おまけ話 たとえわたしが魔王の娘であなたが勇者の息子でも

 診察を終え、わたしは家の近所にある小さな産婦人科からでる。


 今年の夏は暑い。少し歩いたら、もう汗がでてきた。


 住宅街のなかでコンビニもなく、涼む場所がない。そう思っていたら、ひさしの下に自動販売機があった。つぶれたクリーニング店のようだ。


 ひさしの影に入り、バックからハンカチを取りだす。


 汗をふいていてから、小銭入れをだした。自動販売機に硬貨を入れる。


 冷たい缶コーヒーを押そうとして、思いとどまった。少量のカフェインは気にしないでいいと聞くけど、それでも気になる。


 缶コーヒーはやめて、スポーツドリンクにした。


 スポーツドリンクを飲みながら、スマホを取りだし電話をかける。すぐに勇太郎がでた。


「あなた? うん。男の子だった」


 電話の向こうでは勇太郎が喜んでいる。『今すぐ帰る!』というので仕事が終わってからでいいと念を押した。


「待望の世継ぎ、が生まれるか」


 ふいに男性の声が聞こえ前を見た。いつの間にか、わたしの前に人が立っている。


 真夏なのに上下ともスーツだ。目深にソフト帽をかぶっている。その男が、ゆっくりと顔をあげた。


 うそだ。わたしが幼いころに死んだはず。


「お、お父さん・・・・・・」


 はっとして目をあけた。見えているのは天井だ。上半身を起こす。毛布がかけられていた。そして着ているのは制服だ。


 夢か。


 あんな映画を見たから、変な夢を見てしまった。『奥さまは魔女』だ。あれを見て思った。わたしが勇太郎と結婚したら『奥さまは魔王』になると。


 夢だけど父である魔王を見た。顔を見たはずが、いまはもう思いだせない。住んでいる祖父母の家に母の写真はあるが、父の写真はない。


 思えば、わたしの父は魔王だ。生き返る可能性はあるのだろうか。勇太郎の父、裕次郎おじさまが帰ってきたら、相談してみよう。


 わたしは豆電球の灯りをにらみつけ、つぶやいた。


「世継ぎ? だれがわたすものか」


 いや、でもそれは飛躍しすぎだ。わたしはまだ、きちんと告白の返事もできていない。


 そういえば、勇太郎の姿がなかった。リクラインニグのソファーを倒し、ふたりで映画を見ていたはずだ。


 まわりを見れば、勇太郎は床のカーペットで寝ていた。なぜか毛布もかけていない。


「なんとまあ、寝相の悪い」


 つぶやいてみたが、勇太郎は起きそうになかった。わたしにかけてくれた毛布二枚を勇太郎にかける。


 かわいい寝顔だった。高校生になったが、寝ている顔は小学校の五年生のときのよう。


 見つめていると、からだが、むずむずするような感覚になる。これは恋なのだろうか。はっきりと確信がなければ、とても勇太郎に返事はできない。


 それに別の問題もある。わたしと一緒にいて、勇太郎は幸せなのかという問題だ。


 中学のとき、勇太郎に好意があると思わしき女子はいた。わたしがいなければ、勇太郎はモテたのではないか?


 いや、でもダメだ。あの子は性格が悪そうだった。たしか中三で二股をかけてなかったか。勇太郎にはふさわしくない。


 勇太郎は気高き男だ。世界一の女性がふさわしい。そして可憐な女性が似合いそうにも思える。わたしはどちらかというと、男勝りなほうだった。


 わたしは小さく頭を振った。ここで結論がでる問題ではない。時計を見た。まだ五時か。


 考えごとをしていたら、はっきりと目が覚めてしまった。もう一度眠れそうもない。


 そうだキッチンを借りよう、そう思った。ご飯を炊き、お味噌汁を作ればいい。昨晩はハンバーガーだった。翌日の朝、勇太郎は和食が食べたいと思うかもしれない。


 しまった。この家にはダシがない。即席の粉末があるのは知っている。だが、わたしが教わった作り方は、いりこと昆布の両方からダシを取る作り方しか知らない。


 家へ取りに帰るか。でも、まだ祖父母は寝ているかもしれない。祖母にメッセージだけ入れておこう。


「お味噌汁の材料を取りに帰ります。起きたら知らせてください」


 メッセージを打ってテーブルに置こうとしたら、スマホが震えた。もう返事がきた?


「勇太郎くんに、だね?」


 おばあちゃんからのメッセージだ。もう起きてたんだ。


「そうです。朝食に、お味噌汁を作ろうと思いまして」


 もう一度メッセージを打って返すと、またすぐに返ってきた。おばあちゃん、意外にスマホに慣れている。


 そういえば、パソコンを教えてくれたのも、おばあちゃんだった。感心してスマホのメッセージを読む。


「思ったより早いねぇ。いつか、その日は来ると思ってたけどね」

「おばあちゃん?」

「負けられない戦いが、そこにあるよ」

「意味がわかりません」


 素早いやりとりの後、少し間があき、長文が返ってきた。


「一回目ってのは重要さね。おじいちゃん見てごらん。最初がおいしかったから、手を抜いてインスタントでも、おいしいって言う」


 言われみると、おじいちゃんが料理に文句をつけているのは見たことがない。


「具は決めてあるかい?」

「はい。勇太郎が好きなのは、卵、大根、油揚げ、です」

「さすが、あたしの孫だね。あの子がうちで夕飯を食べてるときに、あたしもそう思ったよ」


 おばあちゃん、よく見てる。さすが、わたしが師とあおぐ人。


「気合いを入れな」

「はい」

「大丈夫。玲奈ならできるよ」


 おばあちゃんのメッセージが入り、最後に「帰ってこいよ」というスタンプが押された。三味線を持った演歌歌手の女性が歌っているスタンプだ。


「よし!」


 小さく、それでも鋭くつぶやき、わたしは立った。


 床で寝ている勇太郎を見る。勇者の息子。そして、わたしは魔王の娘。


 あのときは聞いた瞬間に、終わったと思った。勇太郎の恋心は錯覚で、わたしの前からいなくなる。そう思った。


 ところが勇太郎は、まったく問題にしなかった。そんなことは重要じゃないと、その後も何度か言っている。


 勇太郎は正しい。私もそう思おう。そんなことより、合わせ味噌の割合をどう決めるかのほうが、よっぽど重要だ。


 ふたりで食べる朝食。その雰囲気は、きっと勇太郎のやさしさに包まれている。白味噌を多めにしてみよう。


 ダシと味噌、それに大根。家から取ってくる品を思いながら玄関をでた。


 うす暗い住宅街。でも、早朝のさわやかな空気がただよっている。朝もやのなか、スキップしたい気持ちを抑え、わたしは自宅へと駆けだした。




 おまけ話 おわり



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たとえ、おれが『勇者』の息子で、きみが『魔王』の娘でも 代々木夜々一 @yoyoichi

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