人の心はアンドロイドの夢を見るか?
京都坂 届
全編
ちょうど肌寒い日の早朝だった。外はまだまだ暗い。
引っ越しの荷物の片づけはまだ終わっておらず、それでも段ボールが三つと少ないものだったので、まだ一週間ほどはそのままにしておくつもりだ。
そもそも独り身であり、使うものも服も最低限のものでいいので、使うものが出てくるたびに箱から出せばよい。
私はそう思いつつ、部屋の窓際に飾る一つの透明な瓶に思いを寄せた。
「お前が完成してくれれば、私はこの世界について、言うことも、想うことも、何一つあるまい」
小型のテレビは、次々に日々の喧騒について知らせる。
「次のニュースです。新型の機械ウイルスによる感染者は、ゆうに世界の七十パーセントを超えたと報告がありました。これは臓器や人体に対する機械化手術の際に用いられたDNA改変細胞の副作用である考えられており、人類の進歩が同時に破滅をもたらすと専門家は――」
ここ数か月はずっとこの話題でもちきりである。人体の一部を機械に差し替えることで、外付けの記憶媒体、二度と止まることのない心臓、一週間寝ずとも元気よく日々を過ごせる肉体など、機械化手術は大きな利益を人類にもたらした。
その際に、身体に拒絶させないよう機械因子をDNAに組み込む必要があったのだが、その細胞が後に悪さをする事が分かるようになり、今人類は滅亡を迎えようとしていた。
「人は急ぎすぎたのかもしれないな」
人類の九割九分はすでに機械化をすませており、俺も例に漏れなかった。機械化をしない人間に人権は無いという風潮であった為だ。それが次の人間へのステップアップの手段であり、納税と同じくらいに当然のことであった為だ。
きっと俺の身体も同じように機械ウイルスが暴走をして、勝手に体を無機物へと変換していくのであろう。機械ウイルスは自然とその体を機械へと代えていく。今はそうでなくても、絶対にそうなるであろうことは知っていた。
なぜならば、その細胞を作った人間の内の一人が、私自身であるからだ。
このようなリスクが起こることも重々承知していたが、あまり大きなこととは見ていなかった。人類の発展に犠牲はつきものであったからだ。同じ開発を進めていた人間も同じように考えていた。
だが、私達の発明したものがここまで利用されるとは思っていなかったのだ。最初に研究を発表した時は、もちろんリスクの説明もしていたし、実用化はもっと先の話であると思っていた。
しかし、利用する国家と企業側はそうではなかった。目先の利益だけに囚われ、ただ人類が進化することだけにしか目を留めていなかった。止める人間は私達しかいなかったにも関わらず、その目の前にある莫大な富と名声に目が眩んだ。見て見ぬふりをしたのだ。
そうして残った結果が、今だ。人類は恐らくだが、後十年の間に完全に滅亡するだろう。機械化を行わなかった人間は、ここ数年で生まれた赤子だけである。国単位で機械化が義務化されてしまった以上、全ての人間が近い間に死ぬタイマーを課せられている。
少し外に出ることにした。そんなことを考えていても、死ぬときは死ぬし、今はただ生きている以上、普通に日常を過ごすだけだ。悲観する人間も少なくなってきた。考えてもどうしようもないことばかりだからだ。四時の冬の空は、まだまだ黒く、深夜にも近いが、当たる風と匂いがどことなくこれから来る朝を感じさせている。
すがすがしい気持であった。住宅街から外れた、一つの公園に寄ってみることにした。近くになるにつれ、声が聞こえてきた。ラジオかテレビの音だと最初は思っていた。それだけにきれいな歌声であったからだ。
公園の真ん中で一人の女が歌っていた。歳はきっと同じくらいで、二十代前半と見た。
「こんな時間から、こんなところで歌の練習ですか」
「……聞いていたのですか。恥ずかしいので、人が来ると黙るようにしているのですが」
「素晴らしい歌声でしたよ。そういうことを仕事にされているのですか」
「いいえ、私の仕事とは何も関係ありませんよ。私の仕事は研究者ですから」
「奇遇ですね。私も研究者でしたよ。今はもう何もしていませんが」
