大神殿24時

「戦闘不能者、計五名、転送されてきました!」

 街の人々が朝を迎える時刻に、白いローブ姿の男が走りこんでくる。

 それに応えたのは、目の下のクマを真っ黒にさせた、やつれた初老の男。

「うむ、今行く。生命の神官は?」

「使える状態は十名ほどです」

 不謹慎極まりない男の表現に、しかし初老の男は叱ることなく頷いた。

「では、君から見て、一番丈夫そうなのを三名呼び出してくれ」

「はい!」

 早朝から元気な返事をする男。

 だが、目の下には初老の男ほどではないものの、くっきりクマが浮かんでおり、男の目の奥は徹夜明けのヤバイ光が爛々と煌いていた。



 解毒に解呪、怪我の治療に結界生成・強化、そして戦闘不能者の介抱――。

 さながら24時間体制の病棟のように動く大神殿では、現在、分刻みに近い状態で昼夜を問わず、迷える者たちが現われる。

 三ヶ月前まではこんなに忙しくなかったというに。

 戦闘不能者を介抱するため、神への信仰ゆえにだだっ広い神殿内を小走りに、初老の男は歯噛みする。

 初老の男――今は神官長と役職名で呼ばれる彼は、三ヶ月前まで地図の端っこにある神殿の、神官長補佐を担っていた。辺境の地とはいえ、魔物の出現は他より多いくらいで、このため能力は、都市で安穏と暮らしている神官長たちよりも上。

