もしも投票箱が女の子だったら

蚕豆かいこ

第1話

「さあみなさん寄ってらっしゃい見てらっしゃい! きょう入りましたこちらの投票箱、正真正銘の処女! 一度も誰にも投票されたことのないまっさらな初物でございますよ。どうぞ確認してみてください。奥の奥まで見てってくださいよ」


 投票事務従事者が小選挙区投票箱の扉をひらき、衆人環視に晒す。


 早朝から今や遅しと詰めかけていた有権者たちが、小選挙区投票箱のあられもない姿に固唾を呑んで見入る。矢のような視線が小選挙区投票箱の内部奥深くにまで集中する。


 小選挙区投票箱は羞恥に顔を背けた。


「やだあ……見ないでぇ……」

「オラッ、もっと蓋をひろげて、みなさんにナカを見てもらうんだっ」


 投票事務にを強引にひらかれた小選挙区投票箱を前に、栄えある投票者第1号が視線でナカを舐め回す。


「おいおい、きれいな銀色してるじゃねーのよ。ガチの未使用箱とか清いことこの上ねーな」


 その感銘に、1号とタッチの差で最初の投票者の栄誉を逃した投票者第2号がうなずいて、


「なにも投票用紙が入ってない、ツルツルのピカピカじゃあ~」


 投票者たちの無遠慮な視線がすみずみまで刺さるたび、小選挙区投票箱は自分の体がびくん、びくんと反応するのを感じていた。


「見られてる……不正がないか、確かめられてるっ……」

「比例区の投票箱もあけまーす」


 投票事務の声に小選挙区投票箱は耳を疑った。台車に乗せられ連れてこられていたのは、まぎれもなく比例区投票箱だった。


「えっ……比例区ちゃん? そんなっ。比例区ちゃんはやめてあげて!」

「嫌ぁ! 小選挙区ちゃん、助けて!」

「お願いします、その子だけは! 不正なんてする子じゃないんです!」


 しかし小選挙区投票箱の血涙を絞るような懇願は、


「それを確かめてやろうってんだよ!」


 と投票事務にあえなく退けられてしまうのである。


 投票者第1号と2号もニヤニヤと笑みを滴らせる。


「公正な選挙のためにも純潔を証明しねーとなあ?」

「そうじゃそうじゃ、わしらは投票の不正がないか確認する善良な有権者じゃあ~」


 比例区投票箱はなおも「やだ、やだあ!?」と抵抗する。投票事務はそんな比例区投票箱に三日月の笑みを浮かべながら「ほ~ら、みんなに見てもらおうねえ~?」とを無慈悲にあけさせた。


