【没ネタ】Bar・オーロラ
夏目くちびる
第1話
「マスター、どうしてこの店の名前はオーロラなんですか?」
「私が好きなカクテルから名付けたんです。カクテルの由来は、『偶然の出合い』らしいですよ」
「ふぅん。それじゃあ、ボクにもそれを作ってください」
「かしこまりました」
浅く頭を下げてにこやかに笑うと、マスターのフォルはカウンターの前に『マスターズ・V』というウォッカの瓶を、オーダーした少女、アトリにラベルを向けて置いた。
「世界で一番有名なウォッカです。スッキリとした飲み口なので、オーロラにちょうどいいんですよ」
オーロラは、ウォッカベースにカシス、グレープフルーツジュース、ザクロのシロップ、そしてカットレモンを入れてシェークした中辛口のカクテルだ。
「ボク、少し甘い方がいいです」
言われて、フォルはそこに少しだけスイートシロップを混ぜるとシェイカーを振り、持ち手の長いオーソドックスなタンブラーに酒を注いだ。
色は、透き通った綺麗なピンク色だ。ザクロのシロップを抑え、甘口に仕上げたからだろう。
「お待たせしました」
「へぇ、すっごくかわいい色ですね」
言って、アトリは匂いを嗅いだ。柑橘の爽やかな香りが喉の奥まで突き抜ける、心地よい感覚があった。
「いただきます」
グラスを傾けると、苦味のあるグレープフルーツの後にトロリとしたザクロ。レモンの酸味と、最後に甘いシロップが全てを包み込んで一体感のある味わいを生んだ。
「ボク、カクテルって初めて飲んだんですけど。凄く、おいしいです」
「ありがとうございます」
ほっと一息ついて、アトリは改めて店の中を見た。
温かいオレンジ色の火が灯った、少しだけ暗い店内。バックバーには、フォルの趣味も兼ねているのだろう。200本もの瓶が並んでいる。それらが後ろから魔法の光に照らされて、色の付いた瓶がアクアリウムのようにキラキラと輝いていた。
(綺麗だなぁ……)
アトリにはそれが、透き通った海を見下ろしたような、サンゴと白い砂の幻想的な世界に見えた。それは、楽しかったあの頃に見た、思い出の深い景色だった。
「いいお店ですね」
言って、アトリは肘をつくと窓の外を眺め、小さくため息をついた。月が、雲に隠れている。
「お客さん。随分、お疲れのようですね」
「……ボク、昨日までとある冒険者のパーティで働いていたんです。でも、こき使われるのに疲れちゃって」
「そうですか、冒険者稼業も大変ですからね」
「おまけに、ボクのいたパーティは全然強くなくて。だから、少し盗賊まがいの仕事もしてたんですけど。そのうち、本当に盗賊みたいになっちゃって」
フォルは、静かに話を聞いていた。
「だから、本格的に悪いことに手を染める前にボクは抜けたんです。大きな盗賊団に合併されるみたいで。だから、引き止められもしませんでした」
そこまで言って、アトリは一粒だけ涙を流した。
15歳、夢を持ってこの町に来た頃。どれだけ辛くても、みんなで笑い合っていられればそれでいいと本気で思っていた。いつまでもこのままでいられると、心の底から思っていた。たった3年でここまで変わってしまうなど、考えもしていなかった。
「楽しかったな……」
もう二度と戻らない日々を思うと、とうとうアトリの気持ちは溢れ出してしまった。外は、いつの間にかシトシトと雨が降っている。寂しくて、冷たい雨だった。
アトリの姿を見たフォルは、店の看板の明かりを落とすと、静かに洗い物を始めた。時刻は、午前3時。オーロラの閉店時間だ。
「あ、ごめんなさい。つい、長居してしまって」
「構いませんよ」
言いながら、フォルが1枚のフライヤーを差し出した。
「実は、アルバイトを募集しているんです。もしも行く当てがないのなら、ここで働いていただけませんか?住む場所が無いのなら、部屋をお貸しいたします」
突然の申し出にアトリは戸惑ったが、しかし住み込みの条件はこの上なくありがたい事だった。今日も、ギルドホールのベンチで眠るつもりだったからだ。
「……やります。是非、ボクを働かせてください」
これが、彼女がバーテンダーとして歩き始めた第一歩目だった。そして、オーロラが世界へ進出する為のきっかけとなったのである。
【没ネタ】Bar・オーロラ 夏目くちびる @kuchiviru
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます