最終話 より良き明日のために
念の為に持っていた銃を反射的に構える。
目の前に立っているのは、俺と同じ背丈、肌の色、目鼻、そして俺と同じ位置の手術痕――つまり、俺と全く同じ姿をした存在だった。
半年前に対面した、超越者の姿が脳裏に映る。
ジーンズに襟付きのシャツ。傭兵としての迷彩服を着ている俺とは対照的な、ラフな格好。そこだけが顕著な違いだった。
そしてその相手は、あからさまな様子で両手を上げている。
「ご丁寧に、超越者自ら俺を殺しに来たか。歓迎するぞ!」
「フフッ…ハハハハハハハッハッハッハ!!」
俺の啖呵に、相手は吹き出すように笑い出した。
「すまない、驚くのも無理はない」
笑いを堪える様にそう言うと、息を整えて相手は言う。
「察しの通り、私は超越者だ。名前はカーンという。よろしく」
そう言って手を差し出す。
こんな状況で握手を求めるとか正気か?そう問うように、俺は相手を睨みつけた。
カーンと名乗った超越者は気まずそうに頭を掻くと、ゆっくり手を引っ込める。
「あー、まず私は君を殺そうなどとは考えてない。そこは理解してほしい」
「……じゃあ何が狙いだ?」
俺の問いに、カーンは両手を広げて答える。
「この村で起きたことは全て観測していた。その上で、君に話があってここに来た」
「全部見てたって言うのか!?」
益々信用できない。俺は銃の引き金に指をかけたまま、尚も相手を睨む。
カーンは俺をしばらく見つめると、唐突に尖塔の方へ視線を向けた。
「信用できないのも無理はない。しかし、まず落ち着いた場所で話し合いたいんだ。これからの君の待遇も含めて」
待遇ときたか。その言葉に、益々殺意を籠めてカーンを睨む。
「信用に値すると思ってはいないが、一応言っておく。私はシルク達に加担してはいない。もう一つ言わせてもらうと、君に話があって来た」
カーンの言葉に、俺は銃を構えて睨んだまま頭を働かせた。
さっき考えたように、このままここにいてもジリ貧だ。だから、目の前の相手の話を聞いた方がいい。それは理解した。
気に食わないのは、相手は俺がそう考えるだろうことを見越して話をしているということだ。
今の俺は獲得者としての能力が使えない。だから超越者を殺すことはできない。どの道、相手の話を聞くしかないのだろう。
しかし、それこそが相手の術中である可能性がある、というかその可能性の方が高い。
「やはりこれだけでは信用するのは難しいか」
「当たり前だ」
俺の様子を見かねたのか、そう声をかけるカーンに言葉を返す。すると相手は、少し思案した様子の後、言葉を紡いだ。
「なら一つ、君に有益な情報を与えよう」
「信用できないと言ってるだろ、黙ってろ!」
「臨界者から撃ち込まれた銃弾を摘出したのに、まだ能力が使えない。違うかな?」
俺の制止を無視して放たれたその言葉に、しかし俺は注目せざるを得なかった。
「……何が言いたい?」
「今は使える筈だ。試してみるといい」
そこまで言うと、カーンは口を噤む。俺は銃を構えたまま動かなかったが、それを見て奴は促すように頷いた。
奴から目を離さずに、俺は奴の近くの民家に向けて集中する。
その瞬間、民家の壁が抉れて、その破片が宙に浮いた。
「……どういうことだ」
「あの銃弾自体が一定範囲内に影響を及ぼしてる。シベリアで発掘された、特殊な鉱石が使われているからだ。君が摘出した銃弾から離れたから、能力を使用できるようになったということさ」
そう解説するカーンに、改めて俺は目を向けた。宙に浮いた壁の破片から集中を解くと、重力に従って破片が地面に落ちる音が響いた。
「これで、君はいつでも私を殺せるわけだ」
その通りではある。能力さえ使えれば、ヴィサロと同じように奴も殺せる。つまり、奴は自分の命を俺に預けた、いや賭けたということなのか。
「……分かった。ただし、少しでも不審な点があれば、能力を使うぞ」
「異存ない。受け入れてくれて感謝する」
