第五話③

 断食三日目、へろへろになりながらも我慢したその夜、楓香がいない時間を狙って下着のまま体重計に乗った。なんとなく目をつむっておき、計測が終了したと同時に開く。どうやら一キロの減量に成功していた。

「うーん、あんなに我慢したのに? ダイエットってやっぱり難しいなぁ……」

 減ったことへの喜びはあれど、すぐにテンションは降下していく。月歩は弛む腹をつねった。中学の頃、柔道部に所属していた際はとても激しい運動をしていた。顧問が厳しい人だったのでサボることはできなかった。また体重も維持しなくてはならず、月歩は重量級だったこともあって食事量が多かった。トレーニングすることと食べることが同等なので、ただひたすら減量するのは難しいことのように思える。

「めんどくさーい……」

 もう諦めてしまおうか。しかし、すぐに楓香の煽るようなニヤけ面を思い出した。

『ほーらね、だから言ったでしょ。できるわけないって』

 そうやって茶化しながら言うのだろう。月歩は体重計から下りて、鼻息を飛ばした。

「いいや、ダイエット続行、断食続行! はい決まり!」

 すると、抗議するかのように胃腸が弱々しく食べ物を欲した。

「はぁ……しょうがないな……」

 腹がかわいそうになったので、仕方なくコンビニで購入したインスタントの春雨スープを食べることにした。湯を沸かして注いで、春雨をふやかしていく。

「んん~、ひっさしぶりのこの添加物おいしい。やっぱ担々麺に限るわ~」

 さらっとした顆粒スープと物足りない春雨の量でも、久しぶりの濃い味付けに月歩はとても満足した。あっという間になくなっていく。まだ食べたいという欲望が湧くが、これだけしか買ってないので自然と食欲を抑えることに成功した。

「うん、かなりいいんじゃない? 私だってね、やればできるのよ」

 不敵に微笑んでいると、玄関の鍵がガチャガチャと鳴って楓香が帰ってきた。

「ただいま~」

「おかえりー……って、またあんたはポテチ買ってきて! 深夜なのに!」

 バイト先からそのままコンビニでお菓子を買ったのだろう手に持ったままで現れた楓香に、月歩は呆れのため息と嘲笑を投げつけた。

「明日、ニキビできても知らないからね」

 そう上から目線で言うと、楓香はなんだか不満そうにふてくされた。

「あんた、顎に赤ニキビできてるけど」

 楓香の指摘に、月歩は慌てて顎を手で隠した。対し、楓香はまるでいびりたがりの小姑のごとく月歩の顔を覗き込んで言い返してくる。

「んー? おやおやぁ? おでこにもあるなぁ。人のこと言う前に自分のことなんとかしたら? あっはっは」

 月歩は慌てて洗面所の鏡を見つめた。自分でも気が付かないうちに、肌荒れが進行している。いつもはじっくりと自分の顔を眺めることもなく、適当に安い化粧水と乳液を使ってケアしており、こういうことはたびたびあるのだが改善しようという気はしなかった。だが、楓香に改めて言われると恥ずかしくなってしまい、どうにか対処しようと考える。

「ふ、楓香ぁ~、ニキビの薬貸して!」

「はいはい」

 楓香はテレビ脇に置いていた小さな救急箱からニキビケア用のクリームを出して放り投げてきた。慌ててキャッチし、患部に塗りたくる。

 ──おかしいな……ここのところ、全然お菓子食べてないのに。年のせいか?

 とは言え、まだ二十歳になったばかりである。月歩はまじまじと自分の顔を見つめながら思案したが、原因が分からないのでずっと首をかしげるしかなかった。


 そんなハプニングも過ぎ、肌荒れは進行しているものの体重は毎日数グラムほど落ちていった。週末は好きなカップスープを飲むという日にしており、あとの平日はプロテイン入りのシリアルバーやゼリーだけで補えるほど食欲は抑えられている。何も食べず、水だけの日もあった。我ながらよく続くものだと感心してしまう。見た目はあまり変わらないのだが。

