第三話②

 マンションから商店街を抜け、小学校や公園が近い交差点の向こうに瑠菜が通う幼稚園がある。迎えに来た母親たちの中に紛れ込むようにして透子は園の門をくぐった。

「あ、瑠菜ちゃんママ、こんにちはー」

 瑠菜の友達の母親、高梨たかなしが手を振ってきた。デニムのロングスカートと白シャツというカジュアルな格好をしている。自分よりも五つ年下の若いママで、ちょっと出かける時でさえ身なりに気を配っているおしゃれな人だ。一方で、透子も流行りの服装を真似てみてはいるものの、小柄でメリハリのない体つきのせいで何を着ても似合っているようには思えなかった。動きやすい麻のワンピースとレギンスという格好で、髪の毛は一つにくくっている。

「あぁ、どうも、高梨さん」

 高梨の横には他のママ友、横山よこやま高木たかぎ坂本さかもともいた。比較的仲良くしてもらっており、情報交換をする間柄である。すでに自分の子供たちを引き取っており、門の入り口で井戸端会議をしている最中のようだ。透子は会釈しながら瑠菜のクラスへ向かった。担任の先生に顔を見せると、すかさず「瑠菜ちゃーん、お母さんきたよー」と教室の向こうへ声をかけてくれる。瑠菜はピアノの鍵盤を触っていたが、透子の顔を見るなり「ママー!」と元気いっぱいに駆け寄ってきた。今朝結んでいたツインテールがくったりしている。透子は走ってくる瑠菜を抱きとめた。

「おかえり、瑠菜」

 周囲の子供よりものんびりとした喋り方をする娘はかわいくて堪らない。自分に似たくっきりとした目で見つめられると無意識に顔がほころんでしまう。この瞬間がとても安心する時間で、透子は瑠菜の頬を両手で包んだ。

「帰ろっか。先生に『さようなら』して」

「せんせい、さよーならぁ」

「はい、さようなら。気をつけて帰ってね」

 担任の先生も高梨と同年代くらいで、つややかな笑顔で瑠菜を見送ってくれた。瑠菜も先生に懐いており、何度も振り返って手を振っている。そして、先生が見えなくなってから瑠菜は透子の手をぎゅっと握ってぴょんぴょん跳ねた。

「ママ、あのね! こんど、あやちゃんちで、おかしパーティーするのよ!」

「パーティー?」

「うん! るなちゃんもきていいよって!」

「え? どういうこと……? お呼ばれしたの?」

 透子は不審に思い、門に目をやった。すると、いまだ立ち話をしていた高梨たちの姿があった。瑠菜の言う「あやちゃん」は高梨の娘である。

「あ、あやちゃーん!」

 瑠菜が透子の手を離し、駆け出していく。その後ろを慌てて追いかける。

「ちょ、ちょっと待って、瑠菜! あぁ、すみません」

 危うく高梨たちに突進する勢いだった。高梨たちは気にする素振りはなく、足元でアリの行列を見る子供たちを微笑ましく見守っている。

「そうそう、あのね、榊さん。来週末、お菓子パーティーをしようと思うんだけど、良かったら来てくれない? みんなで手作りお菓子を持ち寄って。ね」

 高梨が人懐っこく笑いながら言う。足元ではあやと瑠菜が「ねー」と仲良さそうに顔を見合わせて笑う。一方、透子は困惑の表情を隠せずにいた。

「えぇっと……手作りのお菓子、ですか」

「うん。一品ずつ持ち寄って。瑠菜ちゃん、アレルギー持ってないでしょ? あ、高木さんはパンを焼いてきてくれるのよね!」

「えぇ、ホームベーカリーを買ったばかりでねぇ。あ、良かったらどうぞ、これ食べて。作ってきたの」

 人好きのしそうな素朴な顔をした高木は嬉しそうに、手提げからラッピングしたパンを出した。

「これ、米粉で作ってあるから、モチモチしてておいしいよ」

「はぁ……ありがとうございます。すごいなぁ~、パン作れちゃうなんて」

 透子は気後れしながらも愛想よく笑ってパンを受け取った。

「ホームベーカリーに任せてれば簡単よ! お家でパン作るの楽しいんだから。うちの子たちなんて、すぐ食べちゃってもうほぼ毎日ホームベーカリー使ってるもん」

 透子はもらったパンに目を落としながら「へぇ」と相槌を打った。すると、気弱そうな線の細い横山が小さな声で言った。

「でも私、お菓子作ったことがないから上手くできるか自信がないです」

「大丈夫よ! 今、スーパーに行ったらケーキのスポンジも売ってるし、簡単なものでいいのよ。ほら、三月になったら茶話会があるでしょ。その練習しなきゃ」

 高梨が笑い飛ばす。茶話会は毎年三月に幼稚園のクラスで行われるイベントで、保護者がお菓子や軽食を持ち寄る。そうでなくとも、運動会、バザー、お泊り保育などで保護者が料理を振る舞う機会が多くあり、透子は気が遠くなった。人に振る舞うほど料理の腕はない。横山に便乗しようと口を開きかけるも、坂本がのんびりと割って入った。

