緑のたぬき
夕光
第1話
必ず其処にいるという確信があった。他にも公園や酒屋、学校といった場所もあったのだが、山に入る前にはそれらの候補は浮かばず、其処にいるとしか考えなかった。
まだ昼時だというのに激しく降り続ける雪のせいか辺りは暗く、薄い紺色に包まれていた。視界も悪く10歩先の木すら全く見えないような吹雪であった。
ビュウビュウと吹き付ける風雪は痛く冷たく、手や耳の感覚はとうの昔になくなっていた。雪に至っては真正面から吹き付ける風に乗せられ顔を直撃してくるため、目を開けて進むことがイヤに難しく、また靴が埋まる程度に積もってもいてそれが殊更に歩く速度を落とさせていた。
しかし、それでも足を動かし続けるのは、単に彼女に会って、そして話をするためだ。
2学年年下の彼女は今夏、都会から越してきていた。同級生の真希の親戚でもあり、健吾と虫取りしていたときに真希が彼女を連れて現れ、大カブトを取り損ねた。健吾と真希がそのことで喧嘩しているのを真希に隠れてビクビクしていたのが印象的だった。
彼女は内気で人見知りであまり外で遊ぶのが得意ではないように思えたが、真希と遊ぶとき彼女は必ずと言っていいほどに一緒に来た。
だから、一緒に虫取りだってしたし、花火もした。バーベキューや栗拾い、秘密基地だって作った。真希も健吾もいない日に二人だけでずっと遠くまで行こうと大冒険だってした。
彼女も慣れてきたのか、今では真希と健吾が相も変わらず喧嘩しているのを僕と一緒に止めるまでになっていた。しかも、真希にだって言わない我儘を僕に言ったりすることもあった。
そんな彼女が、今、行方不明になっていた。
雪で学校が休みになったのにも関わらず、彼女は家を飛び出したらしい。雪の恐ろしさというものを彼女は分かっていないのか、或いは分かっていても衝動を抑えきれなかったのかもしない。
僕だって両親の静止も振り払い、彼女がいるかどうかも分からない森に一目散に駆けてきた。
森を進むに連れて辺りは更に暗さを増し、木々の揺れる音がいつもより酷く耳に残り、不気味に思えた。
たとえ離ればなれになるとしても、こんなお別れは嫌だった。
雪が積もり、坂のようにすら見える階段を上ると、小ぢんまりとしたログハウスがあった。秘密基地を作るのに休憩場所として遊んだ場所だった。父さんの会社の人たちが趣味で作ったものであり、バーベキューもこの小屋で行った。
念のために、戸を叩くも人がいる気配はなく、扉から数えて4つ目の植木鉢の下にもやはり鍵は置かれたままだった。
風は相も変わらず強く、雪は気温が少しでも上がったのか、雨のようなものまで混じるようになっていて、それはそれで冷たく鬱陶しかった。
このまま、この小屋で休もうか。
もしかしたら、父さんたちが彼女を他の場所で見つけているかもしれない。こんな激しく雪の降るなか、暗い森に行こうだなんて考えるものだろうか。
結局、僕は足を動かし続けた。
どうせ見つけるなら僕が見つけたい。彼女のことを知っているのだったら真希にだって負けはしない。
「ここが私の二番目のおうち」
ブルーシートや新聞、段ボールで作られたそれを誇らしげに言う彼女が忘れられなかった。僕や健吾、真希といつまでも一緒にいようねと、彼女はそう笑っていた。
果たして彼女はそこにいた。
雪が積もり潰れた段ボール、ブルーシートの真ん中で、ピンクのジャンパーが揺れていた。
「彩夏」
僕が呼ぶと、彼女は振り向いた。
泣き続けたのか彼女はぐしゃぐしゃの顔をしていた。ジャンパーのフードについた毛が彼女の顔に張り付いていて、基地を直そうとでもして怪我をしたのか赤い線も走っていた。手に至っては真っ赤っかだ。
「帰ろう」
「わたしたちの場所、なくなっちゃった」
「なくなるもんか。今度また作ればいいでしょ」
泣きじゃくる彼女を宥めつつ、小屋まで戻った。
鍵を開け中に入ろうとすると「怒られちゃうよ」なんて彩夏が言うものだから、思わず笑ってしまった。今さらだった。僕も彼女も大目玉には違いない。
小屋の中に入ると、風が完全になくなったせいか、少し温かくなった気がした。電気の類いはないものの、天窓から多少は光が入っていて真っ暗というわけでもなく、また、木の匂いと工具の匂いが合わさったような匂いに包まれていた。
父さんのロッカーから上着を取り出し、ポケットを漁れば、やはりと言うべきか煙草とマッチの箱が見つかる。
勝手に小屋に入ったことに未だに葛藤でもしているのかソワソワしている彩夏を尻目に、とにもかくにも温まろうと、開けた空間にストーブを移動させる。
円筒型の、いわゆるだるまストーブとも言われるやつだ。父さんの手伝いで灯油は変えたばかりであることは知っていた。
「それなに?」
「ストーブだよ」
「ストーブって、暖房の?」
