第49話 魔のタワー8階の芝生

 八階だ。屋上までは、おそらくあと三つ。


 上層階はフロアも階段も電気が点いている。それに生活臭がした。あいつはこのビルで暮らしているのか。


 持ち主とは言え、工事中のビルに住むなんて不健康そう。そう思ったが、八階のドアをあけると考えを改めた。ワンフロアぶち抜きの大きな空間。そこに人工芝が敷かれていた。


 そういえば、ピラニアのいたプールには、デッキチェアがあった。最近になってピラニアを放したように思われる。プールがあって、さらにこの運動場。かなり健康的。


 人工芝が拡がるフロアの向こうにドアが見えた。もうこのジグザクに設置された階段が面倒臭い。


 ゆくゆくはエレベーターが設置されそうな区画はあった。上から下までズドンと空いた穴だ。だが、エレベーターの機械は入ってない。毎日の登り降りが大変じゃないかと思ったが、あいつには羽があったわ。


 人工芝の上を歩く。そして足を止めた。よくよく見ると、フロアのはしに犬小屋がある。右の角に一個。左の角にも一個。


 足音をさせないようにバックした。フロア中央の右、その壁ぎわにも犬小屋。


 犬小屋の中に赤い目が光った。おれは背を向け走りだす。


 登ってきた階段の部屋まで駆けもどり、ドアを閉めた。


 犬、犬かー! まあ、そりゃそうね。猫がいたら犬もいる。しかも犬小屋は何個もあった。


 使えそうなのは、氷の魔法が発動するという水晶玉。通称『ブリザード・ボール』が三つか。でもそれは、瀬尾との戦いまで取っておきたい。


 そうすると、残りは『魔法のランプ』と『消える金貨』だ。どちらも、おどろかせる効果しかない。しかも金貨のほうは、相手が人間じゃないとおどろかないじゃん!


 ・・・・・・むむ。いや、そうなのだろうか。


 考えてみると、このバックに道具を入れたのは、坂本店長だ。道具屋、そのプロフェッショナル。


 高校生になって、まだ日も浅いが、この『プロフェッショナル』という言葉を痛感する日々だ。


 室田夫人はハンバーガー屋の店員としてプロフェッショナルだ。『精霊様があらわれた!』という混乱の中、完璧な接客だった。あれ、おれだったらと思うと無理。


 いやいや、プロというなら『祈り』のほうか。室田僧侶の祈る姿、それはそれは崇高なたたずまいだった。


 旦那さんである室田先生は、もう数学のプロだ。今日もそれを痛感した。


 そういや、あの弁当の仕込みをするオバチャンもそうだ。玲奈も早貴ちゃんも料理はできるが、プロまではいかない。オバチャンの包丁さばきはプロだった。実際にベーコンを切るだけで、おれが切ったのは不味まずそうで、オバチャンが切ったのは美味うまそうだった。


 考えた。坂本店長という道具屋のプロ。それが選んだ道具だ。使えそうにない道具を、このタイミングで入れるか? まあ、オニギリは一番下で潰れてたけども。


 これはひょっとすると、ひょっとする。『消える金貨』の袋をリュックからだした。袋をあけて一枚を床に置く。


 なにか手頃なものはないかと周囲を見まわしたが、なにもない。上着のボタンを一個引きちぎった。


 金貨にボタンを乗せる。


 考えられるのはこれだ。玲奈が使った『封じ箱』では、死神につかまれた状態で箱をあけると巻きこまれる。これもそうじゃないのか?


「消えろ!」


 消えない。なにも消えない。んー。


 ああ、これもそうか。イメージだ。封じ箱でも、死神を吸いこむイメージが必要と言っていた。


 ならば、もうちょっとイメージしやすくするか。右手をあげて指を鳴らす準備をしておく。マジシャンっぽくやってみよう。


 金貨とボタンが消えるイメージ。金貨とボタンをヒュン! と消すぞ!


「ナウ!」


 パチン! と指を鳴らした。消えた。金貨とボタンがない。周囲を見まわすが、どこかに移動したわけでもない。


 そうなるとだ。


 ポケットからキャットフードをだす。このキャットフードの宣伝文句は『猫まっしぐら!』だったはず。『犬まっしぐら!』にもならないかな。


 缶のフタをあける。金貨の半分ぐらいまで、キャットフードにべっちょり付けた。それを左手に持っておく。同じことをもう三回。


 左手で、トランプでも持つように四枚の金貨を持った。リュックを背負い、盾は脇にはさむ。


 ドアをあけ、中に入った。


 小脇に挟んだ盾をそっと人工芝に置く。


 犬小屋は四つ。手前、右の犬小屋からでてきた。赤い目をしている。左手に用意した金貨を一枚取った。フリスビーのように投げようとして思いとどまる。ここは横投げ、サイドスローだ!


