03 渡米


 そこからは怒涛どとうの数時間。旅行会社は閉まっている時間だ。リサが書いてくれた情報を頼りに航空会社のウェブサイトで調べると、明日(といっても、もう今日だが)の夕方の便がまだ予約可能だった。


 麻子にパソコンの操作を任せ、二人で指差し確認しながら何とか予約を済ませた。パスポートの有効期限が切れてでもいればアウトだったが、幸い六年前、私の定年退職記念のバリ島旅行のときに二人とも更新していた。アメリカに入国するための渡航証「ESTAエスタ」もリサの指示通りにオンラインで取得する。


 麻子が志穂に電話すると言って別室へ向かい、私はリサを再び呼び出した。彼女は我々のフライト情報を聞き、安堵の声を漏らす。


「よかった、思ったより早く来られそうですね」


「ああ」


「間に合うといいが」と言いかけて縁起の悪さに身震いし、「早く回復してくれるといいな」と言い換えた。


「今日明日に急変することはなさそうですから、落ち着いてくださいね。事故に遭ったのは一昨日おとといの夜なんです。彼が自転車で走ってたところにトラックが突っ込んで……相手は酒気帯び運転でした」


 ありがちな話だ。我が子がその被害者でさえなければ。


「連絡がついてよかった。息子さんの持ち物からお宅の電話番号やメールアドレスが見つからなくて……」


「まあ、そうだろうね」


 かけもしない実家の電話番号を携帯に登録はすまい。メールだって我々が知っている信哉のアドレスはとっくに不通になっている。


「奥様と娘さんにもメッセージ送ったんですけど、反応がなくて困ってたんです」


 知らない外国人の友達リクエストは早々に削除し、無用な機能は見ない主義の二人だ。大穴だった私の参入が僥倖ぎょうこうをもたらしたことになる。


「あの……結婚したこと、黙っててごめんなさい」


 先ほどの通話で強気に出すぎたと反省したのか、リサは殊勝な態度を見せた。


「その話は後でゆっくり聞こう」


「子供は?」


 いつの間にか戻っていた麻子からもっともな質問。信哉との間に子供はいるのか、と尋ねると、いません、との返事。なるほど、「できちゃったから」ではなかったか。


 私はリサにホテルの手配を頼んだ。支払いは後でするからとりあえず一週間分、と。右も左もわからない土地だ。今から調べていたら飛行機に間に合わない。リサは「姉の家なら広いから十分泊まれる」と言ってくれたが、それは丁重に断った。


 通話を切って振り向くと、麻子が首を横に振る。


「志穂も知らなかった」


「そうか」


「途中、ビザの延長か何かで戸籍謄本の取り寄せ手伝ったりはしたみたいだけど」


 信哉がカナダに旅立ったことを我々に知らせてきたのは、信哉の姉である志穂だった。信哉が何の言い残しも書き置きもなく我が家を出て行ってから三ヶ月ほど経った頃。成田空港から一方的にメールをよこしてきたという。


 ワーキングホリデーで一年カナダに行く、三十分後にトロントに飛ぶ、とだけ。志穂は勤めに出ていたから、メールに気付いたときには信哉はすでに圏外。


 その後、滞在が延びたことは志穂がネットの書き込みを見て知らせてくれていたが、結婚したことは初耳だったようだ。麻子はSNSで信哉と「友達」になっていないため書き込みを見られない。




 寝る間もなく荷造りをし、朝には各所に連絡を入れた。十時過ぎにタクシーに乗り、十一時には成田空港行きのバスに乗車。一時過ぎに空港着。フライトの出発は四時過ぎ。やればできるもんだな、と軽口を叩いてみると、麻子にも何とか弱々しい笑顔が浮かんだ。


 会話が途切れると、良からぬ結末を思い描かぬよう努めて希望を保たねばならなかった。つい何度も携帯に目をやる。リサには我々の携帯番号を知らせておいたから何かあれば連絡が来るはずだが、飛行機が飛んでしまえば電波は届かない。乗り継ぎを含め、計十六時間弱。己の悲観と闘い続けるには少々長すぎる時間だ。


――何をやってるんだお前は……。


 肩をすぼめてうつむいていたの愚息を、私はひたすらなじり続けることで暇を埋めた。



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