第5話 奉仕者の行方
俺は歯噛みした。
あんなになってまで俺の命を狙うなんて。ヴィサロを暗殺できたのは、俺が暗殺者として優秀だったからじゃない。CIAが緻密な作戦を立てたのと、そして何より運が良かった、ただそれだけのことだったのだ。
俺は改めて、周囲の空間を眺めた。
荒廃したベッドの列。大量投棄された注射器の山。それらと比較して、綺麗過ぎる床や壁。上層の村と、それほど厚くない天井で隔てられたこの空間。
そして、かつての任務でマーカスから聞かされた、獲得者の特性。
それらが意味するもの、その答え。
目を瞑る。
「なぁ。俺がこの場所を見つけることも、お前の計画の内か?」
そう言って、振り向いた。
もう暗闇にも目が慣れている。だから、この空間の最奥に身を隠している、その姿を見ることができた。
「お前に聞いているんだ、ケネス」
「何故だ?」
そう言って、拳銃を構えたケネスが奥から出てきた。慎重な足取りで。
俺も既に、ライフルを向けていた。
「お前は最初からこの空間を知っていたな。俺と臨界者がここで戦っているのを把握すると、どこかにある正規の入り口からここまで来た。そして、臨界者が俺を殺すのを待っていた。違うか」
俺の言葉に、ケネスが何か反論しようと口を開ける。しかしそれを許さずに俺は言葉を継いだ。
「下手な言い訳はよせ。俺が戦ってる最中、お前が加勢できる機会は幾らでもあった筈だ。なのに、お前はそこに居てずっと俺の戦いを見ているだけだった」
「上で加勢したぞ?」
「あぁ、だから理由を考えたんだ」
先程、この地下に降りる前に臨界者に追い詰められた際、ケネスが加勢した時のことを思い返す。確かにあの時、ケネスのことを臨界者も敵視していた。
「お前は臨界者とは別口だな?少なくとも臨界者はお前のことを知らない。だから俺が易々と殺されれば、お前も臨界者に始末される可能性があった。違うか」
俺の言葉に、ケネスはしばらく黙り込む。しかしやがて、フーッと長く息を吐くとケネスはやがて重々しく口を開いた。
「苦労が水の泡だ。教えてくれ、私はどこでしくじった?」
「俺に言ってた、あの言葉だよ」
言いながら、俺は昼間にケネスが話していた台詞を思い返す。
『富は、平等にはならないからだよ』
「かつて俺が所属していた海兵隊やCIAにも、自国への客観視ができる奴はいた。けれど、お前ほど諦観の深い奴はいなかった」
一泊を置き、俺は奴に改めて視線を向けた。
「だから直感した。お前はCIAの人間じゃないな」
「口は禍の元、か」
皮肉を嘲る様に、ケネスの口元が歪む。そして、奴は銃を下ろした。
「臨界者を退けた貴方に、勝てる見込みは無い。だが、私にもできることはある」
そう言うと、ケネスは銃を捨て、俺に手を差し出した。
「我々に着け、ジェリコ。今のアメリカとヨーロッパ諸国には、超越者を退ける見込みは無い。私はそう結論を出した」
俺はそんなケネスの様子に、目を細める。
「まだお前の素性を聞いちゃいないぞ」
「けれど、もう推測はついている。違うか?」
俺の眼を正面から見据え、ケネスはそう返答した。
それについては確かに、奴の言う通りだ。俺は浅い溜め息を吐くと、改めて推測した。
アメリカはしばしば、人種のサラダボウルと呼ばれる。様々な人種や民族が居住し、そして各々の権利を主張している。だから現代ではアメリカのどんな組織にも、色々な肌や目の色をした人間がいた。
俺が当初ケネスの素性を疑わなかったのも、そのせいだ。
だが奴の外見――褐色の肌、黒い髪と髭、青い瞳は、この中東の人間である証でもある。
しかし、確信するにはまだ材料が足りない。俺は頭に浮かんでいた疑問を口にした。
ここに来る直前に会話をした、CIAの人間のことを。
「ギリアンをどうやって協力させた?」
「それについては、少し長くなるな」
そう言うと近くのベッドに寄りかかり、ケネスは話し始める。
「一組の夫婦がいた。彼らの祖国は悲惨な状況だった。貧困により食料は不足し、政府は対策を講じるどころか税金を増やして民衆を弾圧した。犯罪組織は増長し、町中に死体が溢れた。夫婦はそんな国を、命からがら脱出した」
何故そんな話を。ライフルの狙いを外さない俺とは対照的に、ケネスはリラックスした様子で饒舌に語る。
「それから数十年。彼らは子供を授かり、隣人とも仲良くして、何不自由のない生活をしていた。子供も成長し、孫が生まれる頃まで、長い時間を平和に暮らした」