「あら、でも横山さんちのご主人、ホテルの料理人でしょ?」

「そうですけどー……だから、うちのお料理、ほとんど主人に任せっきりで」

 横山は恥ずかしそうに笑った。すると、すかさず話の方向が横山の夫についてもちきりとなり、透子はただただ相槌を打つだけに徹した。それからしばらく話をしているうちに、坂本の息子がぐずり始めたのでママ友会議は解散となった。

「それじゃあ、詳しい日程はあとでメッセージ送るから! よろしくお願いしまーす!」

 高梨の元気な声で締まり、各々子供たちを連れて家路へと向かう。透子も瑠菜を連れて自宅への道を歩いた。その前に商店街横の『青果店あきやま』に行かなくてはならない。

「ねぇ、ママー。ママはどんなおかしつくるのー?」

 瑠菜の歩幅に合わせながら歩いていると、唐突に瑠菜が訊いた。

「ママのおかし、たのしみだなぁー。ケーキつくって!」

「えぇ? ケーキ?」

 透子は声を弾ませるように努めた。瑠菜はしきりに「ケーキ! ケーキ!」と声を上げ、ぴょんぴょん飛び跳ねる。背負った通園カバンも跳ね上がり、小さな肩からずり落ちそうになる。

「はいはい、ケーキね」

「ケーキつくる? あのねー、ピンクがいいなぁ。ピンクのケーキ!」

 次から次へと飛び出す無理難題に困る。そうこうしているうちに「青果店あきやま」が見えてきた。すると、店先で座っていたうさぎを見つけた瑠菜が指をさして「ママ! うさぎさんがいるよー!」と教えてくれる。夫の和弥に似て好奇心旺盛だ。母親の手を引っ張る勢いでうさぎの元まで駆け寄る。

「瑠菜、うさぎさんに『こんにちは』して」

「こんにちはー!」

 瑠菜は素直に挨拶した。すると、うさぎは瑠菜の登場にびっくりしたようなパントマイムを見せてくれた。瑠菜はすぐにうさぎに懐き、着ぐるみを触る。ごわごわした着ぐるみを撫でる瑠菜はくすぐったそうに笑った。

「あら、さっきの!」

 店の奥から女性店員がやってきた。

「娘さんですか? かわいいですねぇ! お迎えお疲れさまです!」

 女性店員は朗らかに言うので、透子は午前中の憂さを解いて笑顔を見せた。瑠菜を引き寄せ、挨拶させる。

「すみません。玉ねぎ買うの忘れちゃって。三玉くらいいただきたいんですけど」

「玉ねぎね! そっか、ポテトサラダだもんね。ちょっとお待ちくださーい」

 そう言って女性店員が店先に置いてある玉ねぎのカゴまで向かった。すると、瑠菜が「えー!?」と大声を上げた。店中に響き渡る。幸い、客は透子たちだけだったので迷惑にはならなかったが、突然のことに全員が驚いた。

「すみません。瑠菜、どうしたの」

「だって、たまねぎは〝からいからい〟だもん! やーだー!」

「でも玉ねぎがないとポテトサラダ作れないよ」

 今まで食事中は「いらなーい」と言うだけで、これが嫌いだと明確に言わなかった瑠菜である。しかも青果店でそう言われては恥ずかしくて堪らない。透子は動揺した。すると、女性店員が変わらぬ笑顔でうさぎを連れて瑠菜の元へ歩いてくる。

「瑠菜ちゃん、玉ねぎさんは〝からいからい〟じゃないよ」

「〝からいからい〟だよ。ベロがピリピリしちゃう。るなちゃん、ポテトサラダきらい」

 うさぎの着ぐるみが玉ねぎを持っていたが、瑠菜の言葉で全員が凍りついた。

「すみません……普段はそういうこと言わないんですけど……」

 透子は居たたまれなくなり、二人に頭を下げた。すると、女性店員もうさぎも同時に手を振った。

「いえいえいえ! 気にしないでください。しっかり水にさらしたら食感を残したままでおいしく食べられますよ。軽く炒めて辛味を飛ばして作るのもアリです!」

 女性店員がフォローするが、まったく頭に入ってこない。その傍らでは瑠菜の機嫌を直そうと、うさぎが必死に玉ねぎを見せびらかしているが、透子の足に隠れるばかりで効果はなかった。とにかく、うさぎで瑠菜の気を紛らわせている間に玉ねぎを三玉購入したが、申し訳ない気持ちと恥ずかしさのあまり冷や汗を拭うのに必死だった。

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