「もしかして、機械ウイルスについて原因を解明するような、そんな立派なお仕事をされていましたか」
「残念ながら。その真逆です。機械ウイルスの根本の原因を作ったのは、私達ですから」
「あら、まあ」
その女性は目を丸くして驚いていた。世界を滅ぼそうとしている張本人が目の前にいる。いったいどんな気持ちで私を見ているのだろうか。
「あなたは、世界中の人につらい思いをしてほしくて、このウイルスを作ったわけではないのですよね」
「ええ、生活が豊かになればと思って、誠心誠意、気持ちをこめて作ったものが、これを生み出しました」
「じゃあ、事故ですね。仕方がないです。私はこれがどうにかならないかと思って、今もずっと研究を重ねています」
「立派ですね、ですが、さぞかし大変でしょう。このウイルスを作った私たちでさえ、その根本的な原因がまだ分かってないのですから」
「ええ、とても大変です」
何も大変ではないかのように笑って言った。自分のことなのに、人のことを語っているかのようだった。
「ですが、私は大丈夫な人間ですので。人類が滅びかけるその手前までは、一人になっても頑張ってみようと思います」
「すごい心意気だ。応援していますよ」
私も私で、どこか達観していた。自分の作った汚れを、どこの誰もわからない人間が拭き取ろうとしている。そのこと自体が、まず現実味を帯びていなかった。私は、もう何をする気もなかった。
「私はこの辺で。またその歌声が聞こえたら、この公園に寄ってみようと思います。それでは、また」
「歌のことは、忘れて下さい。またどこかで会えたら」
空は少しだけ明るみを帯びていた。どこかずっと足が宙を浮いているような感覚だった。家に戻り、褐色の小さな瓶を見つめた。行く前と何も変わり映えはしないはずなのに、何かが違って見えた。
「俺は最後に何をするべきなのだろうか」
数日して、また同じ、暗い朝に、あの公園へと寄ってみることにした。理由は、ない。
あの女性はいなかった。向かう途中で声も聞こえなかったので、その時点で期待はしていなかった。
次の日に、また行ってみることにした。声が聞こえたので、少し早足になった。
「この歌はなんて歌なんですか。私は今流行ってるのとかが、よくわからなくて」
「何年か前の曲ですよ。今は少なくなりましたが、電子音が目立つ曲です。歌う曲というよりかは、聞く曲ですので。でも私は大好きなんです」
タイトルは教えてくれなかった。あえて避けられたような気もした。
「研究のほうは、どうですか」
「まったく、だめですね。とんでもないものを作りましたね、あなたは」
そうはにかみながら、彼女は答えた。
「実際貴女は、私のことをどう思っているのですか。人類を滅ぼす悪者ですか」
「どう、と、聞かれても。別に悪いだなんて思いませんよ。ノーベルが悪人だと思うタイプの人ですか、あなたは」
「いいや」
「そうですね。今日仕事が夕方の五時ごろに終わるんです。一緒に食事でもどうですか」
俺は二つ返事でオーケーを出した。
静かな場所で、パスタを巻きながら、彼女は言った。
「私は、世界を救いたいとか、そういう信念をもって仕事をしているわけではないんです。たまたま、ついた仕事が、今こんな状況になってるせいで、研究をしろって言われてるだけで。でも、研究自体はとても楽しいので、充実しています」
また、ある日はピザをとりわけながら。
「後数年もすれば、世界の経済は止まってしまう、なんて言われてますけど。どうしようもないですよね。きっと私が頑張ってワクチンを作っても、もう遅いんだろうなあ」
ある日は、ゆっくりと紅茶を啜りながら。
「ねえ、貴方ももう一度研究に戻ってきては如何ですか。きっと楽しいですよ。私の研究所に、空いてる枠があるんです。一緒にどうですか」
俺は困惑していた。何故俺なんだ。どうしてなんだ。たまたま歌を聞いたからか。俺がウイルスを作ったからなのか。
「私でよければ、その研究に参加させてもらう」
そして俺は、窓辺に飾っていた瓶のことなんかも忘れて、研究に没頭した。
そうして一年と少しが過ぎた。外の寒さは日に増してひどくなっていたが、私はこの冷たい朝の空気が好きでたまらなかった。
