第四話 プレゼント〜たっぷり夏野菜の冷やしおでん〜
第四話①
次の写真は金沢の茶屋街で、江戸時代の風情が残る景色をバックに小春の小柄な全身が映っている。淡い黄色のカーディガンをなびかせており、サーモンピンクのフレアスカートがたおやかに揺れる。小春はおどけたような顔で振り返っており、今にでも笑い声が聴こえてきそうだ。甘味が好きな彼女は和風カフェの抹茶とわらび餅に舌鼓を打ち、満悦な表情を浮かべている。次の写真も、その次の写真も。
広島焼きに驚く小春、テーマパークではしゃぎ飛び上がる小春、沖縄の海でわざとらしく物憂げにする小春、大きなアクアリウムを背にピースする小春……楽しかった思い出が尽きない。しかし、ふと一枚の写真を開いたと同時に指が止まった。不自然なウィッグを抑えてはにかむ小春の写真は近所の公園で撮ったもの。オープンしたばかりのベーカリーショップのクロワッサンを片手に笑顔を浮かべているが、やはりどことなく顔色が悪い。ふっくらしていた頬も手もこけ、指先は絆創膏をいくつも貼っている。
小春の病気が発覚したのは、プロポーズする一ヶ月前のことだった。余命一年と宣告され、すぐに籍を入れて挙式した。しかし、彼女の病状は悪く、結婚生活はほとんど病室にこもりきり。そんな幸せとは言い難い結婚生活は一年半で幕を閉じた。
夏真っ盛りの駅前は、熱したアスファルトが鉄板のようであり、靴の中が蒸れて鬱陶しい。メッシュ素材のスニーカーだが、暑いものは暑い。
倫明は実家へ帰省すべく汗だくでキャリーケースを引いていた。大学進学と同時に東京へ上京した後は、正月と盆しか帰って来なかった田舎だが、帰省する度に都会的な外観を取り入れて洗練されていた。それでも変わらないのは、実家までの道のりにある商店街だ。もう七十年以上も営業している精肉店や、古着ショップ、ラーメン店、はたまた全国チェーンのファストフード店まで多種多様あり、倫明が高校時代までよく通っていたスズキベーカリーも残っている。甘いザラメが振られた食パンの耳がおいしく、登下校の際は必ず寄り道するのだった。店主は元気だろうか。人好きのする屈託ない笑顔を思い出し、なんとなく足を向ける。タオルで汗を拭きながら、店の扉を開けた。内装は十七年前と変わらず、ところどころ壁紙が黄ばんでおり、褪せたテーブルクロスは赤と白のギンガムチェック。狭い店内の真ん中に焼き立てのパンが並んでおり、お手製の値札がついている。
倫明はパン棚の横にあるトレーとトングを取った。
「いらっしゃいませー」
そう声をかけるのは、高校生くらいの女性アルバイトだった。「どうも」と気恥ずかしく挨拶し、少しかがみながらパンを選んだ。身長百八○センチメートル近くある倫明を、女性アルバイトが物珍しく見つめている。その視線を感じるのも慣れていて、気に留めることなく食パンの耳が詰まった袋とパックの牛乳をトレーに乗せてレジへ運ぶ。
「二百七十円でございます」
アルバイトが金額を告げる。倫明はそっと彼女の背後を見た。レジの向こう側はパン工房になっており、顔なじみの店主がいるはずだ。それに気が付いたか、彼女も背後を振り返るので倫明は慌てて言った。
「ここ、僕が高校生の頃によく来てたんですよ」
その言葉に、女性アルバイトはパッと顔を明るくさせた。
「あ、そうなんですね! おじいちゃん、いま腰を痛めちゃってて、お休みなんです」
申し訳なさそうに言われ、倫明は苦笑してパンを受け取った。
「そうですか……お大事にって伝えてください」
すると、彼女は元気よく「はい!」と返事し、笑顔で見送ってくれた。店主の孫だろうか。とても快活で感じのいい少女だ。店主に会えなかったのは残念だったが、またすぐに顔が見られるだろうと思い、気を取り直す。
パンの袋を開け、キャリーケースを引っ張りながら商店街の中でパンの耳をかじった。たっぷりのザラメとカリカリに揚げた食パンの耳はスナック菓子のようで食べやすい。牛乳にストローを刺し、片手で器用に食べて飲むを繰り返す。こうしていると十代の頃に戻ったみたいで、いくらか気分は軽くなった。しかし、前方で仲睦まじく笑い合うカップルや夫婦、親子連れが目に入ればたちまち視界が暗くなる。うつむいたまま歩いていくと、ようやく賑やかな商店街を抜けることができた。
その時、目の前で小学校低学年ほどの男子たち三人から蹴られているうさぎの着ぐるみと目が合った。思わず立ち止まる。子供たちは元気よくうさぎの脛を蹴飛ばしていたが、うさぎは痛がる素振りを見せずただただ穏便にお帰り願おうと手を振っていた。子供たちをいっぺんに抱きあげ、商店街の入り口に置く。それから猛ダッシュで『青果店あきやま』に戻ってきた。
「よう。大変そうだな、真心」
倫明はうさぎの被り物を小突きながら言った。すると、うさぎは息を吐き出すかのように「プハッ」と被り物を取り、汗だくの顔を見せた。
「久しぶり、平井」
高校の同級生で、比較的仲が良かった秋山真心が相変わらずの無表情で答えた。抑揚のない声は十七年前よりも一段と低くなっていて、仏頂面とブロッコリーみたいな髪型が威圧感を与える。しかし、彼が表情に乏しいだけで中身が純朴なのは熟知しているので、倫明は懐かしさのあまりその場で大笑いしてしまった。
「うわぁ、全然変わんねぇな。このブロッコリー頭も懐かしい」
そう言って無遠慮に彼の髪の毛を触った。真心も身長が高いが、倫明よりも三センチほど低い。唯一、真心の頭を軽々触ることができ、その度に彼は嫌そうに払いのけて逃げるのだ。案の定、真心はさっと腰をかがめて倫明の手から逃げようとする。
「おまえ、ちょっと痩せたな」
真心が訝しげに言う。その指摘に、倫明は笑っていた顔を強張らせた。
「ラグビーやってた頃はもっと横に広かっただろ」
真心は大げさに両手を広げて言った。被り物はなくとも、うさぎの着ぐるみ姿なのでなんだかファンシーな雰囲気である。すかさず倫明は「それ相撲取りじゃん」と笑いながら言い返した。真心は首を傾げて、なおも両手を広げて「これくらいだった」と言い張っているが適当にあしらう。
「そういえば明日の夜、同窓会やるんだけど来るか? 幹事に言っとくよ」
気を取り直して言う真心の言葉に、倫明はわずかに拍子抜けした。
「と言っても、三年の時に仲良かったやつらしか来ないし、男しかいない」
「うわっ、なにそれ。つまんなそう」
「まぁ、そう言わずに」
それから真心は表情を変えることなく淡々と店の場所と時間を教えてくれる。電話番号は昔と変わっていないので、あとで連絡してほしいと伝えると真心はコクリと頷いて見送ってくれた。
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