第一話④
「ね、そんな難しいもんじゃないでしょ?」
「そう、ですね……」
流されて答えるも、まだ心の準備はできていない。うまく消化できないうちに二人はテキパキと料理を作っていく。棗が時折話しかけてくれるので、店内は温まった息で満たされ、にぎやかだ。
真心が冷蔵庫から銀色のバットを出す。ちらっと見えたのは、あらかじめ下味をつけていたようなジューシーな鶏もも肉。ピンク色の身が食欲をそそり、巴は思わず身を乗り出した。そんな巴に棗が訊いた。
「巴ちゃん、こんな夜までお仕事だったの? 大変だねぇ」
「いやぁ、棗さんに言われても……」
「あぁ、うちはちょっと依頼があったからねぇ。知り合いの飲み屋さんで団体予約が急遽入ったみたいで、余った食材くださいって言われたから慌てて配達に」
「そういうこともしてるんですね。なるほど」
普段この時間は就寝しているらしい。巴はまたも不思議な寂しさを感じた。
「まぁ、年末ってこともあって最近はこんな時間まで残業で、終電もギリ間に合うかなーくらいで。もういっそ、こっちに引っ越したいくらいなんですけどね。なかなかお金が貯まらなくて」
「あ、じゃあ、お家はこの辺じゃないんだ?」
「えぇ、市外のほうで。ここから普通電車で一時間くらい」
「なるほど。じゃあ、朝も早いよね」
「ですねぇ。こんな冬場は朝出るのがダルくて。なかなか体が動きません」
「分かる、分かる。お布団の中にいたいよねぇ」
そんな雑談をしているうちに、あたたまった鍋の奥で油が弾ける音がしてくる。真心がいよいよ唐揚げの準備に取り掛かっていた。その横で野菜を炒める棗が小鍋を片手に、少しだけ大きな声で巴と話をする。それがまるで母親を思わせ、巴は幼少期を回顧した。はっきりとした記憶はないのに、なぜだか懐かしく思えてくる。だが、そんなものはまやかしだとすぐに頭を振った。誕生日はおろかクリスマスなんて、家族で過ごしたことは一度もないのだ。
巴はふと、これまでの生活を思い巡らせた。ほんの一ヶ月前くらいまでにはクリスマスをコンセプトに若者向けコスメティックの広告を作っていた。マーケティング部からの要望通りに何案か打ち出し、何度かの校正作業をし、印刷所へデータを預け、丁寧に作り上げた。頭ではクリスマスを意識していたものの、そのイベントに自分の姿を投影するわけではなく、ただただ印刷所から急かされるまま締め切りに追われていた。それに、他にも新商品の広告やPR活動まで企画は山程ある。そうこうしているうちに、家庭持ちの同僚から仕事を任されたり、あらかじめ上司から回されていた仕事も片付けていればいつの間にか帰るのが自然と遅くなってしまうのだ。その挙げ句、盛大なミスをしてまた帰るのが遅くなっている。改めて自分の生活を見直すと、仕事をするために生きているような気がした。急激に頭の中が重たくなり、疲れを感じていく。
せっかくのクリスマスなのに──いや、クリスマスなんてどうでもいい。そもそも国民の祝日でもない日を祝う意味が分からない。
「……私、クリスマスってよく分かんないんですよね」
思わず出てきた言葉は、この場ではなんの脈絡のないものだった。棗と真心が同時に顔を上げる。巴は茉莉花茶をこっくり飲み、自嘲気味に笑った。
「あ、いやモテない僻みとかじゃなく。単純にクリスマスとか誕生日とか、当日にパーティすることがなくて特別感がないんですよね……というのも、うちは父子家庭で」
言葉をこぼすと、それまで忘れていた過去が脳裏によみがえった。狭いアパートの一室で、毎日台所に立つのは自分だけ。小学生の時は台座を使って、中学生になれば少しはレパートリーも増えたが、食べるのは一人だけ。高校に上がったら、勉強とアルバイトで忙しくコンビニ弁当が多くなった。同時に家に寄り付かなくなった。誰もいないから──
「母は小さい時に出ていったそうです。父は私を育てるのに必死で仕事三昧。物心つくころには、もうずっとその生活で、クリスマスパーティしたいってねだるわけにもいかず」
──あぁ、なんでこんな話をしているんだろう。
巴は言葉を切った。すると、棗が小さくため息をついた。
「それはちょっと寂しいね」
そう言われると、巴は慌てて暗さを払拭するように笑った。
「いえいえ、大学時代はサークルに入って友達と遊んだり、パーティーしましたよ。でも今は恋人もいないし、特別な記念日っていう概念がないんですよね。だから、帰りが遅くなっても問題ないし、ひとりだからいくらでも自分を犠牲にできるし」
自分と同じく仕事で忙しい友人や、家庭を持った人もいるから安易に立ち入ろうとは思わない。今日、恋人と過ごす人もいれば、誰かが待つ家に帰っていく人もいる。みんなが楽しく過ごせるなら、それでいい。それでいいのに──なぜだか寂しい。
「薬膳料理は、中国では〝母親の手料理〟って意味があるようです」
唐突に真心が油を見ながら言ったので、巴だけでなく棗も彼を見た。そんな二人に対し、彼は動じず淡々と続ける。
「おふくろの味とか、ふるさとの味みたいな意味合いでしょうね」
「へぇ……でも、私はおふくろの味がどんなのか覚えてないんですけどね」
つい口にした言葉が卑屈っぽくなり、巴は苦笑まじりで顔をしかめる。すると、棗が慰めるように言った。
「だったら、うちの料理をおふくろの味にしたらいいよ!」
その言葉に巴は戸惑った。食に興味がないこともあるが、行きつけの店というものがない。好きな味付けもよく分からないが、こうして温かく迎えてくれる場所があるなら──と、心が傾きかける。
「それは……食べてから決めますね」
気恥ずかしさで、思わずひねくれた言葉が飛び出した。
「まぁ、そうなんだけどね! あははっ!」
棗の明るさに、巴の強張った顔も緩くなる。
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