第29話(運命)

 次の日の朝、抱き枕のように抱かれたまま眠っていた俺は、自分とは違う体温の心地よさと、首筋を撫でられるくすぐったさで目を覚ました。目を開けると、優しく微笑む先輩の顔が目の前にあって、今までの人生の中で、最も幸せな朝だった。二人で並んで洗面台の前に立って、歯を磨いて、顔を洗って、そういったいつもやっていることで時間を共有していることが幸せで、世界がカラフルに色づいて見えた。

 そして、先輩に噛まれた左耳には、歯形がくっきりと残り、青紫に変色していた。花を咲かせるためにある程度の強さで噛む必要はあるものの、必要以上に強く噛んだ自覚があるのか、先輩は傷を酷く気にしていて、消毒だけでは飽き足らず、結局ドラッグストアでガーゼや医療テープを買ってきて手当をされた。

 数日たって、鬱血が黄色っぽく色を薄くしていくにつれ、耳たぶの部分だけが赤く色を残し、それがまた日を追う毎に花のような形になっていった。結果的に、俺の左の耳たぶには、直径一センチ程度の痕が残った。噛む場所が異なれば、もっと大きな花の痕を付けることもできるらしく、最初のうちはあまりに小さなその花に先輩は少し不満そうだった。でも、銀色の髪の間から赤い花がチラチラと見え隠れする様が気に入ったのか、今では髪と一緒に耳を触るのが先輩の癖になった。人目を気にせずどこでも触るものだから、恥ずかしいわ擽ったいわで困ることも多いけど、その痕が彼から愛されている証拠だと思うと、周囲に見せつけたくなることもあって、我ながら心の変化に驚かされる。



 四月に入り二年になると、クラス替えで運良く公人と直哉と同じクラスになることができた。実際にそれが本当に運によるものなのか、何かしらの力が働いたのかは俺にはわからない。でも、そういう裏の事情的なことは、俺は知らないでいいことなのだろうと思う。同じクラスには生徒会役員の佐原もいて、特に仲良くはないけどトラブルが起きないよう気にかけてくれている。ギフトであることやパートナーがいることを公にしたからといって、俺自身の性格が変わったわけではないから、相変わらずクラスでも公人や直哉とばかり話しているし、授業でも行事でも目立つようなことは一切なく、生活はとても静かなものだ。特に去年からいる二年と三年は、俺のパートナーが矢場先輩であることも、その先輩がどんな人だったかも知っているから、進級後もその加護にあやかっている。

 俺の姿は学内ではかなり目立つはずたけど、積極的に人前に出るわけでもない俺のことを、皆そういう人間なのだと認識したのか、仲間内で楽しく過ごせることには感謝している。流石に一年が入学した直後は色々な視線を向けられたけど、プレゼンツに関する情報や噂は水面下であっという間に広まるもので、二週間もたたないうちにその視線も気にならない程度になった。

 変化といえば、コンタクトが外れた時の保険でかけていた伊達眼鏡のかわりに、たまに少しだけ色の入ったサングラスに近い眼鏡をかけるようなった。やはりこの色の目は光に弱いらしく、眼球への紫外線対策として眼鏡は必要なものになってしまった。特に、日差しが強い季節の外での体育は、眼鏡がないと眩しくて参加もままならないことすらあった。バイトも店長に事情を正直に説明し、今のままの姿で続けさせてもらえている。



 一方先輩は、志望していた国立の法学部に入学して、毎日忙しそう勉学に励んでいる。俺と過ごす時間が減るといって部活やサークルにも入らなかったかは、授業以外の時間も図書館で勉強をしたり、一人でカフェ巡りをしたりしているらしい。時間割によってはわざわざ下校の時間に高校まで迎えに来てくれたりもしていて、日比野先輩の送迎と同じか、逆にパートナーが直接来るという意味では、それ以上に特別な目で見られている。

 ただ、パートナーとなったからには一緒にいられればそれだけ気持ちは安定するし、校門で俺が出てくるのを待っている姿を見つけるのも満更悪い気はしなかった。学校からは先輩のマンションよりも俺の家の方が近いけど、先輩が来る日はそのままマンションに行ってしまうことも多く、先輩の部屋には俺の私物がごく普通に置かれている。連絡さえすれば家族も家に帰らないことに何も言わないし、一緒にいることこそがパートナーのあるべき姿だと理解してくれているから、二人の時間はむしろ以前よりも増えたくらいだ。 



 先輩は二人きりのときにはことあるごとに『俺のギフト』と言う。その声は優しかったり、嫉妬っぽかったり、欲に満ちていたり様々だけど、まるでその言葉がキーワードのように、俺は言われる度に幸福感と安心感に満たされる。それが精神的に強く結ばれたテイカーとギフトだけが得られる、プレゼンツの恩恵だというなら、俺と先輩はこれ以上ないほど強い絆で繋がっていることになるのだろう。そして俺が先輩から深い幸福を受け取るのと同じように、誰の代わりでもなく、先輩のためだけのギフトである自分は、彼の望む全てを与えることができる。

 あの日あの時、俺がおかしたいくつかの失敗から始まったこの関係は、本能的な衝動によるものだけではなく、ましてや偶然なんてものでもなく、もしかしたら運命の巡り合わせだったのかもしれない。そう考えると、この銀色の髪と瞳はきっと神様からの特別な贈り物だ。そんな戯言が頭に浮かぶほどには、俺は俺に与えられたギフトという第二性を、今ではとても気に入っている。

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PRESENTS~銀の糸を紡ぐとき~ 萱野 耀 @kayanoyou

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