第三話⑤

 詳しく話をし、パーティーまでに一品作れるように練習することになり、翌日も同じ時刻にくるみ薬膳庵に足を運ぶ。ちょうど瑠菜がスイミングに行くのでその時間帯に真心と二人でキッチンに立つ。

「それじゃあ、今からピンク色のロールケーキを作ります。レシピを考えたのでこの通りにやっていきましょう」

 真心はあらかじめパソコンで書き出したらしいコピー用紙を渡してくれた。ニコリともせず無表情で、何を考えているのかわからないが、不器用なだけでとても優しい人なのだろうと解釈する。それを分かっていても、いざキッチンに立つと緊張してしまうもので、透子は震える手で材料を量りに乗せた。グラニュー糖、生クリームもきっちり指定通りに。慎重に量るあまり、かなり時間がかかってしまう。その間の無言がとても耐えられず、透子は自嘲気味に笑った。

「すみません、グズで」

「いえ、榊さんは几帳面ですね」

 真心が気遣ってか、それでも抑揚のない声音で言う。

「はい……几帳面というか、分量通りにしないと怖くて」

「お菓子作りは分量通りに作らなきゃ失敗しますから、その心構えは大事です」

「はぁ、ありがとうございます」

 少しだけ緊張がほぐれていくのがわかる。

「分量通りに作るのは基本です。日々の料理もそうやってきちんとやってるんでしょうし、そう緊張しなくていいと思いますよ」

 まるで見透かすような言い方をされ、思わず噴き出した。それから真心の指示通りにすべての材料を量り終えたが、一つだけ釈然としなかった透子はおずおず訊いた。

「生地はどうするんですか?」

 今のところ生地らしき薄力粉が見当たらない。すると真心は冷蔵庫から市販の袋に入ったスポンジ生地を出してきた。

「これを使います。焼く手間を省けるし、簡単に作れておいしいので問題ありません」

 きっぱりと宣言される。正直、生地を焼くのはハードルが高いと思っていたので一安心だ。それからは真心の指示通りに材料を混ぜる作業が続く。ロールケーキの巻き込み用のクリームと、外側をコーティングする用のクリームを用意するだけであり、案外楽しい。

「それじゃ、ピンクにするためにこれを入れましょう」

 真心が用意したのは、小皿に盛った赤いパウダーだった。

「紅麹です」

 透子は目を丸くした。あの紅麹を使うとは思いもよらない。

「お菓子作りではポピュラーな材料の一つです。これを使って桜の風味を出したり、桜餅にも使えます」

「へぇぇ。そうだったんだ……」

 馴染みのある菓子の材料になっていたとは知らず、どんな味になるのかだんだんワクワクしてきた。少しずつパウダーを足していき、ピンク色のクリームが出来上がっていけば不安も解消され、すぐに瑠菜の喜ぶ顔を思い浮かべた。

「あと、適度に味見しましょう。甘いのが好きなら砂糖を多めにしてもいいです。お子さんが食べるので、もっと甘めでもいいかと」

 そう言うと彼は「クリームだけだと物足りないな」と呟き、キッチンから出ていった。

「あれ? まーくんは?」

 仕事の合間に棗が顔を出してくる。

「あの人、急に消えるからねぇ。ごめんなさいね、透子さん」

「いえいえ! とても勉強になります」

 透子は重くなっていくクリームを棗に見せながら言う。棗は満面の笑みを見せた。

「楽しそうで良かった〜」

「おまたせしました。これを使いましょう」

 そうこうしているうちに二階から真心が降りてきた。大きな手のひらで小さな瓶を、まるで野球ボールのようにつかんで見せてくる。

「いちごジャムをクリームの中心に入れると、切ったときの断面が綺麗になるかと」

「さっすが、まーくん!」

 すかさず棗が褒めちぎる。すると、真心は手のひらで棗を追い払った。

「棗、仕事」

「はいはい、今から戻りますぅ〜。出来たら教えてね!」

 棗はムッと頬を膨らませつつ、楽しげに手を振って表の青果店に戻っていった。

 そろそろクリームも仕上がってくる。二種類ともツノが立ち、ふわふわしている。この中に飛び込んだらとても気持ちよさそうだ。ロールケーキ用のスポンジを調理台に乗せ、クリームを塗る。ピンク色の紅麹クリームを半分塗り、いちごジャムを落としていく。

「それじゃあ、巻きます」

「はい」

 真心の真剣な声に合わせ、透子も真剣に返事し、改めて腕を捲くった。

「あまり力を入れずに巻いていきます。こんな風に」

 真心が横で、巻きすに乗せた海苔と米を巻いて見せた。いつの間にか用意されていたので驚いたが、なんとなく要領は分かった。透子はスポンジを掴み「えい!」と掛け声を上げながら巻く。斜めにならないよう細心の注意を払うも、どうしても均等にはいかず、最後は右端がわずかにはみ出してしまった。

「上出来です。これくらいは失敗のうちに入りませんよ」

「でも、はみ出してしまいました……もっと綺麗に巻けたら良かったのに」

「いいんですよ。大事なのは食べる人の笑顔が見られるかどうかです」

 ──食べる人の笑顔が見られるかどうか……。

 その言葉が突き刺さる。確かに、今まではおいしい料理を作りたいばかりに肩肘張ってレシピ通りに作っていた。レシピ通りに作っているのだからおいしいはずだと思っていたのだが、和弥も瑠菜も反応がイマイチだった。透子は今まで二人に「おいしい?」と訊いたことがなかった。「おいしい」と言ってくれるのをただ待つばかりで、二人の好みの味付けを訊かずにいた。また、和弥と一度衝突したことから、和弥は家事育児に関して口を出すことはしない。明らかに気を使われている。また夫婦で相談する時間はおろか、毎晩の夕飯で互いに緊張しているのだろう。これでは笑顔で食卓を囲むことはできない。

 透子はため息をついた。すると、真心が慰めるようにコーティング用の白いクリームのボウルを指した。

「隠しましょう。案外バレませんから」

 冗談なのか、本気なのか、彼が真顔で言うものだから透子はおかしくなって笑った。


 ロールケーキの出来は良く、その日は三人で食べきった。大量にグラニュー糖を入れたと思ったが、意外とクリームは重くなくさっぱりとしていたので、隣で黙々と食べていた真心がしばらくの沈黙後「もう少しグラニュー糖を足そう。ジャムも増やして」とブツブツ呟きながらレシピに書き足していた。本当ならすぐにでも瑠菜に見せて食べさせてあげたかったのだが、楽しみは本番にとっておこうと決める。

「瑠菜ちゃん、喜んでくれるといいですね!」

 棗が後ろ手を組んで言うので、透子も照れ隠しに笑いながら「はい!」と返した。

「秋山さん、ありがとうございました」

「いえいえ。また困ったことがあれば、遠慮なくどうぞ。料理なら教えられますので」

 真心が物腰柔らかに言う。そして、彼は使い捨てプラスチックのパックに何かを詰め、紙袋に入れると透子に渡した。

「さっき巻いたキンパ巻きです。良かったら夕飯にどうぞ」

「え!? いいんですか……ありがとうございます。もうなんとお礼をしたらいいか」

「でしたら、今度はご家族で食べにきてください」

 真心の横から棗が言うので、透子はくすくす笑いながら返した。

「分かりました。また伺います」

 戸を開けるとたっぷりな日差しに目がくらむ。しかし、もう俯くことはなく、透子はほんのわずかに戻ってきた自信を携えて店を後にした。

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