勇者の選び方

 純白の壁面、磨き上げられた大理石の床。金と銀の装飾が施された彫刻。

 天窓から差し込む光は、幻想的な色彩の影を落としている。

 柔らかな光に温かさを内包しながらも、厳粛かつ神々しい雰囲気が漂うその場で、静かに佇むのは、純白の存在が一つ。

 しかし、両手を胸の前で組み、祈るように伏せられた目蓋は憂いに震えていた。

 白い長衣、白いヴェールに包まれたその身は、祝福を受けた者の具現。

 ただ額に嵌めこまれた翡翠の楕円だけが、この者を人ではないと告げている。


 ――――天使。


 俗につけられた名称。

 その中でも上位に位置する者を、天使長と呼ぶ。


* * *


「天使長様、お呼びでしょうか」

 バサリ、羽音と共に、翡翠の天使――天使長の前に三人の、やはり純白に身を包んだ者たちが跪く。

「よくぞ来てくれましたね」

 穏やかな声音で、目蓋は伏せたまま、抱きしめるように天使長が腕を広げる。

「天使長様の御呼びとあらば、例え火の中水の中!」

 瞳を輝かせ、燃えるような赤い髪の天使が意気込む。

「火だろうが、水だろうが、どこに現れようと影響ないでしょ、私たち」

 そんな赤髪の天使を冷ややかに蔑むのは、黒髪の天使。

 途端、喧嘩へ発展しかけたところに、三人目の波打つ金髪の天使が、出来事一切を無視して、

「御用件は?」

「ええ、実は――」

 天使長は険悪なムードを一切気にせず、おっとりとした口調で続ける。

「我らの庇護よりの界が、魔王を名乗る者に支配されんとしています」

「「「またですか!?」」」

 睨み合いも忘れ、三人異口同音に、呆れ混じりの驚きをあげた。

「よくも、まー、飽きもせずに」

「暇なのかしら?」

「最短記録だな。百年も持たなかったわけか」

 それぞれ勝手な感想を口にする天使たちに、にっこりと微笑みかける天使長。

 わいわい騒ぐ天使たちへ、にこにこにこにこ……――

 そんな天使長の様子に遅れて気づいた天使たちは、顔を青ざめさせながら、再び跪いた。彼らには特にコレと言って、天使長から罰を受けた憶えはないのだが、微笑みの中に感じた無言の圧が怖かった。

 そんな天使たちの心情を知っているのかいないのか、天使長はこれまでの穏やかさを消し去ると、厳かな声音で告げた。

「かの地を救うため、勇者を召還せねばなりません」

 天使長の言葉に、天使たちは喉をごくりと鳴らす。

 先ほどまでの騒がしさとは打って変わった静寂が、場に取り戻される。

 ゆっくりと吟味するように流れる時間。

 その荘厳な静けさを打ち破ったのは、静寂をもたらした張本人だった。

「さて、どうしましょう?」

 その口調は、まるで「今日の晩ご飯は何が良いかしら?」と悩む主婦そのもの。

 いや、主婦の方がもっと真剣であろう。

 この言葉を受けて、黒髪の天使がぱっと顔を輝かせる。

 あげる必要のない手まで上げて、

「あみだくじとか!」

「却下。お前、天使がどっかのお偉いさん頼ってどうすんだよ」

 赤髪の天使が「けっ」と心底呆れた顔をする。

 黒髪の天使はキッと睨みつけ、

「じゃあ、あんたはどう選ぶのが良いっていうのよ」

「聞いて驚け、実はタロットカードに今はまっててだな」

「同じことじゃない!」

 またギャーギャー騒がしくなる。

 と、ここで金髪の天使が提案。

「じゃあ、間を取ってコック――」

「「却下!」」

 すげなくあっさり、いがみ合っていたとは思えない息ピッタリの否定に、金髪の天使が少しいじけた。

 ここで頬に手を当て悩む素振りだった天使長が、ポンッと両手を打ち、

「ここは一つ、お茶でもして落ち着いてから考えましょうか」

 のほほんと言ってのけた。


* * *


 天使たちが住まう天界と、庇護よりの界と彼らが呼ぶ、人間たちが住む場所とでは進む時間の早さが違う。天使たちには些細な時間でも、人間たちにとっては軽く1年は経過していることになる。

 だが、そんな大幅なずれも気にせず、上品な紅茶とクッキーの甘い香り漂うお茶会に舌鼓を打つ天使長。荘厳だったはずの場は跡形もなく消え去り、有閑マダムの気だるさに似た空気が漂っていた。

「さてと」

 カチャリと紅茶の残るカップを置き、

「何か良い案は浮かびましたか?」

 無責任にお茶会を始めた天使長が、やはり無責任に天使たちへ問う。

 微笑を崩さず紅茶とクッキーを楽しんでいた天使長とは違い、それぞれ神妙な面持ちでお茶会に強制参加していた天使たちは、

「やはり前回と同じく矢が適当かと」

「サクサク終わるし」

「時間短縮が急務ですから」

「じゃ、そうしましょうか」

「「「では」」」

「その前にもう一杯。ああ、この紅茶はなかなか良い入れ具合でしたね」

「「「…………」」」

 どこまでも出鼻を挫く天使長である。


* * *


 キリキリ悲鳴を上げる弓。

 千切れんばかりの弦。

 放たれ、目にも留まらぬ速さで、天使たちの立つ地面に吸い込まれていく矢。

 矢が消えた後には、波紋のように風が起こる。

 それを幾度となく、休みなく繰り返す三人の天使たち。

 今回ばかりは天使長も真剣に祈っていた。

 放たれた矢が、無事勇者の元へたどり着くように。

 だが――

「ひぃー、しんどーい!」

「う、腕が吊る……っ」

「指が痛ぁーい!」

 連続で、一矢一矢に力を込めて、打ち続けること早1000。

 下手な鉄砲も数打ちゃあたる、なテキトーさでやっていたのが不味かったのか、天使長を介して分かる手ごたえが全くない。

 矢が勇者に届けば光の柱として、天使長の伏せられた眼に届く。

 それを庇護よりの界の神殿や王族に示せば、万事丸く収まるというのに。

 ――少なくとも、天使たちの中では。

「もう、この際犬猫でも構わないから、とりあえず動く生き物に当たれぇ!」

 黒髪の天使が自棄っぱちに三本並べ、一気に放つ。

「いくらなんでもいい加減じゃっ!」

 赤髪の天使が非難の声を上げつつ、また一本弓にあてがった時。

「当たりました!」

 天使長が手を挙げ宣言する。

「「「うそぉ……」」」

 放った本人でさえ呆然とするなか、更に、

「三本とも、どれも人間ですね」

「「「あ、ありえない、あんなので当たるなんて……」」」

 脱力した天使たちはへたっと、それぞれにもたれ座る。

 そんな彼らを尻目に、天使長は早速庇護よりの界との交信へ入る。

 指を組み合わせ数秒後。

「お疲れ様でした」

「あ、あのぉ天使長様?」

「はい?」

 柔らかく笑みながら、赤髪の天使の方を向く。

 温かな雰囲気に一瞬呑まれそうになりながら、戸惑いつつも、

「三人の誰かをお選びにはならないのですか?」

 他の二人も同様に困惑した表情を浮かべている。

 これに対し、より一層包み込むような笑みを上乗せしてから、天使長は言った。

 ――言ってのけた。

「あとはあちらが何とかしてくれますよ。心配することはありません」

 とてもとても、人心を正しい方向へ導く者の言葉とは思えぬほど、ありがたいお言葉だと、三人の天使たちはため息をついた。

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