 穢れなき箱内ナカの絶景に投票者1号が恍惚となる。


「おっほ。つかマジでビューティホーな空箱じゃん。議会制民主主義の理想を体現するべくホコリひとつねー」

「わしの顔まで映っとるわい。こりゃ上玉じゃあ~」


 想像を絶する恥辱にさめざめと涙をこぼしていた比例区投票箱の表情に、突如として亀裂が入る。


「ぐすっ、ぐすっ……あ……あ? あは……見られてる……あはは……あたしの全部……見られてるんだぁ。あははははっ……」

「比例区ちゃん! 気を確かに持って!」


 という小選挙区投票箱の呼びかけも届かない。比例区投票箱は壊れた笑い声をあげるばかりである。


 そんな2つの投票箱をよそに、投票事務が新たな箱を連れてくる。


「さあてまだ終わりじゃないですよ有権者のみなさん! きょうは衆院選ですからね、国民審査の箱もありますよ。さあこっちにこい!」

「いやっ。離しなさい! わたくしをだれだと思ってるのっ」

「投票箱に決まってるだろうがァ。ほら開けろォ!」

「そんなっ……こんな衆人環視のなかで……すみずみまでっ……」


 すべてをさらけ出した国民審査投票箱に投票人1号と2号の目が釘付けとなる。


「お高くとまりやがって、ナカは最高裁第三小法廷のごとく美しいじゃねーか」

「これでこそ投票のしがいがあるというものじゃあ~」


 小選挙区投票箱は目の前の光景が現実だとは思いたくなかった。


「最高裁の裁判官を罷免するかどうかを決める国民審査ちゃんまで……わたしたちは不正なんて汚いことはしないのに!」

「ようし、これでおまえたちの潔白は証明されたなァ。鍵かけるぞ!」


 小選挙区投票箱の訴えもむなしく投票事務が3つの投票箱を施錠した。がちゃりという無機質な音がいやでもこれが現実なのだと思い知らせてきた。


「ううっ、このわたくしが……奴隷みたいに鍵をっ……」気高い国民審査投票箱が屈辱の涙をにじませる。


「えへへ……これでわたし、ほんとに有権者のみなさんの“モノ”になったんだぁ……」比例区投票箱はなおも呆けた笑みを浮かべ続ける。


 投票事務が三者の痛心など露ほども気に掛けることなく宣言する。「それでは投票を開始します」


「じゃ、記念すべき最初の一票は俺が挿れさせてもらうとするかなっ」

「あ、やっ、あぁっ!」


 なにをされたのか、小選挙区投票箱は一瞬わからなかった。気づいたときには、真っ白な有権者の欲望……投票用紙が挿入されていた。


「挿れられちゃった……? 清き一票が……わたしのナカに……」


 放心状態の小選挙区投票箱を前に、投票者1号が征服欲の笑いをあげた。


「へっへっへ、空箱に最初の票を挿れるこの感覚は病みつきだよなぁ!」

「次はわしじゃ! しっかり受け止めるんじゃぞ!」


 なにが起きたのか理解するいとまもなく、2枚目の投票用紙が挿入される。小選挙区投票箱のスリットは本人の意思とは関係なくすんなりと受け入れた。


「ううっ……筆跡濃いよお……」


 理性とは裏腹に悦んでしまう自身のカラダを恨むひまもあらばこそ、続けざまに3人目が投票挿入してくる。


「衆院選は解散でもないと4年に一回だけだもんな。楽しませてもらうぜ!」

「あうっ、また入ってくる! 4年に一度の投票用紙が入ってくるう! まるでオリンピックぅ!」

「ほらっ、投票されるとこ、事務従事者の人にもちゃんと見てもらえ!」


 4人目の投票用紙が容赦なく小選挙区投票箱を責め立てる。5人目、6人目……投票者たちの手が投票用紙を携えて絶え間なく伸びてくる。


「ひぐう!? しゅごい、投票率しゅごい! これじゃ民意でオナカいっぱいになっちゃう! 投票用紙サイロになっちゃうう!」


 小選挙区投票箱に長蛇の列をつくっていた有権者が次々に投票挿入して箱内ナカ白いもの投票用紙をぶちまけていく。


「まだまだ終わりじゃないぞ。あとがつっかえてるんだ」

「うんっ、来てえ! 折ってもナカで開く投票用紙でわたしを満たしてえ!」

「オラッ投票されてイケッ! 孕め!」

「孕むう! 即日開票されて衆議院議員産むう!」


 おおぜいの有権者に続々と投票される小選挙区投票箱の嬌態をよそに、額の汗をぬぐった投票者1号が新たな投票用紙を片手にほくそ笑む。1号の眼前にはただ笑い続ける比例区投票箱の痴態があった。


「さあて、お次は比例区もイッちゃうぜ! オレサマの投票が待ち遠しかったか?」


 投票マワされている小選挙区投票箱の思考が、その一言で束の間戻る。「比例区ちゃん……比例区ちゃん!? お願い、比例区ちゃんは見逃してあげて!」

「日本は小選挙区比例代表並立制を採用してるからそうはいかないんだよっ……と」


 投票用紙を挿入されても比例区投票箱は口の端から透明なよだれを垂らしながら笑うばかりであった。


「えへへ、投票用紙らぁ。小選挙区で落ちた候補がゾンビみたいに復活したりするんだぁ……」


 ふたつの投票箱を投票おかした投票者1号が、3枚目の投票用紙を手にする。


「最後に仕上げだ! 有権者の声を一番神聖な場所で受け止めろ!」


 それに国民審査投票箱が絶望の悲鳴をほとばしらせた。


「ああっ、そんな、裁判官全員に×をつけた投票用紙なんて挿れないでぇ! 最高裁裁判官がみんな逝っちゃうううう」


 この世のものとは思えない光景に、小選挙区投票箱の断末魔の叫びがいつまでも響き渡った。

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