篠塚語り

羽崎

篠塚語り

 迷宮ダンジョンと言うものを知っているか?

 呼び方は時代や地方によって数多あるものの、それらの言葉が指す本質はそうそう変わらないだろう。


 金銀や財宝、別天地としか思えぬほど肥沃な大地とそこに生い茂る溢れんばかりの恵みなどを撒き餌に、欲と命のある者を呼び込み、貪欲に喰らう魔境。

 あらゆる未知を掲げ、不老や不死さえも可能とするとして、人間の奥底に眠る渇望と探究心を刺激して止まぬ、神秘の異郷。


 現代では眉唾の一種として認識されている。良くも悪くも桃源郷と似た様なものとして語られるのが一般的だ。本気で信じている奴なんて夢見がちな大バカか、実際にそれらを目にしている、魔性と近しい存在くらいだろう。

 そうして俺は後者であった。


 俺の一族は迷宮を本体とする、分体の集まりだ。

 六歳未満の人の子に、本体において最も重要な部位である魂晶核の欠片を埋め込むことで本体の意識と同調し、更には一部であれど本体から機能や権限などを付与された、外部でも活動が可能な端末と成る。この同化のおかげで分体である俺達と本体はこの五百年余りを「人」として暮らし、馴染むことに成功した。


 人の子らに追い詰められ、九死に一生を賭けた苦し紛れの策でしかなかったが、こちらの想定を遥に超えて上手く嵌ったものだ。人生、何が幸いするかは予想がつかないとはよく言ったものであろう。


 本当、人の子の執念たるや、侮ることが出来ない。

 その執念だとかを見越して誘い込み、養分にしている本体が居るとは言え、アレは酷かった。百年どころか、千年の時を経ようとも諦めることはしないであろうと言う、嫌過ぎる確信を抱いたのは後にも先にもあの時だけだ。

 もうあの様な憂き目には遭いたく無い。切実に。

 生き残れる気がしない。


 あの八十年あまりの攻防はまさに地獄であった。一日たりとて、生きた心地がしなかった。迷宮と言う生態構造の都合上、逃げ出すことも叶わず、身を削ぎ落とされ続ける恐怖は筆舌にし難い。人の子にとっては迷宮の内部なぞ厄介な地形でしかなく、加工が叶うのなら率先して行う整備でしかなかったことだろう。

 しかし、迷宮と言うものは生き物だ。繰り返すが生き物だ。

 身の内に数多の魔物と共存し、地下に芽吹いては体内へと誘い込む、巨大な珊瑚だと思ってくれれば良い。


 当時の本体からすれば、体を露出している部位から削り取られているのと等しいからな。人の子で言えば、皮膚などにあたるだろうか? 垢などの老廃物程度なら多少手荒に削られても問題は無いが、深く削られれば流石に痛む。

 内臓ほどではないにせよ、体の一部なのだから。


 幾ら再生能力が高く、破壊しても即刻元通りになるからと言って、精力的に内側の加工に着手しないで欲しい。諦めろよ。ツルハシだって刃が立たないほどに硬くしたと言うのに。

 火や薬品、果てはその両方を合わせた火薬を行使された日には、目も当てられなかった。再生に費やさねばならぬ養分が一気に増えたからな。そもそも、再生自体にも別途で養分を必要とすると言うのに。

 自転車操業も良いところであった。


 食べても食べても、腹の満たされぬ虚しい日々であったことよ。

 痛みも辛いが、飢えも辛い。


 当時の本体が持てる力の全てを、露出分の強化に当ててまで保護していたと言うのに。人の子の一番厄介な所は、環境自体に手を加えようとする点に集約することだろう。

 そうして一切の遠慮をしない点が。

 そんな人の子の性質によって蹂躙され、どれだけの同胞が陥落させられたことだろうか。

 人の子で言えば脳みそや重要な臓器に該当する魂晶核を破壊されても死ぬが、露出部を六割も破壊されてしまっても同様の運命を辿る。仮に一命を取り留めたとて、タダでは済まん。何かしら障(さわ)りはあるだろう。皮膚は大事なのだ。


 尤も生態の都合上、同胞と言えども共食いもする間柄なので、悲しいと言えば否としか答えようがないが。それでも、同胞が減るのは寂しいものがある。少なくとも本体はその様に捉えている。