 そんなある日、楓香がいない講義の時間、他の友だちと一緒に構内のカフェでランチに誘われた。

「月歩とご飯食べるの、なんか久しぶりなんだけどー。最近、付き合い悪いじゃん、どうしたの?」

 ボーイッシュなスタイルがよく似合う片倉かたくら莉音りおんがドライカレープレートをおいしそうに食べながら言った。

「そうそう。最近、あんまり顔出さないじゃん? 単純に時間合わないだけー? うちら、確かにバイトメインで動いてるし、真面目に学校来てないしねぇ」

 ふんわりとエアリーなセミロングがかわいらしい水野みずの咲良さくらがエビフライをかじる。どちらもおいしそうなものを食べており、カロリーも高い。一方で月歩はチキンサラダと豆のスープのみだった。これに莉音と咲良は冷やかすように笑う。

「月歩、それだけでいいの? お腹すかない?」

 その瞬間、すくっていた豆をスープの中に落とす。

「なんか変?」

「いや、変っていうか、珍しいなぁって思って。ね?」

 莉音が咲良に同意を求める。頷く咲良はエビフライを見せびらかしてきた。

「いる? 好きでしょ、エビフライ」

「いっ……らない」

 いる、と言いかけて軌道修正したが、それがどうやら不自然だったらしく二人はキョトンとした目で月歩を見た。なんだか場の空気がぎこちなくなったので、月歩は苦笑いしながら話題を変えた。

「それよりさぁ、二人ともどうしてそんなに細いの? ジムとか行ってるの?」

 よく見れば莉音も咲良もオーバーサイズの服装がとてもよく似合う細身だ。流行りのゆるっとしたパーカーを着た莉音は笑いながら「ないない」と手を振って笑い飛ばした。

「行くわけないじゃん。めんどくさい。それにそんな金あったらデート代に使うし。彼氏作るのも大変なんだからねぇ? そうだ。今度カラオケ行こうよ。男探してくるからさ」

「あ、それいい。わたしももういい加減、彼氏ほしいって思ってたとこ」

 咲良が話に乗る。しかし、月歩はその話題には乗れずにチキンサラダを頬張った。

「て言うか、莉音ちゃん。この前付き合った彼氏はー?」

「は? あんなやつ、彼氏じゃないし」

「あー、またフッたんだ! んもう、理想高すぎなー。ところで月歩ちゃんはどうなの? マッチングアプリで知り合った人とデートしたんでしょ?」

 咲良が訊いた。すると莉音も前のめりになって食いついてくる。

「そうそう、その話が聞きたかったの! どうなった? イケメンだったんでしょ?」

 月歩はあの悪夢みたいな時間を思い出し、鼻息を飛ばすと低い声で短く答えた。

「最低なやつだったからフッた」

「えー! マジかぁ!」

 すかさず莉音が盛大に天井を仰ぎ、咲良は取り繕うように笑った。

「どんな風に最低だったの?」

 莉音が訊く。月歩はスプーンをトレーの上に置いた。

「ごちそうさま」

「え? もういいの?」

「うん。食欲なくて」

「えー!? うっそ、信じらんない。あの白飯何杯でもいけちゃう月歩ちゃんが? ちょっとちょっと、しばらく見ないうちにどうしちゃったのよー」

 今度は咲良が大げさに仰け反って驚く。そんな彼女に莉音が「おい、そりゃさすがに語弊があるぞ」とツッコミを入れる。そんな二人を尻目に、月歩はランチ代だけをテーブルに置いた。

「ごめん、レポート忘れてたんだった。帰るね」

 そう逃げるように言って席を立つ。二人が引き止める間もなくその場を後にしたが、頭の中は真っ白だった。

 ──思わず逃げてしまった……。

 カフェから離れたベンチまで行く。たった数歩歩いただけなのに、なぜだか血の巡りが早い。それはおそらく、あの二人の会話に苛立っていたせいでもあるだろう。普段なら笑い飛ばしているはずなのに、今日はなぜか莉音と咲良の言動が鼻につく。思い出すだけでむかっ腹が立ち、脳内に残る二人の笑い声に気分が悪くなってくる。

「嫌味かよ。私が太ってるの分かっててあんな風に言うんだから。マジむかつく」

 こっちはもう二週間ほど食事を我慢しているのに、ちっとも痩せない。体重が落ちたとしてもたかが数キロで、見た目もまったく変わらない。それなのにあの二人は何もしなくても、細くてかわいいし、すぐに彼氏を作って遊んでは捨てて捨てられてを繰り返している。比べると余計に惨めになっていき、ますます卑屈な考えが広がった。

「はぁ……痩せなきゃ」

 歯を食いしばって誓い、月歩は家路へと向かった。

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