第三話④

 誘われるまま青果店の裏手にある古民家へ招かれる。一見すれば夫婦の住まいのように見えるのだが戸を開けた瞬間、目に飛び込んでくるのは広い三和土とカウンター。なんだか隠れ家割烹料理店のようで、透子は久しぶりに胸が高鳴った。こういった隠れ家風のお店はテレビで見て憧れるものの、いざ行動に起こすことはなく探そうともしなかった。まさか行きつけのお店が裏で薬膳庵を開いていたなんて。枯れかけていた好奇心が湧き出し、透子は「お邪魔します」と恐る恐る中へ入った。

 すかさず真心が部屋の奥へ行き、しばらくした後、着ぐるみ姿から一変して白衣と三角巾を身に着けていた。あの爆発的な髪型をどうやってまとめたのか謎である。

 透子は棗に促されるまま、カウンターに座った。棗も白衣と三角巾を身に着け、茶の準備をする。

「あ、そうだ。まかないなので、お代は結構ですよ。私たちも食べますし。嫌いなものやアレルギーはございませんか?」

「え!? えーっと、はい。大丈夫です」

 棗の説明に声が上ずる。代金はいらないと言われてもそういうわけにはいかず戸惑った。しかし二人は、そんな透子の心情などまったく気にする素振りがなく、テキパキと食事の準備をしていく。

「イカとセロリの紅麹べにこうじ炒飯チャーハンとハトムギスープを作ります。よろしいですか」

 真心がそっけなく訊いてくる。料理の想像がつかず、よく分からないまま「はい」と答えた。棗が湯呑に茶を注ぐ。

「今日のお茶は凍頂烏龍茶。花粉症予防のほかビタミンCも豊富で美容にも効果的です」

 その説明に透子は会釈しながら茶を受け取った。水色は烏龍茶にしては淡い色だ。喉に流しこむと、よく飲む烏龍茶とさほど変わらず飲みやすい。

 キッチンでは真心があらかじめ仕込んでいた具材を中華鍋に放り投げていた。ゴゥっと上がる炎と、乱舞する炒飯の具材が圧巻で、透子は思わず前のめりになってその様子を眺めた。一方、棗は別のコンロでスープを温めており、手際の良さに感心してしまう。料理はあっという間に出来上がり、二人が同時に料理の大皿を運んできた。真心が炒飯を、棗がスープを取り分けてくれ、目の前に並べる。

「はい、じゃあいただきましょうか」

 棗が号令をかけ、三人そろって手を合わせる。

「いただきます」

 透子は訝りながら、目の前に置かれた料理を見つめた。炒飯が真っ赤だ。一体何を使ったらこんなに赤くなるのだろう。イカとセロリも鮮やかな赤で染まっている。

「紅麹を使ったので、赤くなっちゃうんですよ。麹は分かりますか?」

 あまりにもジロジロと見つめていたので、棗が苦笑しながら教えてくれる。

「麹は発酵食品に使われる菌なんですけど、麹を使って日本酒やお味噌、お酢、お漬物なんかを作ります。で、紅麹は紅麹菌を発酵させて作ったものなんです。主に消化を良くし、内蔵の機能を改善してくれます」

 麹について知ればすんなりと警戒心が薄れていく。透子はレンゲにすくった紅麹炒飯を頬張った。ほのかに甘い。細かく刻まれたネギ、食べやすい大きさのイカとセロリの風味がバランスよく、歯応えもあっておいしい。

「私、セロリって食べたことがなかったんですけど、思ったよりも食べやすいですね」

 シャキシャキ感が残っていて苦味を感じるが、炒飯の味を引き立たせているよう。

「味付けは醤油とうまみ調味料です」

 真心が炒飯を食べながら言う。透子は「えっ?」と驚いて顔を上げた。

「調味料ってそれだけなんですか? それなのに、しっかり味がついて……」

「はい。今回は紅麹を使ったのでシンプルにしました。ハトムギのスープもどうぞ」

 そう言われ、透子は脇に添えられた小さなスープ椀にたっぷり入ったハトムギのスープに視線を移した。白くふっくらとした実は真ん中に裂け目がある。見覚えはあるものの、触れたことはない食材である。よく冷まして口に運ぶと、まったりと柔らかいとろみのあるスープが一気に広がった。ハトムギを噛むとモチモチしていてこちらも食感が楽しい。

「ハトムギのほか、鶏ひき肉、白キクラゲ、卵、えのきを使って具沢山のスープにしました。ハトムギはデトックス効果があり、代謝をよくしてくれます。美肌効果もあって、日焼け予防にもなるんですよ」

 棗が嬉しそうに説明するので、透子のレンゲはスープと炒飯を行ったり来たりして止まらなかった。久しぶりに食が進んだ。いつもなら、食べない瑠菜の世話をするばかりでゆっくりと食事を摂ることがなかったように思う。あたたかい食事が堪らなくおいしく感じ、透子は思わず鼻をすすった。

「おいしいなぁ……私、味覚オンチなんですけど、これはおいしいってわかります。本当においしいです」

 言葉で表現するのが難しく、ただ単純に「おいしい」しか言えない自分が情けなくなる。棗は「そんな大袈裟な」と大笑いし、真心は無口ながらも軽快に炒飯をかきこんでいき、茶を一気に飲み干していた。

「真心さんがね、あなたのこと心配してたんですよ」

 おもむろに棗が言う。透子はキョトンとし、真心を見た。彼は妻の軽口をたしなめようとはせず無表情のままである。

「昨日、帰る間際も思い詰めた顔してましたし、今朝も瑠菜ちゃんを送る時、思わず聞いちゃってたんですけど、ケーキ作るって約束してましたよね。でも、お母さんの顔があまりにも暗かったから大丈夫かなぁって、話してたんですよ」

 棗が申し訳なさそうに言う。そんな場面を見られていたとは思わず恥ずかしくなり、透子は唸りながら食べることに専念した。皿を空っぽにしてホッと息をつくと張っていた心が緩んでいき、食べ終わった棗とその横にいる真心の顔を見た。

「あの、料理を教えてくださるって話、本当ですか?」

「はい。俺でよければ教えますよ」

 すぐに真心が答える。棗は嬉しそうにしており、透子は安堵で顔をほころばせた。

「じゃあ、料理オンチでも簡単にできるケーキは? ピンク色のケーキは作れますか?」

 矢継ぎ早に訊くと、真心は目をしばたたかせた。そんな彼の背中を棗が思い切り叩く。

「任せてください!」

 頼もしい言葉に、透子は嬉しさのあまり棗の手を取った。

「ありがとうございます!」

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