第17話 ナイチンゲール超えた

「葉月くん、いまなんと?」


 ガマ教頭こと、鎌ケ谷かまがや教頭が玲奈に聞き返した。


「あなたの尺度で測るなと申しました。勇太郎への侮辱ぶじょくです」

「ずいぶんな口調だね、葉月くん」


 おっと、ガマ教頭も少し怒った顔だ。これ、やばくね?


「そちらこそ、ずいぶんな言葉。好きな女性がいたら手をだすというのは、あなたの価値観。それを押しつけないでいただきたいです」


 ガマ教頭が笑った。


「きみは女の子だから、わからないと思うがね。男というのは性欲がある。幻想を壊すようで悪いが、気をつけたまえ」


 玲奈の雰囲気が変わった。


「おまえ、いよいよ、あほうだな」


 やべえ、これ【魔王モード】だ。


「あー! おなか痛い!」


 おれは、はらを押さえてうずくまった。


「教頭先生、ちょっと、トイレ行っていいっすか?」

「我慢したまえ」

「うわぁ、できるかなぁ。朝からゲリだったんで・・・・・・」


 そして素早くケツを押さえる。


「あっ、やべっ、ちょっと出た」


 さすがにガマ教頭の顔色が変わった。


「し、仕方がない。となりに教職員トイレがある」

「すんません! 葉月さん、おれのカバン持ってくれる?」


 玲奈も連れださないと意味がない。しかし、ここで素にもどった玲奈が発した言葉が、下手を打った。


「だいじょうぶですか勇太郎。ああ、失敗です。朝に体調を確認しとけば良かった。あいにく、お弁当は唐揚げなど、消化に悪いものばかりを作ってしまいました」


 うおっ、玲奈の唐揚げ、気分もアゲアゲ! そんなオジサンギャグが思い浮かんだときだった。


「家族以外からの飲食物は、持ち込み禁止と校則で決まっておる」


 ・・・・・・えっ?


「校則を読んでいないのかね。校内へ持ち込める飲食物は、その家族が作ったもの」


 玲奈があきれた顔でふり返った。


詭弁きべんですね。両親が作れなかったら、どう対処すればよいのですか?」

「その場合『両親が買って用意したもの』だ。本人が買うなら学校の購買だ」

「両親が買ったと、どうやって証明するのです?」

「それは現場の判断にまかせておる」


 やれやれ感たっぷりに、玲奈はため息をついた。


「規則は原理原則でないと意味がありません。おのおのの先生が解釈しだいでどうにでもなります。おそらく長年にわたり改訂されていないのでしょう。時代に合わせる必要を感じますが?」


 ところが、やれやれ感でため息をついたのは、ガマ教頭もだった。


「ここは創立百年を超える由緒ゆいしょ正しき高校。自由を謳歌おうかしたいのであれば、転校すればよかろう。それこそ、近年にできた私立では、きみのいう時代に合っているやもしれん」


 なんだか、こっちの旗色が悪そうだ。


「あー、肛門やばい! 玲奈、行こう!」


 教頭室から退出する。教職員用トイレは男女共用だったので、玲奈とともに入る。男女共用かよ。これ、女性の先生は大変だな。


「はー、イヤミなやつだったなぁ!」


 だれもいないのを確認し、ひと息ついた。


「勇太郎、おなかはいいのですか?」

「ごめん、ウソ。玲奈がめっちゃ怒りだしそうだったので」

「ええ、あの男があまりに失礼でしたので、徹底的にやりあってみようかと」


 おおう、やっぱりスイッチ入ってた。


「ヤバくね。まあ、玲奈がいよいよ居心地悪くなったら、おれも転校するけど」


 玲奈が片手で自分のアゴをつまむ。考えるときのポーズだ。


「教頭室というのは、ある学校とない学校に分かれます。ここの学校は教頭室を作っていました」


 そう言われればそうだ。中学のときは校長室はあっても、教頭室はなかった。


「そして、わたしたちふたりを呼んで、たったひとりで対応しました。おそらく、わたしの組の担任が報告したのでしょうが、普通なら、まず担任が話をしそうです」


 それもなっとく。教頭って、いきなり中ボスである。まあラスボスの校長じゃなくて良かったけど。


「あの男、かなり自己顕示欲があり、自分に自信もある男だと思うのです。このさきも理解しあうことはない。ならばさっさと戦ってみようかと」


 わちゃ、いとしい人は計算ずくだった。


「ごめん、そうなると、おれの判断ミスだわ」

「いえ、わたしの判断が必ずしも正しいとは思っていません。家から近いここが、一番に便利なのも事実ですし」


 そう、おれと玲奈は『家から一番近い』というナメた理由で選んだ。それは失敗だったかも。


「まあ、それより、勇太郎が脱糞だっぷんしていなくてなによりです」

「だっ!・・・・・・」


 美女の口から脱糞という単語がでると、違和感がすごい。


 ともかくトイレに行くフリをしただけなので、そろそろいいだろうと、教職員用トイレからでた。


 ふたり並んで一年生の教室がある四階へと、階段をあがっていく。


「お弁当、どうしましょうか?」


 そうだ、それがあった。教頭からおれの担任へ話は伝わるだろう。またイチャモンつけられるのも面倒だ。


「焼きそばパンでも買うよ」

「そうですね。無為に波風立てる必要も感じません」

「昼飯、今日は別々に食うか」

「そうですね。それが得策です」


 中学までは給食だったので、高校になって一緒に食べるのを楽しみにしていた。それがのっけからこれ。前途多難だ。


「ごめんよ、せっかく作ってくれたのに」

「それを言うのは、わたしのほうでしょう」


 四階に着いた。玲奈はほほえみ、自分の教室であるF組へと向かう。そのうしろ姿をながめた。


 さきほど、やりすぎで『ちょっとウンコもれた』と演技した。玲奈は心配し、おれに付き添おうとしたのである。それもさも平然と。ナイチンゲールも真っ青のやさしさだ。


れてまうやろー! いや、もう惚れてた!」


 そんな言葉をさけびたかったが、さすがに口にはせず、A組の教室へと歩きだした。

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