第7話 魔王娘は初めて怒った

 玲奈が自分の手を見た。


 薬草のくっついた手を少し動かす。葉は茶色くなり、ひとりでに落ちた。


「とても幼いころ、母から一度だけ聞いた覚えがあります。おかあさんは魔王にだまされ、恋に落ちてしまったのよと」


 玲奈の両親は事故で死んだ。ある港で、ふたりが乗る車ごと海に落ちたと聞いた。事故なのか自殺なのか、わからないらしいと玲奈は言っていたが、こうなると別の線も見えてくるんじゃないか。


 幼なじみは表情のないまま、言葉を続けた。


「わたしは、なにかの比喩ひゆ、例えだと思っていました。母をだました男は、相当に悪い人だったのだろうと。ですが、まさか、実話だったとは」


 玲奈が冷笑を浮かべる。美人が冷笑すると『氷の微笑』とはよく言ったものだ。それでも、玲奈にそんな冷笑は似合わなかった。


「っぽい!」

「はっ?」


 玲奈が首をかしげた。


「魔王ってのは、それっぽいって言ったんだよ。いつも冷静、そして頭脳明晰めいせき

「勇太郎、魔王です。完全に悪人の」

「んなことない! 玲奈はやさしいし」

「やさしい?」

「それに、なんて言うの? そう、清らかだ!」

「二度目になりますが『あばたもえくぼ』って知ってます?」

「あなたのエルボー?」


 玲奈はツッコムかと思いきや、おれを無視して親父のほうを向いた。無視された『ゆうちゃん』二世、悲しい!


「おじさま」

「なにかな? 玲奈ちゃん」

「わたしは、退治されるべき者でしょうか。それとも、みずから命をつべき?」


 親父は引きつった笑いを見せた。


「おおげさだなぁ、冷静な玲奈ちゃんらしくない」

「いえ、冷静です。おじさまの友人はテーブルの裏にある剣かナイフから手を離さない。つまり、わたしとはそういう対象でしょう?」


 親父がぎょろっと、坂本さんをにらんだ。おれは瞬時にかがみ、テーブルの下を見た。テーブルの裏に大きな包丁入れみたいな物がある。そこに剣があり、剣のつかを坂本さんがにぎっていた。


「ドルーアン」

「オルバリス、魔王だぞ、災悪の根源であり魔族の頂点!」

「それは親だ。この子は関係ない」

「しかし!」

「私を信用しろ! この子は私も、小さなころから知っている」


 迷っていたが、坂本さんは両手をテーブルの上にだした。


「信用してくれて、助かるよ」

「勇者オルバリスを信用せん者など、ウル・フォルニアにはおるまいて」

「昔の話だ」


 親父は坂本さんの肩をたたいて微笑ほほえんだ。親父、どんだけ有名人なんだ!


「まあ玲奈ちゃん、子は子、親は親だ。気にすることはないと思うぞ」

「気にします。重大なことがあるでしょう。気づいているのに言わないのですか。それとも、気づいていない?」


 親父は肩をすくめた。わからないというジェスチャーだ。


「まあ、それより死神だな。武器は・・・・・・」


 玲奈が、おれに指をさした。


「勇者と魔王。それでわかりました。初めて見たとき、なぜか勇太郎に憎しみがわいた!」


 今日イチのショック。出会いは、これ以上ないマイナスからのスタート。


「じゃあおれ、嫌われてるのに、がんばったんだな。グッジョブ昔のおれ」

「そうじゃないでしょ!」

「うん?」

「あなた、馬鹿じゃない!」


 おお、ここまで怒る玲奈をはじめて見る。怒ると、なんだか今日の女子、小林さんみたいな口調になるんだな。これはこれでとうとい。


「まあ、マイナスからプラスへの成長、がんばるぜ!」


 玲奈が頭をかかえた。そして、くわっ! とおれをにらむ。


「プラスなんかないでしょ!」

「はぁ?」

「あなたが感じたのは『危険信号』よ。胸のドキドキは防衛本能、好きだと思ったのは、かんちがい!」


 ああ、やっと言わんとしてることがわかった。


「ダイジョブ。それはないから」

「えー、もう、これ以上の説明むり!」


 目を見ひらき両手を広げた玲奈、ここまでおどろく玲奈を見るのも人生初か。なんだ? 今日は・・・・・・ラッキーデイってやつか?


「玲奈、おれの心に芽生えたのは『好き』という感情だ」

「だ・か・ら、かんちがいなの!」

「それはない。それはもう、海と空をまちがえるぐらいだ」


 平行線をたどるおれらに、親父が「あー」と、まぬけな声を漏らした。


「それは説明するのは無理だなぁ。また説明も要らないし」

「だろっ、親父」


 親父は玲奈に向いた。


「愛という物は、つかむとわかるんだ。かくいう私も、母さんに会うまでわからなかった」


 おう親父め。息子の前で、のろけやがった。


「玲奈ちゃん、勇太郎は嫌いかい?」


 玲奈が首をふる。セーフ!


「勇太郎のことは、好きかい?」


 小首をかしげた。アウト!


「そういう感情は、正直わかりません」


 おう、ファウルかな。ファウルボールにご注意ください。


「一緒にいて、楽しくない、または腹が立つとか」

「腹が立ったことは一度もありません。いまをのぞいてですが。いつもは、楽しい、そういう感情です」


 イエス、ヒット!


「おれ、一塁には進んでんじゃん!」

「おい息子よ」

「おう?」

「盗塁はするな」

「なるほど、コツコツ打てと」

「そうだ。大きい一発も狙うな」

「了解です。監督」


 親父、よくおれの考えがわかったな。さすが勇者!


「まあ、玲奈ちゃん、だいじょうぶ。心配はない」


 となりの坂本さんは、腕を組んでのけぞっていた。


「ちょっと上に行ってウイスキーを取ってきていいか?」


 おおっと、ドワーフは、やさぐれてしまった。


 とりあえず玲奈も落ち着いたので、四人で座る。


 親父の説明では、二代目というのは魔力を少し受け継いでいるらしい。三代目になると、なくなっている場合も多いとのこと。


「玲奈ちゃんは、親が魔王だからな。半分になっていたとしても、魔力は甚大な可能性がある。いまは眠っているようだが」


 玲奈が真剣な顔でうなずいている。


「魔力が暴走するようなことはないですか?」

「それは映画の見過ぎだ。ないと断言する」

「なら、人に危害がおよぶようなことはないと」


 安心したようにイスに座りなおした。ほらね、この子はやさしい。


 鉄の女、感情ナシ子、いばりんぼ、子供のころから玲奈を嫌う人は色々と言った。でもね、おれは、きみがやさしい子だってことぐらい、とうにお見通しなのよ。


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