第20話 悪女ってなんだろうか
「おいおい、なにやってんだ」
坂本さんは言うが、顔は上げない。正しい土下座は、相手が顔を上げろと言うまで、上げないのがルール。
ちなみにこれは、親父に教わった。親父は十年目の結婚記念日、その前日に思いもよらない旧友と会って酒を飲みすぎ大寝坊したそうだ。いま思えば、その旧友とは坂本さんだろうな。
「勇太郎、顔を上げてください」
「はっ!」
顔を上げた。玲奈は真剣、というか心配そうな顔をしている。坂本さんは、ぽかんと口をあけていた。
「勇太郎、なにを言いたいのか、わかるように説明してもらえますか」
「はい! この山河勇太郎、あらいざらい『マスタード未遂事件』をここに白状いたします!」
もう一度、深く礼。
「時は金曜、推定時刻23時30分。場所、山河勇太郎の自宅・・・・・・」
こういうのは正確さが重要だ。もはや取り
嫌われるかもしれない、軽蔑されるかもしれない。それでも、そのウソによって多くの人が損をするのは防げるだろう。ピンチのトランプを消去すれば店の損だし、そのトランプで救われる人も未来からいなくなる。
いや、そもそも、玲奈にウソをつくというのが、まちがいだったのだ。朝に会ったF組の小林さんは正しかった。
「・・・・・・というのが、本当の話でした。ウソをついて、ごめんなさい!」
全てを話し、もう一度、頭をさげる。
座下座で頭をさげた体勢だ。床がすぐ目の前にあった。その床を見つめ、おれは思った。さようなら、おれの恋。さようなら、わが青春。
しかしなぜか、ティーカップがカタカタと鳴る音が聞こえた。ふたりのどちらかが、カップに水を入れ、湯を沸かしているのだろうか。なぜこのときに?
顔を上げると、カップがカタカタ鳴るのがわかった。玲奈がカップをソーサーに乗せたまま固まっている。そして微妙に震えていた。カタカタという音はそのせいだ。
いや、それを言えば、坂本さんもカップを口に持っていった状態で固まっている。
「ぶひゃ!」
坂本さんが芋焼酎を吐いた!
「あひゃひゃ、あー!」
笑いながら口からは芋焼酎がしたたっている。
玲奈は目を閉じ、口元を隠して震えている。玲奈も笑っているのか!
「ダメだ! 話がなげえから、途中で芋焼酎を飲もうとしたが、失敗だった。もう飲みこむこともできねえし、話はさえぎれねえし、地獄だな!」
坂本さんは部屋からでて、タオルを持って帰ってきた。
「いやあ、まいった、まいった」
坂本さんは、まだ笑いながらタオルで口元をぬぐう。
「玲奈ちゃん、よくこんなのと、いつも一緒にいれるな」
玲奈はうなずいてはいるが、まだ目は閉じていて、くつくつと笑いをこらえている。そして目をあけると、大きく息を吐いた。
「勇太郎には、いつも笑わせていただきますが、今回は特大すぎました」
坂本さんがイスに座り直し、腕を組んでまじまじと、おれを見た。
「まあ、そうか。おめえは真剣だからなぁ。そっち側はそうなるか。笑って悪かったな。なあ?」
坂本さんは最後を玲奈へ向けて言った。
「はい。笑ってはいけない話だと思いますが、こらえきれませんでした。申しわけありません」
玲奈まで、おれに頭をさげた。まったく意味がわからない。
「状況が、わからないって顔だな」
おれはうなずく。
「そうだな、まず、おめえの問題は」
おお、きた。
「考えすぎだな!」
「えっ?」
玲奈を見たが、玲奈もうなずく。
「ひとつ今後のために、お願いしておきます。マスタードはぜひ取ってください」
話している最中で思いだしたのか、また目をぎゅっとつむった。笑いをこらえているようだ。
「しかし、ひとつ謎があるな」
謎、謎とはなんだろう。
「おめえ、いつまで地ベタに座ってんだ。こっちに座れ」
言われてテーブルのイスにもどる。
「玲奈ちゃん」
呼ばれて玲奈が、はっと真剣な顔になり、坂本さんを向いた。
「こいつと会ったのは、いつだ?」
「小学校の五年です」
「好きだと言われたのは?」
「中学校一年、いえ、ハッキリ言われたのは二年です」
あれ、おれは一年で言ったつもりだけど、伝わってなかった。
「なげえ話だよなぁ」
「はい。そう思います」
「こいつに申しわけねえ、とは思わねえかい?」
うん? なんの話だと思ったが、玲奈は目をぎゅっとつむった。しかしそれは、笑いをこらえてはいない。苦悶の表情だ。
「はい、申しわけないと思っています」
「そうか」
坂本さんは、大きくため息をついた。意味がわからない。おれは反論を口にした。
「いやいやいや、別に玲奈は悪くねえし。おれが好きなだけだし?」
坂本さんが、おれを向いた。
「おめえは、そう思うだろうがな。世間一般では、そこまで長く答えをださねえってのは、ちょっと悪女だな」
そんなことはない。そう思ったが、玲奈もうなずいている。
「ただ、それは、玲奈ちゃんもわかってるんだな」
玲奈はひとつ大きく息を吸い、口をひらいた。
「勇太郎の恋、または愛というべきなのか。それは、わたしも他に類を見ない大きなものです。これに
おれはおどろき、思わずイスにのけぞった。
「玲奈、大げさすぎ!」
「おめえ、この子が危険になったら飛びこむだろ」
「そりゃ、もちろん!」
「だめだ、こりゃ」
坂本さんはイスから立ちあがった。
「まあ、ふたりとも、急がずあわてず、だな」
もちろんだ。おれは別になにか結論が欲しいわけでもない。玲奈が好きだ。ただそれだけだった。
「いやあ、今日は、いい酒飲めそうだ」
「坂本さん、どこ行くんです?」
「うん? 近所の焼き鳥屋だ」
さっきも飲んでたのに、ここから本格的に飲むんだ。
「おっ、そうだな。いい話を聞かせてもらった礼に、まだ食えるなら、おめえらもなんか食うか?」
玲奈と見合う。ふたりとも、もちろん行くという顔だ。
玲奈がおじいちゃんに遅くなると電話を入れるのを待ち、おれと玲奈と坂本さんという、見た目が全くちがう三人で、夜の街にでかけていった。
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