 野球をやっててよかった! 妙に感心しながらふりかぶる。コントロール重視で投げた。


 金貨は少し高めに浮いた。犬の頭を越えるかと思ったとき、犬は華麗なジャンプを見せて金貨をキャッチ。


「ナウ!」


 パチン! と指を鳴らす。金貨と犬が消えた。


 左の手前にある犬小屋からも犬がでる。すばやく左手の金貨を取って投げる。犬がキャッチ!


「ナウ!」


 パチンと指。二頭消した!


 右の奥、それに左の奥にある犬小屋から、低いうなり声。二頭同時にでてきた。いま投げても届かない。さきに投げて犬の前に落とすか。いや、それだと金貨を無視しておれに来るかもしれない。


 ほんの数秒悩んだ瞬間に、二頭は同時に駆けだした。すごいスピードでおれに来る。これ一頭ずつじゃ間に合わない!


 右、左と連続で投げた。ふたつとも犬の正面。反射的に犬が金貨を口でキャッチ。


「ダブルナウ!」


 右手と左手、両方の指をパチン! と鳴らした。


「イエス!」


 二頭同時に消えた。二頭消えるイメージになるように、両手の指パッチン大成功!


 ウー、と低いうなり声が聞こえる。いや、全て消したはず。そう思ったが、まちがいだった。右の奥にある犬小屋から、もう一頭。


 よく見れば、右奥の犬小屋だけ少しデカイ。ひとつの犬小屋に二頭いたのか!


 犬がおれに向かって駆けだす。


 リュックの中にある道具をだすひまはない。ポケットにある炎のナイフをだし、さやをぬく。ナイフを右手に持ち、地面の盾を左手でひろった。


 近づいてくる。シベリアンハスキーか。普通の犬より大きい。魔獣化しているせいか見るからに凶暴。牙をむきだしにして駆けてくる。


 おれは低い姿勢でかまえた。犬が目の前にせまる。ナイフを突きだした。犬はさっと身をかわし、おれの右足首に噛みついた!


「痛っ!」


 そのまま引っぱられ倒れた。すごい力で引きづられる。人工芝でつかむところがなかった。


 引きずられていく。人工芝のつなぎ目が見えた。盾を放す。からだをひねってつかんだ。マットががれるように人工芝がぐるりと曲がる。


 一瞬止まった。その隙に犬のうしろ足を左足の底で蹴る。思いきりだ。すとんと犬が倒れた。それでも犬は噛んだ口を離さない。からだを起こす。そして犬に倒れこむようにしてナイフを突き立てた!


 ナイフは犬の脇腹に刺さった。そのままナイフから手を放し、転がって犬から離れる。


 犬を見ると、ナイフは刺さったままだ。その傷口からガスバーナーのように炎が吹きだしていた。


 犬は前足でナイフを引っかけようとするが、ナイフはぬけない。ひょっとして、刺さるとぬけないのか、このナイフ、意外にすげえ!


 思えば、親父と坂本店長は盟友のような関係だ。その息子にわたす武器、選りすぐりをわたすか。『果物ナイフ』と言ってサーセン!


 犬はナイフが刺さったまま、しばらくもがいていたが、やがて動かなくなった。傷口から漏れでる青い炎も止まる。


 犬は倒せた。さてどうするか。痛みに顔がゆがむ。噛まれた足首は血だらけだった。とても歩けるような状態ではない。


 おれのミスがどこかわかった。最初だ。薬草を全部使った。頭のいいやつなら、二枚ほどは残しておくだろう。


 ポケットから霊薬エリクサーをだす。いま使うべきか。玲奈がケガをしている可能性もある。なるべくなら使いたくない。


 ひとつ、ため息をついた。プロフェッショナルとは、ほど遠い。親父ならもっと上手にやるだろう。


 まあ悔やんでも、しょうがないか。おれは霊薬エリクサーのコルクを抜いた。そして全部飲むか、半分飲むか。そこも悩む。


 決めた。全部飲もう。右足の痛みは、気を失いそうなほど痛い。肉が裂けているのはわかるが、悪くすれば骨も折れている。もし中途半端に回復したら、意味がない。


 一気に飲んだ。


にがっ!」


 いままで飲んだ薬で一番苦かった。『良薬は口に苦し』と玲奈のじいちゃんが前に言ってたから、理屈どおりなら・・・・・・


「うおっ、キクー!」


 思わずさけんだ。朝一番で風呂に入ったような爽快感が走った。力がみなぎる。


「よっしゃ、だれでもかかってこい!」


 気合いを入れ、立ちあがる。テンションもMAXだ。しかしこれ、アゲアゲ過ぎて冷静に戦えるだろうか。


「いや、おれは無敵だー!」


 ほとばしるような勢いで、おれは犬の死体からナイフを抜き、リュックをひろいに走った。

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