第11話霧

 

 「キリマンジャロ先生!申し訳ない!待たせてしまった!」


 案内人の言った通り数分で米永はやってきた。その大きな身体で大腕を振って向かってきたのですぐに気がついた。


 「申し訳ない!午前のうちに終わると思っていた作業に時間がかかってしまったんです」


 米永は私と先生の前まで来るともう一度謝罪の言葉を述べた。


 朝は和服を着て事務所にやってきたが今は小綺麗な作業着のようなラフな格好になっていることに気がついたが、いくら監督業とはいえ、お役所仕事というわけでも無いのだから当然かもしれない。とはいえシミひとつない綺麗な作業着であることを見ると、現場作業のような事まではしていない事が伺える。いちいち服装の変化について言及する人間はこの中にはいなかった。


 「お構いなく。僕たちも今到着したところです。いや、本当に」


 先生は気を遣わせないようにか米永に言葉をかけた。


 「そうですか、それならよかったです。それはそうと、お嬢さんもお連れしてきたのですかな」


 米永は先生が一人で来るものだと思っていたらしく、私がいることについて驚いたような口調で言った。


 「いけませんでしたか。今勉強させています。学校にも通っていないものですから。邪魔なようでしたら置いていきますが」


 先生は私について適当に紹介した。学校に通っていないとはいえ普通教育を受けているそこら辺の男子や女子よりは当然に賢いわけなのだが、このように伝えたほうが都合が良いのだろう。因みにどう都合が良いのかは私にはわからない。


 「いやいやとんでもない。構いません。お嬢さんには少々男臭い場所ですからな。大丈夫かな?」


 「はい、お気になさらず。私もそのつもりで来ています」


 米永の最後の一言は私に対してのものだったので、一応返事を返した。


 「では向かいましょう。こちらです」


 米永は私の返事を確認すると先導するように歩き出した。

先頭を行く米永に並ぶようにして先生が歩き、その二人の後ろを私は付いて歩いた。


 「米永殿は先程はどのようなお仕事を?」


 「さっきは午前に搬入された分の確認の印を押したり、昨日の分の織物類を配送する業者が来ましたのでその対応をしておりました」


 「それはご苦労様です。実は僕は商船の中に実際に入るのは初めてなんです。結構楽しみです」


 「それは光栄なことです。最初に乗船いただけるのが自分の管轄する船ですとは。事件でなければもっとよかったのですが…」


 2人の話を聞きながら後を付いて歩いていた私だったが、次の瞬間目の前が歪んだ。


 「うっ…」


 何かは分からなかったが唐突に何か刺激臭のようなものが鼻腔を刺激した。



 「日野君!大丈夫か」


 「お嬢さん!どうされました!」


 すぐに前の二人は私の異変に気がついて振り返った。


 「日野君、どうした。気分がすぐれないのか」


 地面に膝をついて倒れるまでには至らなかったが、眩暈のようなものに襲われてすぐには立ち上がれそうにはなかったが、辛うじて返事はできた。


 「先生、大丈夫です。急にめまいのような感覚になっただけです」


 「それは大丈夫じゃない。何かあったか?」


 米永は心配そうに見つめている。


 「急に何か刺激臭のようなものが鼻について…。それで…」


 「刺激臭…」


 先生は深く考え込むように自分の顎を親指と人差し指でさするようにしながら呟いたがあまり思い当たる節が無いようだった。


 「そういえば、フルーツのような香りもした気がします」


 私は記憶を頼りになんとか手がかりを絞り出した。


 すると米永が「あっ」と何かを閃いたような声を上げた。

 

 「お嬢さん、キリマンジャロ先生、もしかしてワインの香りじゃないですかね」


 「確かに、そうかもしれません。でもここら辺にワインなんて…」


 先生は匂いの正体についてはワインであることに同意を示したが、その所在が掴めないことに難色を示した。


 というのも、現在地は米永が監督する商船の船の入り口から少し入った通路で、ワインらしき物もなければ、そもそも積荷を入れておく場所では無い。


 「もしかしたら何度もワインを乗せて運航しているので壁や床に匂いが染み付いていたのかもしれません。それに、私のこの作業着もワインの香りが染み付いているです。きっとそれが一度に匂って、加えて船内の微弱な揺れで『酔い』を起こしたのかもしれませんです」


 米永のその発言を聞いて先生は多少納得したようだった。


 「ですかね…」


 「そうです。お酒の香りに慣れていないお嬢さんですから、そうに違いありません」


 米永は自分の推理に余程の自信があるのかそう断定した。


 考え込む先生を他所に私は揺れる頭で、今朝同様米永が作業着の袖を強く握っていたことと、天井と床の色が違う洒落た作りになっていることに何故か意識が向いていた。



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きりまんじゃろ @ore_strawberry

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