単品

魔王のお遊び

 にかり笑う顔がどこまでも愛らしい少年が、じゃーんと赤い布を取っ払って見せたのは砂の山。

 高さは50cmといったところか。

 頂上にはお子様ランチなどでよく見かける、爪楊枝の旗が誇らしげに立っている。

 シンプルながら荘厳な空気を保つ部屋に、あまりにも似つかわしくないソレ。

「こ、これはなんですの?」

 十分に少年から距離をとり尋ねたのは、見目麗しい容姿を豪奢なドレスで着飾った、少年よりも年上に見える少女。黄金と見紛う柔らかな髪を飾る銀のティアラから、どこかの国の姫君だと分かる。

 姫の言葉にえへへとにこやかに鼻の下を擦った少年は、胸を張って言った。

「もちろん、ボクのお城だよ!」

「…………」

 色々な思いが姫の胸中に巡る。


 できれば頭を抱えたい。

 できれば指を差して笑ってやりたい。

 できれば自室に戻りたい。

 できれば倒れてしまいたい。

 できれば、出来ることならば、許されるのであれば……


 しかし、そのどれもできず、姫はただ頷くのみ。


 もし頭を抱えれば心配した少年が空恐ろしい何者かを召喚するのではないか。

 もし指を差して笑ってしまえば傷ついた少年がウサ晴らしに国を一つ滅ぼすのではないか。

 もし自室に戻ればその途中で少年の下僕の餌食になるのではないか。

 もし倒れてしまえば驚いた少年が得体の知れない薬を呑ませるのではないか。


 彼にとって実に簡単なことだろう。

 何故なら、蒼い澄んだ瞳の中にいる、上等な衣服に身を包んだ少年は、紛れもなく――

「魔王」

「うん? なあに、お姫様」

 キラキラと煌く眼は濁った血の色。

 艶やかな長い髪は闇夜を写し取った漆黒。

 にっと笑う歯は鋭く、子ども特有の柔らかな指先には切り裂くことを目的とした爪。

 そして、いくら抑えているとはいえ、滲み出る魔力は、害意のない笑顔であっても、常人となんら変わりない姫の身をすくませる。

 逆らうことなど無謀の極み。

 唯一の対抗手段である勇者は、未だ姫の前に姿を現わさず――。

 苦悩をひた隠し、それでもぎこちない微笑みを浮かべながら、

「すごく立派なお城ですわね……特にわたくしがさっぱり分からなかったあたりが」

 そのまま聞けば馬鹿にしている発言だが、魔王は気にした様子もなく、それどころか、

「うーん、やっぱり人間には理解できないんだねぇ……でも気にしないでお姫様。きっといつか分かる日が来るから」

 にっこりした微笑みを返しながら、姫は心の中で(分かってたまるものですか!)といきり立つ。

「……そう、ですか? けれどやはり、わたくしにはまだ早過ぎると思います。このままここで拝見させて頂くのも心苦しいですわ」

 言外に、とっとと部屋に帰して、という本心を多分に含んで言えば、とことん汲み取ってくれない魔王が胸を張った。

「だから、気にしなくていいよ! だって、これからが本番なんだから」

 なにが本番なのか、察することもできず、しかし絶対に禄でもないことだと分かる。

 ここに、魔王の居城に姫が攫われてからまだ数日しか経っていない。

 にも関わらず、毎度毎度この魔王は何を思ってか、楽しい“遊び”を思いついては姫へ披露するのだ。ある国を賭けての鬼ごっこだったり、捕まえた勇者もどきの処遇をかけてのトランプゲームだったり。実に多種に渡る“遊び”は、どれもが姫以外の誰かの命がかかったもので、負ければその命が失われることは確実。

