第8話 乗客載せ替え
それからテルは新幹線の乗務員だけでなく、農協の人達にも協力して貰って二つの新幹線からお客様を相互に移動させた。
多くの方々は指示に従い移動してくれた。
「おい! 何で動かなくちゃならないんだよ! このまま座って行かせろよ」
だが、急な変更に抗議してくるお客様もいる。
「申し訳ありません。ポイントが故障しており、また線路と列車の配置上、どうしても列車を交換しなければならなくなりまして」
「お前達のミスだろう! ならお前達で何とかしろ!」
「ごもっともですが、他に方法も、時間も無く」
直すことも出来ないし、他に方法もないから移動して貰うのだが、こちらのミスであるのは事実なので、テルはひたすら平身低頭に謝るしか無い。
「お前みたいな子供じゃ話しにならない、責任者を呼んでこい」
「お客様」
「ああんっ! なんだお前は……」
声を荒げていた乗客が鈴のような声の主に向かって首を向けると絶句した。
「申し訳ございません」
声を掛けてきたのが絶世の美女だったからだ。
黒髪に白い肌、切れ長の目に青い瞳、整った顔。肌は白磁のように白く輝いていて美しい。
しかし素肌が出ているのは首から上だけ。脚は黒のストッキングに上下共に国鉄の女性用駅員制服を皺無くキッチリ着込んでいる。いや、メリハリのあるボディに制服が張り上がり、ピチピチになっており、身体のラインを強調している。
そのラインは神か名工が彫り上げたような目を釘付けにする曲線を描いていた。
あまりの美しさに乗客が絶句してしまったのも致し方なかった。
「申し遅れました。ブバスティス駅長のバステトです」
久方ぶりに人間姿の駅長を見てテルはホッとした。
駅長は地元では神とも言われる化け猫だ。
絶大な魔術を使えるのだが、普段は普通の猫に化けて駅長の机の上で丸くなって寝ている。
今日も朝から猫の姿でずっと寝ていたのだ。
初日にテルに仕事を教えてからはずっと寝っぱなしで、毎日てんてこ舞いになっている。
だが、仕事を教えただけあって、バステトの駅長としての手腕は確かだ。
少なくともこれでクレームは終わるとテルは確信している。そしてバステトはテルの期待通りの行動を行う。
「こちらのミスにより大変ご不便をお掛けしております。列車を移動して頂かないと運行不能な状況となりました。どうかご協力をお願いします」
深々と頭を下げられて乗客は頷きかけた。
男は美人に弱い。
絶世の美女であるバステトの前にクレーマーだった乗客はメロメロになる。
「い、いや、俺はこの席を予約したんだぞ」
文句を垂れているが、鼻の下が伸びている上、視線が下の方を向いている。
「俺は切符を買ったんだ。だから、お前達は俺をこの席に座らせたまま目的地に行かせるのが」
「お願いします」
駅長は頭を上げて視線を乗客に合わせると同時に嫋やかで柔らかい指で乗客の手を握った。温かで柔らかい感触が乗客の手に伝わり頭を蕩けさせる。
「だ、だがな」
「お願いします」
両手で握った手を自分の胸に引き寄せてなおも駅長は頼み込んだ。
「け、けど、な」
「お願いします」
口を耳元に近づけ囁くようにバステトは頼み込んだ。
美声が鼓膜を通り抜け脳を直撃し男は痺れる。
声と共に出てきた温かな吐息が耳朶を温め、男の精神を蕩けさせた。
「は、はい」
駅長の魅力の前に乗客の心は溶かされ、夢遊病患者のように駅長のお願いに従った。
「ありがとうございます」
最後に駅長がとびっきりの笑顔で感謝すると、乗客は電撃を受けたようにキビキビとした動作で自分の荷物を持って隣の車両に移動した。
「テルあとは頼むぞ」
「いえ、一緒に誘導して下さい」
「仕事がある。運輸指令の小僧に一言言っておかなくてはな。後輩を困らせるなと」
そう言って駅長は列車から降りて駅事務所に向かってしまった。
運輸指令はこの駅で勤務したことがあり、駅長にビシバシ鍛えられトラウマレベルになっていると言っていたな。
研修に来ている見習いに過ぎないテルが電話に出ても文句を言わないのは、代わりに出てくる駅長が苦手だからだ。
「程々にして下さい」
この乱れたダイヤを絶賛修正中の所へトラウマの駅長が電話を掛けてきたら運輸指令はストレスで死んでしまうかもしれない。
手心を加えて欲しいとテルは本気で願った。
ここで運輸指令が倒れて混乱に拍車が掛かったら徹夜は必至だからだ。
いくらテルでも体が持たない。
運輸指令に頑張って貰うためにも駅長には、簡単な伝言の後、机の上で大人しくして貰おう。
「皆様どうぞこちらへ」
その後もテルは乗客の誘導と荷物運びのサポートを行い何とか作業を終了。
無事に新幹線を発車させ、ワンマイルトレインが通過して行く。
待避線に残った列車には農協の人々が積極的な物販を行い、作業の達成感で高揚していた乗客の財布が緩かったこともあって中々の売上を記録した。
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