第15話 映画を見ながらポテト
ハラ減った!
家に着くころには、すっかり陽は沈んでいた。
「さすがに、おなかがすいたな」
おれは玄関の鍵をあけながら玲奈に言った。うしろに立つ玲奈がうなずく。おお、なんか新鮮これ!
親父は画家なので、家が職場だ。いつも家にいる。それが今日はだれもいない。だれもいない家に玲奈と帰る。結婚したらこんな感じだろうか。
毎日が玲奈とふたりきり。なんて世界だ。やばい。もう異世界。そんな世界は、ピンク色の空気で満たされていそうだ。
「勇太郎?」
「お、おう」
おれは鍵をあける途中で固まっていた。気を取りなおし鍵をあけ、玄関に入る。
家の電気を点けながらリビングへ。すぐにTVとブルーレイの電源も入れた。
映画を見ながらバーガーを食べよう、そう思っても、もたもたしてると映画の本編が始まる前に食べ終えてしまったりする。
おれは自分の部屋に走り、ランニングシャツの上からパーカーを着た。これで放浪の画家、山下清は卒業だ。
リビングにもどり、腰をおろしかけて気づいた。
「あっ、ポテトにケチャップつける? 小皿に入れてくるわ」
おれは、ふたたび立ちあがった。
「ブルーレイ、もう入れてくれていいよ」
「どれから見ましょう?」
「まかせる」
「ご飯を食べながらですから、殺人などないほうがでいいでしょうねぇ・・・・・・」
玲奈のつぶやきを背中にキッチンへ行く。小皿をだしてケチャップを盛り、リビングにもどった。TV画面には映画会社のマークが映しだされている。
ソファー前のテーブルには、すでにハンバーガーやポテトが並んでいた。
「今日のは、何年代?」
「すべて1940年代です」
40年代か。ぜんぶ白黒だな。
テーブルの上にあるコーラを取る。ストローもすでに刺さっていた。
駅前のハンバーガー屋は、ドリンクを氷なしにすると、少し多く入れてくれる。同じチェーン店でも、となり街の店で氷なしをたのむと、単に氷がなくなり水かさの減ったコーラがでてくるのだ。
難点としては、氷がないのでぬるくなる。そんなコーラをおれは口に入れた。
「ぶーーーーーーーーーーーー!」
思わずコーラを吹きだした。
「ゆ、勇太郎?」
「ごめん、ほんとにごめん!」
あわててキッチンに走り、タオルと雑巾を持ってくる。
「ああ、いいっていいって、すぐ拭けるから映画見といて」
腰を浮かしかけた玲奈に言った。映画はすでに冒頭シーンに入っている。
コーラを吹きだしたのは、この映画が『奥さまは魔女』だったからだ。さきほど玲奈と結婚したら、なんて妄想をした直後だったので、あまりにおどろいてしまった。
コーラのかかったソファーと床を拭き、やっと落ち着いて座る。テーブルのハンバーガーやポテトにはかかってなくて安心。
「これ、映画だったんだ。アメリカのドラマだとばかり思ってた」
「そうですか。わたしは、そのドラマを存じませんので」
ポテトをかじりながら、映画をググる。ほんとだ1942年。映画のほうがさきなのか。魔女役の『ヴェロニカ・レイク』という女優は、ちょっぴり玲奈に似ていた。
主演女優がちょっぴり玲奈に似ていたため、ドキドキしながら映画を見たが、重大なまちがいに気づいた。玲奈と結婚したら『奥さまは魔女』じゃない『奥さまは魔王』だ。
一本目の映画でハンバーガーは食べ終わり、二本目はアップルパイを食べながら見た。映画は『ニューオーリンズ』というミュージカル映画だった。
この映画でおれは、動くルイ・アームストロングを初めて見た。映画の中で演奏するバンドのリーダーが『サッチモ』こと、ルイ・アームストロングだったからだ。
一本目、二本目、どちらもなかなか面白かった。ところが問題だったのは三本目。
日本の映画も入れておこうと、玲奈が選んだのが『晩春』という作品。監督は小津安二郎。おれも名前だけはどこかで聞いたことがある。
なにが問題って、まあ画面に動きが少ない。展開が遅い。これはこれで味なのだろうが、人生初の戦闘をし、ちょっぴり疲れた状態で見るとどうなるか。寝ちゃう。
気づけば映画は終わっていた。リクライニングソファーの背を倒して観たのも寝ちゃう原因かもしれない。となりの玲奈もぐっすり寝ているようだった。
そうか、おれも疲れているが、玲奈のほうが疲れているかもしれない。戦闘前には、めずらしく緊張している玲奈を見た。
TVとブルーレイを消す。さてどうするか。
和室の押し入れから毛布をだし、玲奈にかける。いや、一枚だと寒いかな。
もう一枚の毛布を持ってきて、それを玲奈にかけたところで、彼女の
そういえば、チキンナゲットが一個だけ残っていた気がする。テーブルの上を見ると、ハンバーガーの包み紙やポテトの入れ物は袋にまとめられていた。おれが寝たあとに片付けてくれたんだな。
おれは魔法にでもかかったように、彼女の唇についたマスタードから目が離せなくなった。
なんという美しい唇。今日はリップをつけていないはずだが、その唇は
とにかく綺麗な唇だった。
おい待て。おれはさきほどから、寝ている玲奈の唇を見つめている。失礼ではないか。
いや待て。こんなにじっくりと、玲奈の唇を見るチャンスもない。さわってもいいぐらいだ。
おいおい、なにを馬鹿な。そんなことしたら、玲奈との友情は終わりだ。
いやいや、よく見ろ。マスタードがついている。取ってあげないと。
おいおい、そんなの放っておいても問題ない。
いやいや、マスタードは刺激物ではないか。つけたままはよくない。
少し空気が薄く感じる。深呼吸をした。よし、とりあえず離れよう。
とりあえず離れて座ることはできた。おれはなにを取り乱しているのか。たかがマスタードではないか。
がさりと、横で動く音がした。なにかはわかる。玲奈が寝返りを打った。見ちゃダメだ。見ちゃダメだ。見ちゃダメだ。見ちゃダメだ。
・・・・・・見ちゃった。
寝返りを打ち、上を向いた玲奈。ふさわしい言葉はひとつだけ『眠れる森の美女』これだ。ただし、マスタードはついている!
TVを消してしまうと物音ひとつしない家だった。当たり前だ。この家にはおれと玲奈しかいないのだから。
・・・・・・玲奈、すまん。おれはダメな男だ。マスタードに負けそうだ。
ズボンのポケットに手を入れた。欲しいものがそこにあった。ポケットから抜き取る。
「助けてくれ!」
ピンチのトランプ。箱の封を切る。一枚取りだした。
クローバーの13。キングだ。
「ん?」
キングの絵柄は剣を持っていたはず。それがなぜかハンマーだ。
ハンマーを持ったキング・・・・・・北欧神話の雷神トールか?
そのとき、くわっとキングの絵柄が怒り、持っているおれの指にハンマーを打ちつけた!
「ぎゃあああぁぁぁぁぁ・・・・・・」
全身に電気が通ったような痛みが走り、おれはそのまま、気を失った。
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