 勇者が現われぬ今、魔王の“遊び”に付き合い、そのどれもに勝利を収める姫自身の心労たるや――

 そんな気苦労なぞ知るわけもない発案者は、無邪気な笑顔で言ってのけた。

「ここに楊枝があるでしょ? で、順番に砂を持ってって、先に楊枝を倒した方が負けなんだよ?」

 舌先も乾かぬ内に、

「お姫様が負けたら今度はねぇ……ああ、そうだ、ボクがお祭りに参加できるってのはどうかなぁ?」

 お祭り――確か、同盟国が近々祭りを行う時期だったような……。

 外見通りの人間の子どもが参加するならまだしも、本能のまま生きる目の前の少年が、祭りに参加するなど。

 脳裏を過ぎる、数々の残虐な光景。

 姫の顔から血の気が引いていく。

 毎度毎度のこととはいえ、もし負けてしまったらと考えれば、つい口に出てしまう。

「で、ですが、せっかく作られたお城なのでしょう? わたくし如きのために、そこまでしていただかなくても……」

 お姫様が退屈しないように――以前にっこり言われた言へ、(冗談じゃない!)という気持ちを載せつつ、惜しむ顔をする。

 魔王城に連れ去られてから、どうも自分は卑屈になってきていると感じてしまう。

 時折姫である自分の身分を恨めしく思う。

 コレが普通の街娘であったなら、魔王城に攫われ、こんな得体の知れない“遊び”に付き合わされることもなかったのでは、と思わなくもない。

 想像上の街娘が、花畑で蝶々相手に追いかけっこを始めそうな辺りで、

「大丈夫だよ。さ、始めよう! 最初はボクからね」

 形ばかりの遠慮を無視した魔王が、ごっそり砂山の砂を自分側へ引き寄せた。

 こうなると参加しないわけにはいかない。

 なにせ、この子どもらしい遊びに一国の命運がかかっているのだから。

(お父様はどう思われるかしら?)

 負けじとごっそり、上等な絹の手袋に包まれたたおやかな手が砂を取る。

「うわぁ、さすがお姫様! じゃあ、次いっくよぉ!」

 歓声を上げ、腕まくりをし、魔王が今度は少し慎重に砂を集めていく。

(攫われた自分の娘が、このような遊戯に興じているなど)

 皮肉な笑みが口の端に浮かんだ。

 慎重に、しかし大胆に砂を持っていく。

 また上がる歓声。

 魔王のそれは実に楽しそうで、姫にとっては腹立たしいことこの上ない。

 だが、数度繰り返すうち、あと少しでも触れれば旗が倒れてしまう、その番に当たったのは、

「どうしよう、これ。難しいなぁ」

 ぷくりと頬を膨らませ腕を組む魔王の方。

 姫の方は、手を合わせ組み、祈っていた。

 どうか、次が来ることなく、魔王が失敗してくれますように、と。

 そして、結果は――



「あーあ、倒れちゃった……」

 魔王が心底残念そうに、倒れた旗を尖った爪先でくるくる器用に回す。

 内心で滂沱に咽びながら奇声に似た高笑いをしつつ、残念そうな顔を浮かべ、

「どうやら今回はわたくしの方に分がありましたね」

 毎度毎度勝ちをもぎ取る側の言葉とは思えない、皮肉めいた謙虚さ。

 見た目幼子が落ち込んでいるのに、同情する気持ちは姫には全くなかった。

 一度目二度目ならまだしも、数えるのが馬鹿らしいくらいの付き合いだ。

 そのどれもに同情の目を向ける気など、持ち続ける方が無理である。

 負けた代償が、勝った罪悪感を吹き飛ばしてしまうほどの効力ならば、なおさら。

 所要時間30分弱。

 いつもより早く終わった“遊び”に、これで部屋に戻してもらえるとそう思った矢先。

「じゃあ、第2ラウンドだね!」

 にかっと笑顔を取り戻した少年に、勝利の余韻は急速に失われた。

「えっ……? は……で、ですが、お城はもう」

「大丈夫、大丈夫! だってまだ――」

 パチンと小さな指が鳴る。

 これを合図に、ガラガラガラ……と無数の音が部屋の扉から聞こえてきた

 豪奢な部屋に似つかわしくない錆びたその扉が、耳障りな悲鳴を上げて勢いよく開く。

 と、姫の蒼の目が、これ以上ないほど驚愕に見開かれた。

「こぉんなにっ、たっくさんあるんだから!」

 荷車に乗った砂の山々を、全力疾走で運んだ使い魔たちの喘ぎも聞かず、姫の真っ青になった顔色も見ず。

 両腕をいっぱいに広げ、「うれしい?」と疑いを知らない瞳でにっこり笑いかける少年。


 ああ、勇者様――

 姫は思う。


 ああ、勇者様。もしも、もしもいらっしゃるのであれば、どうか、どうか……

 わたくしの気がふれて、この遊戯に負け続けることを選択する前に。


 それから意識が飛ぶまで、連勝を続けた姫の苦労が、真実報われる日は――

 もう、すこぉーし、先のこと。

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