感謝などという感情がお前達にあるのか。そう問いたい衝動を抑えて、俺はカーンを尖塔の中に招き入れた。
テーブルを挟んで向かい合わせに座るというのは、ヴィサロに対しても同じ構図だったのを思い出す。どうやら超越者は、そういうシチュエーションが好きらしい。
「いいや。我々の中でも、こうして向かい合って対話するというのを好まない者もいる。個の相違、という点では君達とは変わらんよ」
「……次に俺の思考を読んだら発砲するからな」
脅しに、カーンは肩を竦めた。
「で、何の話だ」
「本題に入る前に、幾つか君と話し合いたい事柄がある」
そう言うとカーンは腕を組み、まじまじと俺を見た。
「イツァークとの議論は興味深かった。だから、もう少し君の内面を知っておきたい」
そう言うと、カーンは簡単な問いかけを始めた。
曰く、世界は昨日より平和だと思うか?ノーと答えた。
曰く、俺の過去を知りたい。適当に幼少期の出来事を語った。多分、そう思考誘導されていたのだろうが、話し始めたら止まらなくなった。
そうして、満足そうな顔を目の当たりにした俺は、殴りたい衝動をどうにか抑えた。
「いい加減、本題を話せ」
俺の要求に、カーンは漸く頷く。
「私は……私だけは、君達と共存していきたいと思っている」
俺の眼を真っ直ぐ見つめ、そう言葉を紡ぐ。その口調には、これまでにない真剣さが込められていた。俺は確かめずにはいられなかった。
「今の情勢を見て尚、そう言ってるのか?」
「そうだ。アメリカやヨーロッパ等の、超越者に敵対する国々。それらと和解し、共存していきたい」
「だが、お前らの母星はどうする」
俺の問いに、カーンは深く溜め息を吐く。
「ヴィサロも、シルクやエルナも、まだ希望を捨ててはいなかった。だが私の意見は君と同じだ、ジェリコ」
「俺と同じ?」
カーンは頷くと、テーブルの上に両手を組んで、言い放った。
「私達は、もうとっくに終わった種族だ」
「他の惑星を、ましてその住人をも犠牲にしてまで延命するくらいなら、潔く滅ぶべきだ、とね」
その言葉に、俺は二の句が継げない。
確かに、そんな主旨の発言はイツァークに言った覚えはある。ただ、目の前に滅び行く惑星の当事者がいるのとでは、俺の心持ちも些か変わらざるを得なかった。
もし地球が滅び、俺が命からがら宇宙船に逃げ延びたとする。他の惑星を犠牲にして地球を救える手段があるというなら、俺自身はその道を選ばない自信は無い。
「もし、それを本気で言ってるなら、あんたの覚悟は買おう」
「無論、本気だ。だから君を訪ねた」
その言葉に、俺の頭に疑問符が浮かんでくる。だからそれを口にした。
「そもそも何故俺にその話をする?人類と交渉をしたいんなら、俺じゃなく各国の統治者……大統領や首相に話せばいい」
カーンは首を振った。俺の質問を予期していたかのような、言葉を選ぶような難しい顔をしている。
「理由は二つある。一つは、統治者が必ずしも聡明な者とは限らないからだ」
その言葉を皮切りに、カーンは語り始めた。
「国というものには様々な人種、民族、それに思想の違う者たちがいる。財産の格差もある。全ての人民のための政治を目指していても、時に自分達は蔑ろにされていると考える者が出てくる」
「そういう者たちが多くなると、やがて過激な政策を用いる統治者が台頭してくる。そうした者は、支持を集めるために虚飾した言葉を、巧みに操る。その言動は、人々の間に断絶を齎すだろう。そして仮想敵を定め、そこに人々の憎悪を集める……それは真実も虚構も綯い交ぜにされた、混沌だ」
「彼らが混沌を望むのは何故か?それは、そうした方法が支持を集めるのに最も合理的な手段だからだ」
「……人類に、そういう歴史が無いとは言えないな」
カーンは僅かに肩を竦めると、言葉を継ぐ。
