第四話③
「おぉ、懐かしいなぁ」
思わず声に出して言うと、真心は「うん」と頷いた。高校時代、駅から降りてすぐにある公園なので、同じ学校の制服や中学生がたむろしていた懐かしの場所である。遊具がなくベンチと花壇、時計台しかない。
倫明はベンチに座って前かがみになった。頭と体が重たい。酒は強い方ではないが、弱くもない。しかし最近、なんとなく体質が変わったことを実感し無理な飲酒はしないようにしていたが、懐かしい顔ぶれに気が緩んだのか、はたまた料理をろくに口にしなかったせいか、悪い酔い方をしていると自覚した。
「て言うか、なんだよお前のその格好。年相応の格好しろよな。サルエルパンツと、なんだかよく分からんのを着て……」
「サルエルじゃない。シャルワール」
冷やかしの言葉を即座に訂正される。その食い気味な返答に、倫明は「おう」とたじろいだ。確かに昔からファッションに強いこだわりを持っていた真心だが、しばらく見ないうちにそのこだわりに磨きがかかったようだ。もしくは今日、このスタイルを散々いじられて拗ねているのかもしれない。似合っているのでとやかくは言わないでおこう。話を変えてみる。
「ここでよくサボったよなぁ。部活しんどくて、走り込みの時によく来たんだよ」
「あぁ。お前のサボりによく付き合ってた」
真心はしみじみ言った。当時のことを思い出し、倫明は声を上げて笑った。
「そうそう、よく呼び出してた。お前んち、すげー近いからさ、ゲーム持ってきて遊んでたよな。懐かしい」
携帯ゲーム機を動かす仕草をしておどけると、真心も思い出したのか天を仰いで唸る。
「それで、先輩にたっぷり叱られたんだよな。なぜか俺まで目をつけられて怖かった」
「あぁ。〝鉄血のラガーマン、根岸先輩〟な。て言うか、その見た目で何言ってんだよ。どっちかって言えば、先輩の方がお前のこと恐れてたぞ」
「まさか。あの目は完全に仕留める目だった」
「しばらく睨み合ってたよな。あー、今あの時のことすげー思い出した。懐かしいなぁ」
久しぶりに腹を抱えて笑った。なぜか無性に笑えてくるので不思議だ。すると、真心は平坦なトーンで軽口を叩いた。
「でもまぁ、お前があとで俺に土下座して謝ってきたのは見ものだった。あれで飯三杯は食える」
「はぁ? 俺、そんなことしたっけ?」
「した」
「覚えてねぇ!」
思わず絶叫すると、真心はニヤリと笑った。
「お前は義理堅い男だからな。俺は信じてたよ」
「なんだよ、その顔。気持ち悪っ」
わざとらしく仰け反ってやると、真心は片眉を上げて不満をあらわにした。
「口の悪さは相変わらずだな。それをうちのばあちゃんに叱られたのも忘れたか」
「お前のばあちゃん……いや、覚えてる。それは覚えてる。そうそう、だからその次の日に真心に土下座したんだ。やべぇ、思い出してしまった」
当時の場面が断片的に頭の中をよぎり、倫明は頭を抱えた。根岸先輩の悪口を冗談めかして言っていると、突然諌められたのだ。『あんただけが面白いのは、まったくつまらない』と、きっぱり言われ、心を入れ替えたのである。単純に「つまらない」という言葉に傷ついただけかもしれないが。
「──なぁ、平井。指輪はどうした」
昔話も落ち着いた時、真心が静かに口を開いた。倫明は指の隙間から目を覗かせた。水を打ったように体が冷たくなる。
「昨日はつけてただろ。結婚したんだなーと思ったんだけど、違ったのか」
こちらの動揺に気づいていないかのように、なおも真心は淡々と続ける。あの一瞬の間、彼は倫明の左手薬指を確認しており、妻がいることまで把握しているのだから。そして、今日はあえて外して出かけたことも。誰にも悟られず、黙っていようと決めていたことまでが白日にさらされた気分になり、倫明は目をそらした。
