第五話②
翌日、残暑が残る九月の夜。近所の小さなファミリーレストランでアルバイトを終えた後、吸い寄せられるようにしてコンビニへ入った。おにぎりと冷やしラーメンを手に取るも、レジの列に並んでいる最中に躊躇ってしまう。爽やかな笑顔で「思ったよりもデブだね」と悪気なく言われたことを思い出し、レジから離れて冷やしラーメンを棚に戻し、おにぎり一つだけを手にとったままレジに並んだ。
やる気のない中年男性店員がバーコードを読み取り、あくびをする。この男も実は月歩のことを「デブ」だと思っているのかもしれない。そんな疑心暗鬼に駆られてしまい、代金を払ったあとは逃げるように学生寮まで走った。
昔から活発で、男勝りな面がある。兄との喧嘩に勝つため培ってきた勝ち気な性格であり、クラスの男子をいなしてきた。それも中学に上がれば柔道部へスカウトされ、物理的に強くなっていったもので、月歩に「デブ」などと言う男子はいなかった。もしくは、陰で言われていたのかもしれないが面と向かって言われたことは一度もない。高校に入ってからは、かねてより興味があった漫画研究会に所属し、中学時代の規律や克己心は壊滅する。怠惰で無為な生活こそ我が人生と称する楓香に出会い、意気投合したことから、ますます自堕落な生活に身をやつすようになったわけである。
「やっぱりダイエットするか……」
月歩は部屋でおにぎりと睨み合いながら呟いた。なんとなく、このままではいけないと感じる。ちなみに、楓香も今はアルバイト先の「中華料理店小枝」へ行っており、話し相手はいない。
月歩はそろそろと洗面所へ向かった。鏡に自分の姿を映す。腹回りがふっくらしている。太腿もパンパンで、二の腕を振るととても柔らかにプルプル弛む。
「プリンかよ……まぁ確かに、中学の時に比べたら筋力も落ちたし……実家出てから不摂生しまくりだし……うぅぅーん」
唸っていると、腹が「ぐぅぅぅぅ」と唸り声をあげた。夕方、バイト先でまかないを食べたばかりなのに空腹を訴えている。そんなかわいそうな腹を、月歩は「えいや!」と叱咤するように叩いた。鏡に映る自分は、腹鼓を打つタヌキのようだった。
「さらば、愛しきハイカロリー……」
そう呟いていると、玄関から「ただいまー」と気が抜けた声がした。あたふたしているうちに、洗面所のドアが開けられる。楓香が不審げに見ていた。
「何やってんの、月歩」
「えっ!? いや、なんでも……」
「あっそ。ねぇ、ポテチ買ってきたから食べようよ。明日の授業、三限からだし、アニメ全話フルマラソン付き合って」
人がダイエットを決めた時を狙っているかのごとく、さっそく刺客が入る。ポテトチップスは確かに大好物だが、ハイカロリーであることは調べなくても分かりきっていた。
しかし楓香は居間の中央のミニテーブルにあるおにぎりを見て、すべてを察した。
「えー? マジでダイエットするのぉ?」
「するよ! もう決めたの! だから残念だけど、ポテチもアニメも無理です!」
両腕で大きくバツ印を作ると、楓香は「ぶう」とふくれっ面になった。
「そっかー、しょうがない。んじゃ、あたしだけ堪能しよう」
「そこは『月歩のためにあたしも我慢するよ!』って言ってくれないのね!?」
「はぁ? 言うわけないじゃん。あたしには関係ないもん」
楓香はピシャリと冷たく言い放った。そんな彼女に月歩はすがりついてむせび泣いた。
「この人でなしぃ!」
「えぇい、やかましい! ま、気楽に頑張んなよ。ほどほどにね」
そう言って、楓香は着ていたパーカーを脱ぎ捨て、Tシャツとショーツだけになってポテトチップスの袋を開けた。バリッと幸福感漂ういい音がし、途端にコンソメ風味の香りが舞い上がる。月歩はむくれて着替えをひっつかむと風呂場に逃げ込んだ。
ダイエットするには適度な運動と低カロリーな食事がマストだが、そのどちらも考えるだけで頭がパンクしてしまう。運動はしたくないし、カロリーチェックしながら食材を選ぶのも面倒。高額なダイエット食品を買うお金はもちろんない。でも簡単に短期間で痩せたい。そんなズボラな月歩が選んだのは食事制限だった。
「まぁ、これなら簡単に何キロか落とせるでしょ」
大好きな炭水化物と揚げ物から目を背け、かと言って他のもので代用して食べるのは嫌だ。食べるという行為だけで我慢している大好物たちのことを考えてしまい、代用品の不味さに嫌気が差してしまう。それは最初のダイエットから学んでいた。
──谷村月歩、二十歳。もう自分の操縦方法は分かっている!
月歩は狭い部屋の中でひとり、闘志を燃やした。また、楓香が食事する時間帯を避けて近所のネットカフェでひたすら漫画を読むことにした。つい持ち込みそうになるコーラも我慢して引きこもる。
しかし一時間経過した後、月歩は天井を仰いで嘆いた。
「……お腹すいた」
持ち込んだミネラルウォーターだけじゃ、そのうち体力も限界になる。月歩はパソコンを起動させ、インターネットを開いた。「断食」「食事」をキーワードに検索をかける。
「……へぇ、なるほど。水とかお茶だけでも自然と体が受け入れちゃうんだ。不思議ー」
固形物を食べなければ脳が食事を欲することがなくなるらしいと、そのページには書かれていた。月歩は真面目にうんうん頷いてページを閉じた。
「よし、それじゃあお腹くん、水だけで我慢しておくれ。デトックスデトックス!」
自分の腹を撫で回していると、胃腸が不服そうに「ぐう」と何かを訴えていたが構わず漫画の続きを読み始めた。幸い、バイトも土曜日までシフトが入ってないので授業に出て家に帰るか、近所のネットカフェに入り浸るかのどちらかで三日間の断食を敢行した。
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