「彼らの懸念はただ一つ、過去だ。かつて祖国を脱出した彼らは、違法な手段でその国に来ていた」
そこまで聞いて、俺はケネスの言わんとしていることを理解した。ただ一つの疑問を除いては。
「馬鹿を言うな。それが事実だとして、CIAが採用対象の身辺調査で見落とす筈が」
「誰がギリアンの話だと言った?」
ケネスの指摘に、俺は目を見開く。奴は話を進めていく。
「彼ら夫婦の孫娘には、無二の親友がいた。幼い頃から共に遊び、共に学んだ。互いに助け合って成長し、やがて孫娘はレストランを開く。その親友は対照的に、政府機関に所属するようになった」
「脅迫、したのか……!?」
「彼女は知らなかったそうだ。幼い頃からの親友、その祖父母が、メキシコからの不法入国者であったことを」
ケネスは、そう言って肩を竦めた。
「当局に知らせれば、たとえ高齢者だろうと国外追放は免れまい。そうチラつかせれば事は済んだ。君を騙すのに、CIA内部の人間の協力は必要不可欠だったからな」
俺は凄まじい憤りを抑えるのに苦労した。
それと同時に、ようやく確信できた。
CIA職員の弱みを掴める能力を持ち、それを元に俺をここまで騙し通せた手腕。この中東の人間に特有の肌と、青い瞳。
それら全てが、ある組織の名称を連想するのに、十分な要素だった。
「お前……モサドだな」
イスラエル情報特務庁、通称モサド。イスラエルに敵対する数多のテロ組織や、サウジアラビアなど周辺のアラブ諸国を相手に、半世紀以上情報戦争を繰り広げている、世界的な諜報機関。
組織力や資金力こそ劣るものの、要員一人一人の練度はCIAに勝るとも劣らぬと言われる。
「今は所属していないので元、になるかな」
そこまで言うと、ケネスは俺を見据える。
「超越者シルク。彼に依頼されて、君の脳を取りに来た。とはいえ、君さえこちらに着いてくれれば、そんな必要は無い」
一泊を置き、言葉を付け加える。
「これはそのシルクの提案でもある。彼は、君のヴィサロ暗殺の罪も許すそうだ」
シルク。超越者達の指導者、だったか。つまり、ケネスは超越者の代弁としてここに来たということか。
「もう一つ、まだ俺はこの場所について何も聞いちゃいないぞ」
この地下室。ベッドや注射器、小綺麗な壁、床、天井。今の話が確かなら、ケネスも部外者かもしれないが、俺はこの場所について聞かざるを得なかった。
「正直、そっちの方が先に聞かれるかと思ってた。だが……それについても、想像はできてるだろ?」
頷きながらそう語るケネスに、俺もゆっくりと首肯する。
「アメリカは、獲得者の能力使用のメカニズムについて相当深く分析していた。つまり……奴らはここを避難所ではなく、そのために使っていたんだな」
未知なるものを分析する。そのために、やることなんて一つしかない。
脳から能力使用を命令し、そこからソラリス元素がどう発生・作用するのか。
その解明のために、白衣の医師がベッドに拘束された子供の頭にメスを入れる光景がありありと想像できた。
ケネスも俺と同じように周囲を見回しながら、頷く。
「私が超越者についたのは、それが理由の一つでもある」
「何?」
奴は目を瞑る。その眉間に、急速に皴が寄っていく。
両腕を広げ、ケネスは言った。
「ジェリコ。答えてくれ。人類と超越者と、何が違う?」
「獲得者を自分達の脅威になると断じ、収容所に集めて虐殺した超越者。獲得者の能力使用を分析するため、解剖する人類。この二つがどう違うのか、貴方は説明ができるのか?」
そう問いかけるケネスの眼には、これまで見たことが無いほどの怒りが含まれているように見えた。
「ケネス、お前」
「イツァークだ」
「何?」
「イツァーク・ウォレス。それが私の本名だ」
そこまで言うとケネス、いやイツァークは深く溜め息を吐く。
「長年尽くしたよ、イスラエルに。君なら知ってるだろ、ジェリコ。我が祖国の病巣を」
そう問いかけられて、俺はイツァークが何を言いたいのか理解していた。
「パレスチナ……」
イツァークが真剣な表情で頷く。
ユダヤ人にとっての聖地エルサレム。故郷を奪い取られたパレスチナ人。人道に反していようと、裕福なユダヤ人を支援する先進国。
俺も知識として知ってはいる。あの問題は、もう解決の糸口が掴めないほど、互いの憎しみや恨み、業が積み重ねられている。
イツァークは、暗い眼で俺を見据えた。