 しかし、いくら有能とはいえ辺境の、しかも補佐止まりの男が、大神殿の神官長になりえるものか。


 話は一年前の冬、数百年前にどこぞで封印された魔王とやらが、何を思ったか、一人の娘を攫ったことに端を発する。

 ただの村娘であったなら、まだ対処のしようはあっただろう。

 だがこの娘、よりによって大神殿内で蝶よ花よと育てられた、神の娘、などと大層な名目がついていたから、さあ大変。

 何せ世界には信仰深い民衆が満ち溢れている。

 時の神官長は責任を追及されて島流しにあい、まず最初の二ヶ月を補佐であった者が神官長として着任。そして、時を同じくして、いたるところで勇者なる者たちが出現する。

 悲劇、いや喜劇とでもいうべきか。

 ここから神殿の忙しさは尋常ならざるものへと変貌していく。


 最初の二ヶ月は、それはそれは酷いものであった。

 名声や報酬に目が眩んだ勇者モドキたちが、己の力量も知らず、大した経験もないくせに、魔王直属の部下に挑んでいっては死にかけて戻ってくるのだ。

 これで少しは懲りると良いのだが、懲りるどころか、全快したのを良いことに、やれ自分を恐れて避けていっただの、吹聴しやがる。

 しかもこういう吹聴をするのが、見るからに弱そうな奴だから堪らない。

 こんな奴に出来るなら、俺だって、と無謀が無謀を呼ぶのだ。

 そうして、二ヶ月きっちり務め上げた後で、元・補佐はノイローゼに倒れる。


 続いて、今度は近くの城勤めの神官長が、大神殿の長となった。

 だがこの男、神官長とは名ばかりの低能。

 いや低能だけならまだマシであっただろう。こともあろうに、弱り転送されてきた者の中から少年を選び、自室に連れ込んでいたのだ。

 一体城で何をしていたのか。

 斯くして名ばかり神官長は、発覚後、少年の仲間の手により、ばっさり一太刀で露と消えた。

 こんな男が三ヶ月も居座り続けていたことに、神殿への信頼は地の底まで落ちたが、勇者モドキが激減したのは確かである。


 次に神官長の任についたのは、街勤めの神官長だ。

 品行方正で人々の信頼も厚かった彼は、実に四ヶ月もの間、長の地位を守り抜いた。これまでの代替わりの中で、一番長い。

 しかし、四ヶ月しか持たなかった、とも言える。

 何故なら彼は、確かに優秀ではあったものの、厳格でもあったのだ。

 信仰深い世にあっても、全員が全員、神を心から信じ切るのは難しいもの。

 だからこそ、彼は頼ってきた者たちに問う。

”我らの神が定めし法を一つ残らず挙げなさい”と。

 分厚い聖書の内容を、一から言えというのである。

 パーティを組んでいても、一人ずつ、順に。

 幸い死者はでなかったものの、結果的に重症者を多数出してしまった。


 そんな前任3名の後釜に、辺境の彼が着いたのは、辺境の補佐という立場上、中央のゴタゴタがほとんど耳に入らなかった、というそれだけの理由。

 自分が行きたくないばかりに彼を激推しした、辺境の神官長の謀略とも言える。



「神の御名によりて――」

 聖書を片手にもう一方の手は、法陣の上にぐったりと寝そべる五人へかざす。

 法陣の外では他三名が、同じように両手を五人へかざしていた。

 と、石に刻まれた法陣が白い明滅を始めた。呼吸のようなそれに合わせて、蛍火に似た小さな白い光が、いくつも宙を漂い昇っていく。

 詠唱が進むにつれ、徐々に赤み帯びる五人の顔。

 この五人、それぞれが似た甲冑に身を包んでいた。


 勇者モドキが激減して後、娘を失うことは神の恩恵を失うことと、今まで傍観していた各国の王が、自国の兵士を慌てて出陣させ始めた。

 しかしこれは六ヶ月前からである。

 だというのにこの忙しさは、つまり、各国の焦りを表わしていた。

 娘の消息はおろか、その生死さえ、未だ分からないのだ。

 徐々に増えていく兵士の数は、犠牲者に比例していく。

 そして連日のフル稼働。

 疲れのピークはもうとっくに過ぎ、神官長はここ一ヶ月、ろくに眠っていない。


 ふ、と意識が遠くなりかける。

 慌てて足で踏ん張ると、ドサリと音がした。

 見れば、自分より年若い神官が眉間に皴を寄せて眠っていた。

「神官長! また一人使えなくなりました」

 自身も倒れそうな面持ちで、徹夜明けの男が報告する。

 連日忙しいのは平の神官たちも同じである。

 苦悶の表情で眠る神官を羨ましいとは思えず、かといって見ていればつられて寝てしまいそうだ。

「温かい布でもかけて、眠らせてあげなさい」

 そう言い残すと、気つけに何か口にしようと自室へ戻りかけ、

「うわっ、神官長! 大変です、魔、魔物が!」

 甲高い悲鳴に眠気に苛まれる身体を叱咤して、叫び声のする方へ走り出す。

 その目が少しキレかかっていたのは、言うまでもない。



 広間に現われた魔物が、自分の用件を大口叩いて告げる途中で、堪った鬱憤をありったけの法力を用いて発散し、ぶっ倒れた神官長は後に知る。


 この魔物こそが件の魔王であり、娘の血により大神殿の守護を穢そうとしていたことを。あの時、八つ当たりに殴りつけた法力で、その魔王が死んだことを。

 魔王が死んだと同時に、魔王の胸飾りの中から娘が解放されたことを。


 そしてそして――。


「ありがとうございます、勇者様」

 目覚めた直後、洗礼のように額へ触れた何か。

 寝ぼけた頭には柔らかな感触。

 ぼやけた視界が鮮明になれば、目を潤ませ頬を染めた美しい娘がそこにいる。

 よく分からず顔を横にずらすと、少し身じろぐような気配。

 ………………………………………………………………………………。

 一気にガバリと起き上がり、見渡せば見慣れた大神殿内の、自室。

 ――の、ベッドの上に、見慣れない娘が一人。

 薄絹姿で恥らうように座るのは、先ほどまで自分が枕にしていた辺り。

 一体何の冗談かと、初老の男は混乱する頭でじりじり娘から後ずさる。


 その後どうなったか尋ねるのは、野暮というもので。

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勇者と魔王のあれやこれ かなぶん @kana_bunbun

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