付いているのではなく着けているのだと気付いた。直径二ミリほどの鼻ピアス。ぱっちりとした目がこちらを向く。


「お疲れでしょう、飛行機では眠れましたか」


「いや、あまり眠れはしなかったが、大丈夫」


 機内どころか昨晩も寝ていないが、We are fine夫、, thankありが youとう、と、麻子も慣れぬ英語で頑張っている。


「アメリカは初めてでしたね?」


 問われた麻子が


「イエス」


と答え、Only行ったこと Guamあるのは, Iグアム wentだけ、とたどたどしく付け足した。


「ああ、そうでした。娘さんご一家と、ですよね」


 信哉からそういう話を聞いているのか。まあ、奥さんなのだから当然といえば当然だ。


「あなたはオハイオに三年間、お仕事で」


「ああ、その通り。大昔だけどね」


 私は四十代の初めにアメリカ駐在を経験していた。純粋に仕事として見れば、それなりに誇らしい思い出だ。一方で、これが家族に及ぼした影響を思うと、苦みを感じずにはいられない。


 当初は妻子を連れていくつもりでいた。が、現実はそうはならなかった。広大な海を隔てた三年間の単身赴任。その最中さなかに生まれた長男は、三十年の時を経て今、命の危機に直面している。


 スーツケースが出てくる頃には夕方六時半を過ぎていた。あんなに長いフライトだったのに、時計だけ見れば二時間ほどしか経っていない。移動時間と時差がほとんど変わらないせいだ。「遠い所へ来た」という実感が喜怒哀楽のないため息になり、ドークスビルの黄昏たそがれに溶けていく。



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