「大勢殺した。イスラム原理主義組織の幹部、パレスチナ解放戦線の指揮官、その他大勢……罪もない女子供が巻き添えになることなど日常茶飯事だった」
「超越者の出現で、何かが変わると思った。変わると願った。だが、結局変わったのは表面上だけで、世界は変わらなかった……何も変わらなかったんだよ、ジェリコ!!」
最後に叫ぶように紡がれた、俺の名。
その声には、怒りや悲しみ、それだけでは留まらない、様々な感情がない交ぜになっているのが分かった。
何故急に自分の身元を明かしたのか、何故急に感情を露わにしたのか。それは分からないが、俺には奴の言っていることが分かるような気がした。
イスラエルだけではない。イラン、イラク、サウジアラビア、そしてアフガニスタン。中東は人種や民族、宗教、そして先進国の思惑により、長年争い合ってきた。
一時的に平穏を得たとしても、それを快く思わない者が現れる。やがて悪意を持った組織が国を打倒し、時には先進国にさえ牙を剥く。一連の流れの中で、人の命は無為に失われてゆく。それが、中東という土地の辿ってきた歴史だ。
「……ならば、何故超越者に着いた?」
再び深く息を吐き、イツァークは口元に自嘲を含んだような笑みを浮かべて言う。
「私は、シルクに要求したんだ。任務の報酬として」
「私も超越者にしてくれと」
「そんなことが可能なのか?」
その問いは、思わず口をついて出ていた。
人類が超越者になる。そんな発想、俺には終ぞ浮かんでこなかったからだ。
だが、今度はイツァークの方が、少し不思議そうに答えを返す。
「できないと思う理由の方が、私には分からないな。彼ら超越者だって、元々は我々と同じ、質量を持った生物だった。それが彼ら自身の科学力により、別次元の存在へと昇華したという。ジェリコ、君だってヴィサロからそういう話は聞いているんだろう?」
言われてみれば、納得せざるを得ない。超越者だって元々は人類と同じような生命体だった。その事実は確かに俺も、ヴィサロから聞いていたのだ。
そして、何故イツァークが超越者になりたいのか。その理由は察することができた。
「つまりお前は、肉体を捨てて人種も民族も関係のない存在になりたいと、そういうことか?」
「私だけでは意味が無い。いずれ人類全てが、超越者と同じ存在になる必要がある。そのために、彼らの力が必要だ」
言葉にされたイツァークの理想。それに対して、俺は背筋が凍るような思いを抱いた。
「人類が、超越者にか」
「賛成できないか?ならば君は、私の疑問に答えてくれるのか」
俺の言葉に、感情が滲んだのだろう。イツァークは、そんな俺に尚も訴えるように言う。
「国、人種、民族、宗教、富。人類はそんなものに縛られて、一体どれほどの命を無為に亡くしてきた?そこに意味はあったのか?私には、もう理解できない」
俺は目を瞑る。イツァークの問いへの回答は、既に頭の中にあったからだ。
「イツァーク。悪いが、俺はお前らに着くことはできない」
「超越者が信用ならないか?」
「いいや、そうじゃない」
目を開けて、俺はイツァークの眼を見据えた。
「人類と超越者の違いが何なのかと聞いたな?」
「奴らは、もう終わった存在だ」
俺の言葉に、イツァークは目を見開いた。
「……何?」
「奴らは確かに俺達より上の次元にいる存在かもしれない。だが、そんな奴らの科学力でも、自分達の母星を滅びから救えなかったんだ」
ヴィサロの言っていたことを思い出す。
「俺が殺した超越者は、母星の復活を諦めていなかった。そのために、この地球を犠牲にしようとした。そんな行動に出た時点で、俺は奴らに着く気がしない。それだけだ」
「……甘い。甘いぞ、ジェリコ」
眉間に皴を寄せ、イツァークは呟くようにそう言葉を返す。
「このまま同じ人間同士で争い合えば、破滅の道を辿ることになる。そうならないためには、超越者の力が必要なんだ!何故それが分からない、ジェリコ!!」
俺は目を瞑り、その言葉を聞いた。脳に染み込ませるように。
イツァークの訴えもまた、真実の一つではあるのだろう。
ヴィサロの言葉は間違いだ。この世界は、楽園などではない。
だが――地獄でも、決してない。
今よりマシな世界を目指すことは、人類自身にしかできないことなのだから。
「その道が破滅に向かっているかは、まだ決まっちゃいない。そして俺達は、その結末に至った奴らに、導かれるわけには行かないんだ!分かるだろう、イツァーク!!」