 ちなみに、体内の魔物や植生は基本的に撒き餌に近い。

 匂いなどで誘き寄せて繁殖させる場合もあるが、大抵は勝手に住み着き、勝手に増えていったもの達だ。ゆえに愛着などは特に抱いていない。

 そのため奴らがどうなろうとも、基本的にどうとも思わん。多少は体内の環境改善のために手を入れるが、それ以外は放置している。


 こちらとしては身の内で営まれる生態系が維持出来る程度なら、何を狩ろうとも採取しようとも構わんのだ。

 こちらもそれを狙ってやって来る動植物や人の子を罠にかけては絡め取り、養分とするのだから。


 しかし、物事には限度と言うものがある。

 本体の限界を超える人数や被害には、太刀打ち出来ない。


 集団戦及び継続する戦線のえげつなさを思い知らされる日々であった。

 湧いて出ると言うほど数が居たわけではないが、数を揃えられないからこそ、攻略可能な人選を途切れることなく送り続けられる恐怖が身に染みた。


 しかし、生き延びた今だからこそこうも思うのだ。

 生存競争とは得てしてああ言うものを指すのやもしらん、と。

 あるいは、今もその生存競争の最中(さなか)なのだろうか。


 俺達が本体と共存する分体と知られれば、またしても討伐隊を組まれるのは必至ゆえ、生存競争の直中(ただなか)であると言う点に間違いはない。だが戦国の世で体験した、気狂いよりも質(たち)の悪い、外道じみた獰猛さを削いでいった今世の人の子を見るに、例え露見したとしても「生き残れるのでは?」と言う思いが湧くのも事実。


 あぁ、分かっている。

 そう警告を発さんでくれ、本体よ。

「人の子程度なら如何様にも出来る」とたかを括ったせいで、戦国の世で魔物狩りの憂き目に晒されたのは理解しているとも。


 だから、な?

 ………。

 ふぅ。納得してくれたか。


 さて。

 分体である俺達を生み出すに至った本体との同化であれど、今のやり取りから察せられる通り、完全に同一の存在として変化を遂げているわけではない。こう言った認識の齟齬や意識の差異など、日常茶飯事だ。

 そうでなくとも、本体とは別に分体である人の子の自我、つまり俺達の自我が存在しているのだ。分体同士の意思疎通であろうとも、少なくない齟齬が生じることは珍しくもない。


 人の子はその差異を価値観などと呼んでいるため、特に不便は被っておらず、寧ろ馴染むのに一役買ったくらいだ。そのため、今のところ手を加える気はない。

 そもそも、完全に同一の規格体を生み出すことは未だに成功していないのだ。

 双子と言う同一の肉体要素を持つ分体でも成功しなかったため、これ以上は手を加え様がないのだろう。

 

 何せ根底からして、人の子の体と本体との体の構造はあまりに異なる。


 恐らく、そう言った基本的な問題からこの様に本体との差異が生じる様になったのだろう。

 そもそも、人の子は外見上の個体差も大きい。内面の違いもその比ではない。同化したとて受け入れの限度に違いが生じるのは、明白であった。


 尤も本体から見れば、「目が二つに鼻が一つ、口が一つに両手両足が二本ずつ」と言った同じ特徴を備える、よく似た個体しかおらず、それよりも細かな差異は最早認識不可能なのだが。辛うじて隻腕だとかを認識出来れば御の字であろう。

 皮膚や髪の色の違いなどと言った瑣末な違いなど、認識出来よう筈がない。


 しかし同化を果たした、人間でもある俺達分体から見れば、個人差の著しさは言わずもがな。俺達一族同士であろうとも個人差は大きく、千差万別と言える。

 人の子の世に溶け込むために本体より付与された剣技の腕前とて、その例から漏れない。

 個体差が生じぬ様、均等に強化を施しても、同一になった試しが無かった。必ず、どこかで偏りが生じるのだ。


 俺達に共通点があるとすれば、本体との秘密を共有していること。

 そうして、本体から半径20km以内までしか離れられないと言う制約を負ってしまったことだろう。五体満足であれど、半径20kmより先には進めないのだ。無理やり進んだとて、この制約に変化は生じない。

