第一話⑥

 くるみ薬膳庵は栄えた街の反対側に位置しており、深夜ともなれば人通りもない。静かに到着するタクシーに乗り込むと、巴は実家の住所を告げた。車もまばらな大通りに入り、ネオンの灯りをぼんやり見ながらおもむろにスマートフォンの画面を触ると那奈からメッセージに気づいた。

「あらら……まさかの展開」

 そのメッセージ内容に、巴は呆気にとられた。

【駒田さんフッてやったよ! 敵討ち成功!】

 その文言の下に、駒田がトボトボと背を向けて帰る姿が映った写真が添付されている。

 どうやら駒田のデート相手は那奈だったらしい。さらに続くメッセージによれば、酔った駒田が巴のことを悪く言っていたらしく、それに対し那奈が怒り、きっぱりと彼を振ったのだそうだ。

 巴は週明けにランチをご馳走することを約束し、嬉しいやら申し訳ないやら複雑な気持ちでため息をつき、シートにもたれた。そのままスマートフォンを操作し、父の電話番号を呼び出す。思い切って通話ボタンを押せば、すかさずコールが鳴った。もしかするともう寝ているかもしれない。帰省を決めたはいいが、父に確認を取っていないので驚かれそうだと少しだけ不安になる。盆休み以降会っておらず、それもそっけなく挨拶を済ませて会話もほとんどなかったのが最後で、それから忙しさにかまけて連絡を怠っていた。「お金がない」とせびるなんて、都合のいい娘かもしれない。そんなことを考えていると、コール音が途切れた。

『もしもし。巴か。どうした?』

「あ、お父さん? ごめん、寝てた?」

 出てくれたことに安心するも、ぎこちない言い方になってしまう。どうやら父は寝ようとしていたところだったらしく、疲れた声をしていた。

「急にごめんね。今からそっちに帰ろうと思うんだけど、いい?」

『本当に急だな。なんだよ、今までそんなこと一度も言わなかったくせに』

「終電に間に合わなかったの……ちょっとお金も厳しいし、貸してほしいなぁって」

『なんだよ、それ』

 父が心底呆れた声を返したので、巴は慌てて弁解した。

「それだけじゃないし……ほら、今日はクリスマスだから」

 甘えたような言い方になってしまい、巴はそっけなさを上乗せしてごまかした。すると、父は電話の向こうで『はぁ?』と素っ頓狂な声を上げた。

『クリスマスだからって、親父の顔見にわざわざ来ることないだろ』

「うーん……確かに」

 父の声はぶっきらぼうだったが、わずかに笑っているところ照れ隠しのように思えた。こんな風に会話をしたのはいつぶりだろう。巴も照れてしまい、顔が熱くなる。窓に頭を預けてしばらく黙り込んだ。父も何も言わない。

「……うち、クリスマスをすることなかったよね」

 ゆるりと言葉を紡ぐと、父は『あぁ』とまたもやぶっきらぼうな相槌を打った。しかし、すぐさま『いや』と声が返ってくる。

『一度だけ、やったよ』

「え? いつ?」

 意外な言葉に驚くと、父は思い出すように唸りながらゆっくりと言った。

『あれは、おまえが三歳だったかなぁ……まだ母さんがいた頃だよ。俺がフライドチキンを買ってきて、母さんがシチューを作って……リースって言うんだったか、おまえが保育園で作ってきたやつ。あれを飾ってパーティーしたんだぞ。覚えてないのか』

「お、覚えてない……覚えてるわけないでしょ。三歳の頃なんて」

 巴は動揺を隠せずにいた。一方で父はいたずらっぽく笑い声を上げた。

『たった一度きりだったもんなぁ……あれからすぐ母さんが出て行ってしまったし。でも、あの日は楽しかったよ。そうか、覚えてないのかぁ』

 どこか寂しそうな声音で語る父に巴は唖然とした。なおも父の言葉は続く。

『それ以来、おまえがクリスマスしようってねだることもないし、俺もそれに甘えてたんだよな』

「う、ううん。だってお父さん、仕事大変だったし、それは分かってたから……」

 巴は声を落とした。胸の内で小さな明かりが灯り、その熱が一気に目頭へ駆け抜けた。

 もしかすると、素直に「クリスマスがしたい」と父にねだれば良かったのかもしれない。「寂しい」と素直に言えたら良かったのかもしれない。

 巴は鼻をスンとすすり、大きく息を吸った。窓の外では消灯され落ち着いたイルミネーションの電飾がうっすら見える。

「……ねぇ、お父さん」

『ん?』

「クリスマス、しよっか」

 思い切って言ってみると、今度は電話の向こうで父が唖然としているようだった。無言のあと、聞き取りにくい小さな声で『何言ってんだよ』とつぶやき、苦笑している。

『いい大人がクリスマスやろうってなぁ』

「そんなこと言わない! ほら、まだ間に合うって! 私、シチュー作ってあげるから、お父さんはフライドチキン買ってきてね。明日、絶対やろう」

 早口でまくし立てると、父は渋々ながら了承した。

『じゃあ、早く帰ってこい』

 やがて、うるさそうに言う父の声は、今まで聞いたことがないほど弾んでいた。




【第一話 一度きりのクリスマス〜ひよこ豆のクリームシチューと五香粉のフライドチキン〜 おわり】

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