「とはいえ、私はそういう統治者の台頭も、悪いことばかりではないと考えるのだ。そうした者が去った後、次の統治者は反省点を踏まえ、蔑ろにされたと訴える者の声にも耳を傾け始めるだろう。そして前任者の行為を反省し、同じ過ちを繰り返さないようなやり方を見出してゆく。そうして、国は進歩していくものだ」
そこまで言うと、カーンは深く息を吐いた。そして、締めくくるように言葉を紡ぐ。
「とはいえ、他でもない私が、そうした過激な統治者と交渉するのは困難を極めるだろう。仮想敵として設定するのに理想的な存在、それが超越者だからだ」
「仮想?今は実際に敵対しているだろう」
俺の指摘に、今度こそカーンは苦笑を漏らしていた。
「その通りだ。その状況を変えるため、私はここにいるのだった」
「もう一つの理由は、君に依頼したいからだよ。ジェリコ・ギブスン」
再び俺の顔を見つめ、カーンは改めてその言葉を口にする。
俺は少しばかり緊張した。そもそも超越者が単独で、自分達の本拠からこの地上まで降りてくること自体が異常なのだ。つまり、これからの本題がそれだけ重要な事案だということを示している。
「それは、何だ」
カーンは一瞬目を瞑ると、やがて眼を開けて俺を見た。
「超越者の指導者、シルク。彼を、暗殺してほしい」
俺は息を呑んだ。目の前の相手の言動に正気を疑うのは、これで何度目だろうか。
「不可能だ!ヴィサロの暗殺でさえ長い時間がかかり、運に恵まれなければ達成できなかった!!」
「だが結果として達成している」
即座にそう返されて、俺は言い淀む。
「しかし……あの時は事前にCIAのバックアップがあった。協力者だって何人もいた」
「その通り、故に今回は、私がCIAの代わりを務めるのだ」
そう言って、腕を組むカーン。その顔には自信と、そして何より覚悟が宿っているように見えた。
「だが、何故同族である筈の、それもあんた達のリーダーを?」
「彼を説得するのは不可能だからだ」
そう言うと、カーンは視線を虚空に彷徨わせながら、言葉を紡いでいく。
「彼は永き時間、私達のリーダーとして振る舞ってきた。この星の人間との交渉で表に出たのも、彼が一番多い。超越者からも人間からも、彼のリーダーシップは認められている。彼は、自らが超越者として振る舞うことに誇りを持っているのだ」
「だからこそ、彼は諦めない。母星の復活を。何故だか分かるかね」
そう問われて、俺は答えを探した。
「リーダーとして仲間のために、故郷を救うという目標を達成したい?」
カーンは首を振った。
「我々は肉体と共に感情というものも失った種族だ。故に、仲間意識や故郷への郷愁などといった不確かな理由で、母星の復活を願っているのではない。地球の人類に対して優位に立つ、それだけが彼の目的なのだ」
「分からないな。人類に対しては既に優位に立っているだろう。それだけ優れた科学力を、超越者は人類に見せつけてきた。獲得者さえ居なければ、今も超越者は人類を統治していた筈だ」
「いいや、シルクにとっては違う。獲得者の存在も、彼にとっては些末事に過ぎない」
「ならば何故……」
俺の問いに、カーンはやがて意を決したように言った。
「認めたくないのだ。我々超越者が、『難民』であると」
「そんな……ことで」
カーンの言葉に、そう言葉を紡ぐことしかできない。
自分達にレッテルを貼られるのが嫌だから。そんな理由で、数多の獲得者を犠牲にしてきたというのか。俺には理解しがたい心情だった。
そんな俺を眺めて、カーンは深く溜め息を吐く。
「君は肌の色による境遇で悩んだろう。難民も同じだ」
そう言って俺を見るカーンは、更に言葉を継いでいった。
「人権の尊重を訴える人間が、同じ口で移民の排斥を望む。それはよくある光景だ。道徳を重んじる者でも、違う価値観の人間が隣人になるのは、受け入れ難いものなのだよ」
「つまり、超越者は恐れているのか?人類に……迫害されることを」
「その通りだ」
俺が緊張と共に紡いだ疑問を、カーンはあっさりと肯定した。
