初秋のアンフォトジェニック寺院

白里りこ

初秋のアンフォトジェニック寺院


 一昨年と比べて体重が十二キロ増えた。


 試しに計算してみたら適性体重の範囲内であったので、これは一昨年が痩せすぎていたということになる。鬱病で食欲が無かったのだ。


 それにしても十二キロはひどい。少し減らしたい。


 そういうわけで散歩を習慣づけることにした。


 初秋である。

 少し肌寒い。スカートにタイツを合わせて、ジャケットを着て外に出る。


 イヤホンをつけてアニソンを流しながら街道を歩く。こうして五感を使いながら体を動かすと気が紛れるので、鬱病の症状もましになる。

 痩せられて、鬱病も改善するなら、これは一石二鳥である。それに私にとって外出することには、もう一鳥くらいのメリットがある。


 しばらく歩けば、幾つかの寺院が立ち並んでいる。そのうちのひとつに入ってゆく。


 私はイヤホンを外して、鳥のさえずりに耳を澄ましたり、お釈迦様を拝んだり、庭園を眺めたりしていたが、やがて渋い顔になった。


 全然フォトジェニックではないのである。


 ここで、あえて断言させてもらおう――外出の醍醐味といえば写真である。


 世の女子というのは、可愛らしいカフェでケーキを頼んでは写真を撮り、有名な観光スポットに寄っては写真を撮り、とにかく些細なことで写真を撮ってSNSで見せびらかす生き物だ。私の知人もことあるごとにSNSに綺麗な写真を上げている。


 ところが病気のせいで働いていない私は、お金の問題もあって、なかなか煌びやかな場所には行けずにいる。だからせめて地元の寺に行って、風流で侘び寂びのある写真を撮って自慢をしたかった。

 鬱病の私だけれど、何とか楽しく人生をやっているんだよと、伝えたかった。


 ところが今日は天気が悪い。

 天気予報では秋らしい気候だと言っていたのに、空は全天曇りである。更に寒さはまだ全然訪れていないので、紅葉も申し訳程度にしか色づいていない。

 カメラを向けてみても、灰色やら茶色やら、何だか薄汚い色合いの風景が画面に写るのみである。

 写真映えしない。


 寺が悪いわけではない。一応はここも観光名所なのだ。丁度いい季節に行けば、綺麗な紅葉やら花やらが拝める。

 悪いのはこんな微妙な時期に鮮やかな写真を撮ろうと目論んだ、見栄っ張りな私の方である。


 私は一旦スマホを下ろした。

 目的を見誤っていた。

 運動して、好きな音楽を聴いて、綺麗なものを見る。

 それでよかったはずだ。

 鮮やかでなくても、寺は綺麗だ。荘厳で、美しく、静寂に包まれている。


 ここで早くも前言を撤回させてもらおう──外出において写真撮影はただのオマケに過ぎない。


 そのつもりで、気軽にカメラを向けてみる。

 撮りようによっては良い感じの写真になることに気づいた。緑が生い茂る中に茅葺きの屋根のお堂があって、雰囲気も悪くない。地味だが、風情のある写真だ。

 私は木々がよく映える角度で幾枚か写真を撮った。


 それからスマホを鞄に仕舞い、寺を出た。

 イヤホンを装着して、アニソンを聴きながら、街道を歩いて帰る。


 ちょっと遠出をしすぎた。歩数は二万歩に届きそうである。何だかんだで、当初の目的である運動は達成できている。


 帰ってから私は、緑の多い素朴な写真を、若干鮮やかめに加工して、久々にSNSに上げた。コメントも付ける。


「紅葉もまだだし秋晴れでもないし、あんまりフォトジェニックじゃないけれど、まあまあいい散歩になりました」


 これでよし。

 いい散歩になったからそれでよいのだ。


 それから体重計に乗ってみた。

 体重はちっとも変わっていなかった。


「うむ」


 私は言った。

 散歩習慣はまだ始まったばかりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

初秋のアンフォトジェニック寺院 白里りこ @Tomaten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