 ぷつりと意識の糸が切れ、1時間と待たずに生命活動が停止し、死に至る。


 最初はこの距離感が掴めず、頻繁に分体を駄目にしてしまったものだ。

 人の子との最初の交渉時にはその様なことを気にする余裕などは無かったが、後々になってこの制約に気がついた時は驚いたものだ。

 元々移動の概念が存在しない生物だからな。

 寧ろあの程度の消耗で理解出来たとは。我ながら大したものだ。分体を常に補充出来た本体の手腕も忘れてはならない。


 最初の交渉の時とは比べ様もないほどに経験と知識を積んだゆえの手際であろう。

 本当、最初は極限に近い状態で臨んだからな。


 まだ同化の最適な条件も判明していない中、成人していたであろう、虫の息の人の子に本体を無理矢理植え込み、その場しのぎの分体もどきを慌てて拵(こしら)えて。

 今にして思えば、よく分体として機能したものだ。


 そもそも本体を、それも核に近しい部位を人の子に埋め込むなんて発想、正気の沙汰ではない。人の子で言えば、自らの肋骨を全て抉り出して臓腑を剥き出しにし、その上で自身の肋骨を他者の頭蓋に埋め込む様な行為に近いだろう。普通に考えれば、どうあっても両者にとって致命的だ。


 こうして思い返す度、いかに当時の本体が追い込まれていたのかが窺える。

 何故、あれでいけると思ったのだろう。


 そうして正気も碌にない、恐慌状態であれど幾分か冷静であったのも確かだ。人の子との初接触の際にはやはり緊張を覚えたのが、その僅かな冷静さの名残りだったのやもしれん。

 文字通り命懸けであったから、正気も全て投げ捨てるだけの勢いが必要であったのだろう。


 あの時の本体には、最早後は無かった。だからこそ、あの場に立つより他に活路は存在しなかった。この点に関しては今でも異論は無い。


 人の子を前にして、上手く喋ることが出来るのか、と言う不安もあった。何せ本体は言葉を発する生き物ではない。

 動かず、鳴かず、の静かな生き物だったから。

 それでも実行するしかなかった。人の子に立ち退いて貰わねば、最早死ぬより他なかったゆえに。

 

 しかし本体と最初の俺達である静安(せいあん)と、当時本体に害を与えていた六条機関の始祖にして、六条の由来である当時の六條(ろくじょう)家当主、静勘(せいかん)との交渉はこちらが驚くほどに円滑に終わって逆に驚いたものだ。


 今でも謎は大いに残るが、良い関係が維持出来ていることだし、とりあえず良しとしよう。


「衞哉(これなり)、お客人がお見えになりましたよ。貴方ともお目通しを望んでいらっしゃるから、軽く身支度を整えてからなおいでなさいな」


 思案に一度区切りをつけた時、同じく分体である智元(ちがん)、人の子の習わしでは父と呼ぶべき存在が業務の分担を持ちかけて来た。


「応、分かった。剣は要るか?」 


 人の子の客と言う存在は、俺達の生命を維持するのに必要な益虫の総称だ。

 尤も、智元の場合は優先度の低いものまで客と呼ぶから、些か判別に困る。俺達や本体に養分を運び込む人の子を優先すれば良いのに。

 智元はそれだけでは行き詰まる、と話していたが、どうにも腑に落ちん。


「魔性と相対するわけではないのですよ? 雪風(ゆきかぜ)お爺さまの客人ですので、要りません」


「相分(あいわ)かった」

 

 ならば暗器でも仕込んでおくか。無手(むて)でどうにかなる相手とも限らんしな。人の子は妙なところで好戦的な生き物ゆえ、油断出来ん。強い人の子ほど滋養が豊富とは言え、客は食えないからな。食える時期に至るのを待つか、客のもたらす養分に期待するより他ない。

 口に出来ない養分の相手ほど面倒なものは無いだろう。


 人の子の体で摂る食事も悪くはないが、やはり本体の腹の内に溜まる食事の方が好きだ。あの満足感は、何物にも変え難い。


「衞哉(これなり)。その様な思考、人の子に見られてはなりませんからね?」


「応とも。俺も命は惜しい。何より、人の子の業の深さは理解しているさ。

 そんな不手際は犯さんとも」



 ーーーー迷宮(ダンジョン)と言うものを知っているか?

 呼び方は時代や地方によって数多あるものの、それらの言葉が指す本質はそうそう変わらないだろう。


 それらは今も変わらずに、命と欲あるものを貪欲に喰らおうと根を張っている。あらゆる形を取って、欲望を刺激する。

 人の世がどんなに変化しようとも、変わらずにその口を開け、獲物がかかるのを待っている。


 これは生存を賭けた物語。

 生存を賭けた、どこにでも潜む、日常の物語。


 


 

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