「自分達は難民である。それを認めることになれば、この星の人間と超越者の立場は逆転するだろう。幾ら超越者が優れた科学力を持っていようとも、交渉において互いのパワーバランスは変わってゆく」
「シルクはそれを恐れた。故に、誇示してきたのだ。自分達はお前達より優れた存在だ、とね」
「だが、それでは駄目だ。滅び行く星を延命した所で……いや延命できるかどうかも、もう定かではない。不確かな可能性に賭け、そのために多くの代償を払った所で、結果は共倒れかもしれない。私は、そんな決断を私達だけで進めるのは断じて間違っていると、そう判断したのだ」
そう熱弁を奮うカーン。それが本心なのかどうか、それを見抜くことは俺にはできない。代わりに、残った疑問をぶつけることにした。
「あんたの指導者を暗殺したとして、残った超越者達はあんたの意思に従うのか?」
「ヴィサロが消失した今、超越者の指導者は3人。その他の超越者は、この3人の意思決定に従うだろう。もしシルクが消失すれば、残る意思決定の役割は私とエルナだけになる。そうなれば、私は必ずエルナを説得してみせる」
そう語るカーンの口調は、自信というよりも覚悟するような緊張感を帯びていた。その言葉を頭の中で吟味しつつも、もう一つの疑問を口にする。
「あんたがCIAの代わりと言ったが、CIAに匹敵するような装備や設備をあんたが用意できるというのか」
「10年前に我々がこの惑星に来てから、半年前に君がヴィサロを暗殺するまでの間。その期間に、私は人類との交渉の末に色々なものを収集した。既に肉体の無い私には必要のないものばかりだったが、君には役に立つだろう。無論、武器類も多数存在している」
どうだろうか。カーンがどの国の政府と交渉していたかは定かではないが、その国の政府が最新式の装備を超越者に贈るというのは、あまり想像はできない。
一先ず、必要な情報を得ることはできた。後は決断するだけだろう。俺はカーンの眼を見据えて、慎重に言葉を選ぶ。
「あんたの意思は分かった。だが実際問題、あんた達の指導者の暗殺は可能だと思うか」
「私が協力している以上、可能なのは確かだ。だがその難易度は、君がこれまで携わったどんな暗殺よりも困難なものとなるだろう」
その言葉に、俺は息を呑む。
「ヴィサロの時の比ではないのだろうな」
「恐らく、エルナの研究結果はシルクにも共有されているだろう。君が今夜戦ったのと同じ『臨界者』は、既に量産体制に入っていてもおかしくない」
その言葉に、身震いした。
結局一度たりとも、あの臨界者を俺は圧倒することはできなかった。俺が今生き残っているのは、ひとえに運が良かったというだけの話だ。
「それでも可能だと、あんたは言うのか」
「そうだ。計画は君に一任する。どんな装備も、どんな備品や住居だって用意してみせよう」
そこまで言うと、カーンは俺に手を差し出した。
「ジェリコ・ギブスン。私の依頼を、受けてもらえないだろうか」
目を瞑り、懸命に考える。
俺は一度、超越者を暗殺した。
それによって世界は変わったと思った。だが、期待したような変化にはならなかった。
更にイツァークの話で、世界は超越者の降臨前から、それほど変わっていなかったのだと思い知らされた。
だからこそ、より良い世界へ変えられるチャンスがあるなら、それを逃したくない。それが俺の、紛れも無い本心だ。
「一つだけ条件がある。あんたも命を賭けろ」
俺の言葉に、カーンは真剣な顔で答える。
「元よりここに来た時点で、私も命を賭けている」
「もう一つ。もし俺を裏切るなら、必ずあんたを殺す。どんな手を使ってでもな」
俺の言葉に、カーンは淀み無く答える。
「裏切らない。それを誓おう」
俺は、カーンの手を握った。
「ならば賭けよう、俺の命を。より良き明日のために」
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