第三話⑥

 パーティーの前日、透子は瑠菜を寝かしつけたあと、キッチンに立ってロールケーキ作りに取り掛かった。レシピ通りにクリームを泡立てる。ハンドミキサーを使っていると、テレビを見ながらスマートフォンゲームをしていた和弥も不審そうに近づいてきた。

「それ、明日の?」

 すでにパーティーの話は簡単に済ませていたので、彼は短く訊いてくる。

「うん。近所の青果店さんにレシピを教わったの」

「青果店でレシピ? どういうこと?」

「よく行く青果店なんだけどね、裏で薬膳庵やってるの。今度、みんなで行かない?」

 クリームのボウルを見ながら言ったので、和弥がどんな顔をしているのかは分からなかった。しかし、すぐに答えが返ってこないので不審に思い、ハンドミキサーのスイッチを切って顔を上げる。彼は透子の様子をじっと見ていた。その顔はいつもより優しげだ。

「透子から食事を誘われるの、何年ぶりだろ」

「……そんなに誘わなかったっけ?」

「うん。そりゃ、貯金しないといけないし、頻繁に出かけられないけどさ。瑠菜が生まれてからは一度もそう言われなかったから」

 透子は動揺を悟られまいとハンドミキサーのスイッチを入れた。

「ごめんね」

「ううん、透子がいつも頑張ってるのは分かってるから……料理、苦手なのに一生懸命作ってくれるし、俺も甘えてばかりで申し訳ないっていうか……」

 和弥は慌てて繕うように言った。そして、自分の発言に「あっ」と驚いている。透子は首をかしげて夫の顔をチラリと見た。すると、彼は頭を抱えていた。

「ごめん……」

「え? 料理苦手って言ったこと?」

 嘘がつけない和弥は消沈してしまった。透子は苦笑しながらクリームを泡立てる。

「……じゃあ、やっぱり私の料理、まずいって思ってたんだ?」

 激しく鳴るモーターの中でボソボソと呟くと、和弥はその言葉を読み取ったのかまたも「ごめん」と言った。透子もそんな彼の声を聞き取り、ため息まじりに笑う。

「素直に言ってもらえて良かったよ。私たち、変なところで気を遣いすぎだと思う」

 こんな風に話すなんて思いもしなかったが、これで少しは彼との距離も元に戻りそうな気がする。透子はチラリと顔を上げて和弥を見た。すると、彼は困ったように眉をひそめていた。

「ごめん、今なんて言った?」

 どうやらモーター音に重なって聞こえなかったらしい。もう一度言うには恥ずかしく、透子はすかさず声を荒らげた。

「なんでもない!」

 クリームのツノが立ち、二種類のクリームが出来上がる。それでも和弥はその場を離れようとはせず、透子の調理を楽しげに眺めていた。

「喜んでくれるといいな」

「喜んでくれるかなぁ……ねぇ、クリーム味見して」

 自信はまだ足りない。スプーンでクリームをすくい、和弥の口に無理やり突っ込む。そんなことを繰り返し、ロールケーキが完成したのは深夜〇時に差し掛かる頃だった。


 高梨家のパーティーは午前中の十一時スタートで各々が腕によりをかけたお菓子をテーブルに広げていく。不安そうな瑠菜はしきりに「ママ大丈夫? ケーキある?」と訊いていた。そのたびに透子は先日言ったことを反省しながら「うん、大丈夫だよ」と返した。

 高梨は大きなプリンケーキを焼き、高木は宣言どおりホームベーカリーで作ったと思しき菓子パンを大量に並べた。坂本も「お口に合うかわからないけど」と控えめに言いながら、チョコレートブラウニーを見せてくる。横山は「主人に手伝ってもらいました」と申し訳なさそうに、大きなクーラーボックスをドンと置き、アイスクリームを出してきた。みんなかなり気合いが入っている。

 子供たちも大喜びだ。瑠菜の同級生だけでなくそれぞれ上と下の兄弟姉妹も連れてきているので大人数だ。たくさんのお菓子も子供たちにかかればあっという間にたいらげられてしまうだろう。透子も気後れしながらロールケーキを披露した。箱を開けて出てきたのは、真っ白なロールケーキの上にピンク色のクリームを絞っており、不器用なりにアラザンやスプレッドでクリームのムラをごまかした飾り付けをしている。

「うわぁ〜! お姫様みたーい!」

 そう言ったのは高梨の娘、あやだった。

「るなちゃんママのケーキすごいね!」

 あやに言われ、瑠菜はそれまで強張っていた顔を笑顔に変えた。

「ママ、すごーい!」

 瑠菜はぴょんぴょん飛び跳ね、間近でケーキを見ようと近寄った。そんな娘の喜びようがかわいく、透子も笑顔になる。

「切ったらもっとすごいよ」

 そう調子よく言って、高梨からケーキナイフを受け取り、ロールケーキを切っていく。その瞬間、全員が固唾を呑んで見守っていたので緊張してしまったが、ケーキの断面が見えると、全員がどよめいた。

「ピンクだぁー!」

 すぐに歓声を上げたのは瑠菜だった。続いてあやも他の子供たちもはしゃいで手を叩く。子供たちの人数分切り分けたケーキをみんなに渡すと、さっそく瑠菜がロールケーキを口に運んだ。瞬間、瑠菜は目を輝かせて声にならない声を上げた。モグモグ咀嚼しながら足をバタバタさせ、とろけそうな表情を見せる。

「おいしい〜!」

 飲み込んですぐ瑠菜は大きな声を部屋中に響かせた。口の周りをピンク色のクリームまみれにし、夢中でケーキを食べる。こんな風に喜んで食べてくれる場面を何度切望しただろうか。自分の手で生み出した料理を娘が初めて「おいしい」と言ってくれた。感激のあまり、言葉にならない。

「これ、本当においしいわ〜。ピンク色のケーキもかわいいし、榊さんすごい」

「あれ? 瑠菜ちゃんママ、どうしたの?」

 高梨たちが絶賛する中、隣にいた坂本が顔を覗き込んでくる。透子は目尻から落ちそうになった涙を素早く拭い、笑ってごまかした。

「瑠菜、おいしい?」

「うん! ママのケーキ、大好き!」

「そっか……そっかぁ、良かったぁ」

 堪らず抱き寄せると、瑠菜はくすぐったそうに笑って、自分のロールケーキを母の口元に向ける。

「はい、ママどうぞ」

「くれるの? ありがとう。いただきまーす」

 パクっと一口頬張ると優しい甘さが広がる。瑠菜と顔を見合わせて笑った。



【第三話 おいしい手のひら〜紅麹のピンクロールケーキ〜 了】

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