目覚め
しかし、それでもその男は行動を示さず、春美はだんだんとじれったくなってきた。
(くそ、こうなったら意地でも露出させてやる!)
春美に自覚はなかっただろうが、それはまるで現代版の『北風と太陽』だった。春美の行動は太陽に近いと言えたが、その強情な気持ちは北風そのものであったが。
「ふー、暑い暑い……」
そんな心にも思っていないことを小声でつぶやきながら、Tシャツを右手ではためかせて涼むフリをした。そして、わざと男から一席しか離れていないイスに座った。
(ちょっと露骨だったかな……でも不自然すぎるってほどではないはず)
これでチェックメイトだと勝利感に酔いながらしばらく待っていたが、それでも男は動かない。
(こいつ、もしかしてホモか? ターゲットは男なのか?)
春美は今更ながら不安になってきた。
しかし、男が読んでいる雑誌に目を向けてみると、そこには下着姿の女性がたくさん載ったページが開かれており、それはその男がノンケ、つまり異性愛者であることを示す十分な証拠だった。
(なんだ、やっぱり女が好きなんじゃん! だったら早く露出しろよこのやろう!)
春美はそれからも自分がか弱い女性で、いかにも露出狂に驚いて恐怖する可憐な乙女で、あなたのターゲットには最高にピッタリですよという雰囲気を醸し出す努力をし続けた。
男が一度、その胸の肌を露出しつつあるコートの辺りに手をかけた時は勝利を確信したものの、単にコートを整えるだけの仕草だったようでまたしても春美は落胆した。
そしてついに春美は耐えられなくなってしまい、その男に声を掛けた。
「あ、あの……今日は暑いですね!」
「はぁ、そうですか」とやる気なさそうに男。
(こいつ、私の苦労も知らないで!)
「そのコートさすがに暑くないですか?」
通常、こうやって誘導するのは悪手だと春美は考えていた。
露出狂は女性が恐怖に立ちすくむあの様子を見るのが楽しいわけで、ターゲットから脱いでも大丈夫というアプローチをされるのは好まないはずだ、それが春美の露出狂に対する分析だった。しかし、ここまで来たからには意地でも脱がしてやろうという思いが勝っていた。
すると「い、いえ! それほどでもないですよ」と明らかに男は動揺していた。
(よし、こうなったら作戦変更だ! こいつを露出狂だと指摘して動揺させてやる!)
「あれ、そのコートの中って……」
男はその言葉を聞いてさらに動揺を重ねる。もはやその姿は怯える子犬そのものだ。
「は、裸! あなた、露出狂じゃないですか! きゃー、変態!」
(勝った……!)
春美はもはや当初の目的を忘れてその勝利を味わっていた。一方で、自分がなんでこんな演技をしているんだろうという冷静な意識もごくわずかに残ってはいたが。
防犯カメラが設置されている手前、さすがにすぐに襲ってくることは無いと思っていたが、相手が激昂して迫ってくることくらいは予想していた。なにしろ相手は露出行為に至っていなかった段階だったわけで、それを糾弾した春美のほうが名誉基礎で訴えられてもおかしくないのだ。怒らないはずがない。
男はしばらく呆然として口をパクパクさせていたが、ゆっくりと言葉を発し始めた。
「す、すみません……」
(え?)
「あのお恥ずかしい話なのですが、私は浮浪者……いわゆるホームレスでして。たまにこうやってランドリーを利用することもあるのですが、その時はその……全部まとめて洗濯しないともったいないものでして」
春美は混乱する頭でその言葉の意味を咀嚼すると、自分がとんでもない勘違いをしていることに気づき頭が真っ白になり、次の瞬間には顔を真赤に紅潮させていた。
「あ、あの……さすがにその格好は寒くありませんか?」
呆然として動けなくなっていた晴美であったが、男のその声で現実に戻された。
「あ、そそ、そうですね、はいっ! なんか勘違いしてすみませんでした!」
なんとか絞り出すように謝罪の言葉を発すると、イスにおいてあったカーディガンを手に取り、逃げるようにしてコインランドリーの店内から抜け出した。
Tシャツ1枚で冷えた体に今夜の夜風はあまりにも冷たかった。
*
晴美がしばらく時間を潰してからコインランドリーに戻るとその男は消えていた。まぁ、その男が店内にまだ居たならとてもじゃないが晴美は入店できなかったであろうが。
「あぁ、私ってばなんて勘違いを……むしろ私のほうが変態じゃん。やだ、もう本当に恥ずかしい……」
晴美はそうつぶやいて心の底から後悔していたが、その傍らで胸に新たな感情が芽生えていたことには気づかなかったに違いない。
それはあの性癖に目覚めたときの感情にも似ていた。
ー了ー
短編:露出にいたる病 戸画美角 @togabikaku
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