「……結婚した」
渋々白状する。
「そうか。めでたいな」
「あぁ。でも、もう終わったんだ」
話すつもりのなかったことが勝手に口から飛び出していく。しかし、真心ならとくに驚くこともなく静かに聞いてくれそうな気がする。昔からとにかく口数が少なく周囲から誤解され、女子からは敬遠されがちな男だが根は誰よりも優しいことは誰もが知っている。案の定、真心は静かに横に座っており、先を促すこともせず追求もしない。倫明はだらしなく首を落とし、片手で額を抑えてゆっくりと話した。
「去年、妻が死んだ。がんだった。結婚する前に病気が分かって、急いで式を挙げたんだ。だから、あいつらにもおまえにも話す暇がなくて……」
その瞬間、小春の最期の顔を思い出した。冷たくなっていく体を抱きしめても、反応しない。すすり泣く音の中、ただただ呆然とし「ごめん」とつぶやく自分──思い出すと急激に胃の中がぐるぐると嫌な暴れ方をし、声が詰まる。倫明は唾を飲み、小声で詫びた。
「ごめんな、報告が遅れて」
「いや……そうか。大変だったな」
真心はため息交じりに言った。
「そんな状況で誘って悪かったな。おまえ、ほとんど食べないし、やっぱり痩せたし。妙だとは思ったんだ」
「あははっ、みんなに言われたもんなぁ……まぁ正直な話、食い物なんか喉を通らないよ。これでもマシになった方なんだけどな」
「……そうか」
真心は声を落とした。表情や感情がなかなか読み取りづらいが心配そうなのは伝わる。そんな彼に気遣われるのが申し訳なくなり、倫明は眉間にしわを寄せて無理やり笑顔を作ってみせた。
「もう過ぎたことだから大丈夫。あの場では白けるのが嫌だったから言えなかったんだ」
「だろうな。お前はそういうやつだ」
真心は小さくため息をついた。
「悪いな、送ってもらって迷惑かけた上にこんな話して」
「悪いもんか。友達だろ。気にするな」
真っ直ぐに気恥ずかしいセリフをさらりと言われ、倫明は思わず顔を上げた。照れ隠しでにやけてしまうも、残っていた酔いのせいか彼の言葉が胸に響いてつらい。堪らず息を吸いこんで、空を見上げる。
「いやー、しんどいなぁ……つらすぎる。おい、真心。おまえのせいで泣けるじゃねぇかよ、バカ野郎」
悪態をつくも、真心は何も言わず笑いもしない。だから、代わりに大声で笑ってみせると噎せ返った。しばらく咳き込んでいると、真心が何度か背中をさすってくれたのでさらに気が滅入ってきた。
「はぁ……だるいな」
思わず高校時代の口癖が飛び出すと、真心が「あー、だな」と大して感情を込めずに同調した。
「疲れるよ、本当に。毎日生きてくだけで疲れる。昔はそんなこと考えなかったのにさ」
「そうだな」
「そりゃ、いっそ俺も小春のとこに逝けたらなって考えることもあったけど、それじゃダメだろ。なんとか立ち直ったんだよ、俺は。うん。もう大丈夫」
出てくる言葉のネガティブさに自分でも驚き、なんとか軌道修正をはかるも無駄だった。真心の静かな視線を感じる。チラリと見やれば、彼は真剣な目でじっと倫明を見据えていた。その目から逃げるように、ベンチから立ち上がる。まだふらつきはするが、自力で歩けるくらいには酔いも冷めてきた。
「ありがとな、真心。久しぶりに楽しかった」
「おい、平井」
「大丈夫、大丈夫。また連絡するよ。その時は飲み直そうな。奥さんによろしく」
振り返って手を振ると、入り口のフェンスにぶつかった。全然大丈夫じゃない。そんな自分がカッコ悪く思え、苦笑しながらもう一度手を振って道路に出た。実家までの道に、真心の店があるのでわざと遠回りして深い夜の中へ姿を消す。真心は後を追いかけてはこなかった。
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