彩夏はだるまストーブを見たことがない様子で、ストーブをまじまじと珍しそうに見ていた。
バーベキューをしたときは外だったし、あまり気にならなかったのかもしれない。学校も2年くらい前から安全性の問題だかで電気式のヒーターに変わっていた。
「おなかすいた」
つい先ほどまで泣きじゃくっていたのに、小屋に入りストーブを見てと非日常でも体験したせいか、彼女はそんなことを呟いた。
僕はいそいそとお嬢様の願いを叶えるべく、父さんのロッカーに積まれたカップ麺を二つ手に取る。
「彩夏は女の子だから赤かな?」
「ひーは?」
「僕は緑。なんとなくだけど」
「じゃあ私も緑」
せっかく二種類あったのに、僕と同じがいいようで、ただの食べ物の話なのに何となしに照れ臭かった。
二人分にしては大きすぎる金の薬缶に、これまた父さんのロッカーから天然水のペットボトルから水を入れ、ストーブの上に乗せる。
カップ麺は食べたことあるのかな、なんて思って見てみると、彼女は普通にフィルムを剥がして蓋を開けていた。
ここ最近彼女のことを分かっている気になっていたし、実際今日だって彼女を見つけたのだが、まだまだ全然知らないこともあるみたいだった。
「前に真希と一緒に赤い方は食べた。上のいなり巻くやつが味が染みてておいしかった」
いなり巻くやつとは揚げのことだろう。真希は彩夏がカップ麺を食べたことあるのを知っているばかりか、一緒に食べたことまであるようだ。何だか負けた気分にさせられる。
二人して手をストーブの前に翳しつつ他愛もない話をしている内に、薬缶のお湯が沸く。
二つの緑のたぬきにお湯を入れた。
「私ね、また引っ越すの」
「うん、知ってる」
ストーブの灯油がトクンと音を立てた。
「今日、僕の母さん宛てに彩夏のお母さんから電話があったんだ。転校のこと話したら彩夏が家出したって」
彩夏は俯いた。
ストーブの火の音、灯油の揺れる音だけが変わらず小屋に響いていた。
「でもさ、彩夏のお母さん、お父さんと仲直りするんでしょ。彩夏もお父さん好きだったって。お父さんの仕事が上手く行ったみたいで良かったじゃん!」
「でも、ひーも真希ちゃんも健ちゃんもいない」
若干早口になりつつも励ますと、彼女はそんなことを言い出した。
「ひーは?私はいなくなってもいい?忘れたりしない?」
「僕は、やっぱり仲の良い家族がみんなでいられるならそれが一番だと思う。それに僕たちとだって一生会えないわけじゃない。夏休みとか冬休みとか遊びに来てよ」
「でも、今より会えなくなる」
「その分、向こうで新しい友だちだって沢山出来るよ」
彩夏がじっと見つめてくるので、僕は誤魔化すように緑のたぬきの蓋を開ける。
ぶわっと、湯気が広がり、目に染みた。
湯気に当てられたせいで涙が溢れだした。
僕たちはまだ一人で生きるなんて出来ないし、彩夏のお母さんは彩夏のお父さんと一緒に暮らしたいに決まってる。彩夏はお母さんお父さんと仲良く暮らして、向こうで友だちも作って、たまにこっちにも遊びに来て、それがみんな幸せな、ごく普通のことだった。
それなのに、涙は止まらずに流れて、いつの間にか、僕に誘発されたのか彩夏もわんわんと泣いていた。
たった半年しか一緒にいなかったけれど、僕は彩夏を健吾や真希以上に気にしていたし、彩夏も僕たちのことを家族と比べるくらいに大切に思っていたみたいだった。
二人でひとしきり泣いたあと、緑のたぬきを頬張った。
天ぷらはふやふやになっていて、それをくぐしゃぐしゃにしてかき混ぜて麺と一緒に啜った。
口いっぱいに頬張ると、どこからともなく涙がまた溢れてきて、結局二人で泣きながら食べ続けた。
会話はなかったが、気持ちは同じだった。
下山すると、当たり前のことだけれど、それはもうしこたまと怒られた。せめて両親に森に行くくらいは言った方が良かったのかもしれない。でも、言ったら止められてたとも思った。
彩夏は引っ越してしまったけれど、彼女は夏休みや冬休み、それなりに長い期間遊びに来た。向こうで友だちも出来たみたいで、向こうの友だちの話をして真希が嫉妬していた。もしかしたら僕もかもしれないけれど。
彼女が転校する前、真希や健吾に小屋のことを話したみたく、真希は彩夏がいつ来ても良いように赤いきつねを沢山買ってもらったようだった。
僕も負けじと緑のたぬきを母さんと一緒に買いに行くと、健吾がきつねそばなるものを彼の母親にねだっていた。
忘れることなどあるものか。
たった半年しか一緒にはいなかったけれど、僕も健吾も真希もみんなして彩夏のことを待っていた。
そして皆で言って困らせるんだ。
赤と緑ときつねそば、どれがいい?
緑のたぬき 夕光 @since3110
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