朝の四時ごろになると決まって彼女と一緒に部屋を出て、外れの周りに何もない、あの公園へ向かう。彼女の歌う声を三十分ほど聞きながら、缶コーヒーを飲み干す。これがルーティンとなっていた。
俺はずっと、彼女に隠し事をしていた。機械ウイルスの症状が悪化していたこと。そして、彼女と研究する前に、人を殺すことに特化した、更に強力な機械ウイルスを開発していたこと。
今もその殺人機械ウイルスのオリジナルは俺の部屋に保管されており、インテリアの一部の様に瓶に納められ、鎮座している。
ある日、俺はたまらず、殺人ウイルスのことについて告白することにした。
「どうして俺もそんなものを作ったのか、わからない。作れそうだったから、作ってしまったんだ。どうやって使おうとか、そんなことも考えずに作った。でもそれを、捨てることもできなかったんだ。君になら分かるだろう」
「分かります。それが研究者というものです」
俺は解放された気分だった。だが、彼女は怒っていた。
「そのこと以外にも、一つ、隠していることがあるでしょう」
俺はもう一つのことを、あまり重大なこととは考えていなかった。今となっては珍しいことではない。機械化した人間はいずれ必ず死ぬ。当然のことだ。言う必要もないと思っていた。
「どうして、悪化していることを、言ってくれなかったのですか」
「誰だってそうなることを、いまさら言う必要もないだろう」
「……私は、実は機械化手術を受けていないんです。なので、私は大丈夫と、お会いしたころに言いました」
「な……」
俺は本当に、驚いてしまった。そんな人間が存在したのか。しかし一体どうやって。
「実は、私のような人間は、少なからずいるのです。自分の身体を機械に蝕まられるのは嫌だという層が。そのような人間は、例え全人類が義務化されているとしても、抜け道を知っています」
「つまり、俺が先に死ぬのは、ほぼ確定しているんだな」
彼女が一切つらそうにするそぶりが無いのは、俺に気を使っているからだと思っていた。だが、彼女は本当に、何も苦になるものは無かったのだ。
「悪いな、俺は先に逝ってしまうが、君はたとえ世界が滅んだとしても、長く幸せに生きてくれ」
そういって、その日は何も話さなかった。
次の日だった。彼女の身体はほぼ無機物になっていた。あんな話をした、次の日のことだった。
「君は大丈夫じゃなかったのか」
「考えたのです。あなたのいない日々で、日常を過ごすなんて、それは死ぬよりも辛いことだと。なので、私もあなたと同じ病気で死にます」
俺は、これは馬鹿なことだと思った。だが、考えてみれば、俺は昨日までは、この彼女と同じ考えをしていたのだ。俺は自分の愚かさを理解した。
どこかで、俺はこんなに充実した日々を最後に送れるなら、死んでいいと、漠然と感じていた。だから本当はもっと真剣にできた研究にもあえて手を抜いていたし、死を救いにしていた。
だが、それはきっと彼女も見抜いていた。分かっていたのだ。だからこうした。そうなれば、一番辛いのは、残される彼女だと、俺は気付けなかった。
俺はずっと眠っていた瓶ともう一度向き合った。この瓶に含まれる成分は、確実に人を殺す。だが、この成分から抗体を作れるのではないかと、目途を建てていた。俺は自分の身体を使って実験を繰り返した。症状の進行はずっと早くなっていったが、死ぬ間際に、治療薬とワクチンを完成させることに成功した。
そうしてすべてを彼女に託した。俺はもう手遅れだった。遺言代わりに、それらすべてを託した。
――――
「でも結局、この男の人は最後まで愚かだったんです。結局その女を残して死んで行ってしまったのですから。彼女が望んでいたことは結局、その男の人と生きるか、死ぬかだったんですから」
一度は滅びかけた世界であったが、一人の研究者により、世界は救われた。女は今も生きている。忘れられた歌を歌っている。彼女は褐色の瓶を、人の多い駅でおもむろに落とした。彼女なりの復讐だった。
人の心はアンドロイドの夢を見るか? 京都坂 届 @siranzamu
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