俺とイツァークは、しばし睨み合っていた。
臨界者を倒した俺を殺す術は無いとイツァークは思っているようだったが、俺にとってはイツァークも脅威だ。臨界者に負わされた傷は決して浅くなく、武器も弾数の少なくなったライフルしかない。奥の手だった獲得者としての能力は封じられている。
やがて、イツァークは背を向けた。
「自分が間違っていないというのなら、私の背中を撃つ真似はするな」
そう言って、歩いていく。この地下室の奥へ。
先程その奥から歩いてきたということは、あの先に出口があるのだろう。
「どこへ行くつもりだ」
「君を暗殺するという私の計画は失敗した。その報告に行くだけだ」
超越者の指導者だというシルク。そいつに報告に行くのだとすれば、俺の健在が知られることになる。
だが、今意見をぶつけ合ったイツァークを、撃つ気にはなれなかった。
「一つ聞かせてくれ」
俺の言葉に、イツァークがその足を止める。その背に、俺は言葉をかけた。
「本当にこの村にいた獲得者は、全員解剖されたのか?」
イツァークは、しばらく黙っていた。やがて、冷たい声で言葉を返す。
「この村の資料にあった、最大収容時の人数。それと解剖された資料のデータ件数には乖離があった。解剖された人数は収容人員の100分の一以下と言っていい。CIAが資料を抹消した可能性も大いにあるがな」
その答えに、言葉を言えないでいると、イツァークは振り返る。
「これから私が敗者として処断されず、また会うことがあれば、次は本当の敵同士だ」
その言葉を残し、イツァークは姿を消した。
どこかから、エンジン音とタイヤの軋む音が聞こえ、やがて遠ざかっていく。
イツァークが出ていった先は、出口まで一直線だった。出入口は村の外周に近い民家の中で、そこに出た時にはもう奴の姿は無い。
恐らく、村のどこかに予備の自動車を配置していたのだろう。それを使ってイツァークは脱出したのだ。
疲れた身体を引きずるようにして尖塔に戻ると、傷の手当てを始めた。
肋骨が何本か折れ、鼻骨が粉砕されている。しかしそれ以外は、深刻な傷は無いのが幸いだった。特に内臓に重傷を負わされなかったのは幸運というほかない。
肩の傷、そこに食い込んだ小口径の銃弾以外は。
尖塔の中に備蓄されていた装備の中にナイフがあったので、俺は苦労して肩の傷口から銃弾を摘出した。
しかし。
「糞っ!何でだ!!」
銃弾を摘出してからも、能力を使おうとすると頭に激痛が走るのは変わらない。
俺は必死に考えを巡らせた。弾丸の破片がまだ傷口に残っているのだろうか。だとすれば、今この場では摘出するのは不可能に近いだろう。
どちらにしろ、現時点で獲得者としての能力が使えないことは確かだった。
ぐずぐずしていても始まらない。俺は次に、通信機からギリアンを呼び出した。
『もしもし、ケネス?』
「いや、俺だ」
一瞬面食らうように言葉が途切れ、やがてギリアンが言葉を返す。
『あぁ、ジェリコ。戦いは終わったの?』
「イスラエル人に俺を売ったな?」
俺の言葉に、沈黙が返ってくる。それは肯定と同義だ。
「お前は信用できなくなった。もう切る」
『待って!』
ギリアンの悲痛な声に、俺は通信を切ろうか逡巡する。その間に、彼女は言葉を紡いだ。
『ケネスを、殺したの?』
「いいや」
返事と共に通信を切る。その後、ライフルを発砲して通信機器を破壊した。
これからどうするか。疲れた頭で思考する。
もうCIAは信用できない。ギリアンが俺に裏切り者の汚名を着せて、上官に報告する可能性が捨て切れないからだ。さっきの彼女の様子では、そうする可能性は低いと思いたいが、保身のために他者を犠牲にするのが人間だ。
イツァークは、俺の生存を超越者に報告するだろう。再び俺に暗殺者が仕向けられる。猶予は僅かだ。
他の、超越者と敵対する国のどこかに亡命するか。アメリカと超越者、両方に狙われる俺を匿ってくれる国があればの話だが。
そもそも、まず生きてこの村から脱出できるだろうか。
この村は無人だ。イツァークが用意していた食料と水が数日分あるが、移動手段が破壊された以上、近隣の町や村に行く必要がある。しかし、ここが奴の言った通りの村なら、周囲とは隔絶された地域である筈だ。恐らく来た時と同様、車で数時間は走らないと辿り着けないだろう。
イツァークが脱出に使用したのと同じように、予備の車両がまだ村のどこかに格納されているだろうか。しかし、今はそれを探そうとする気力は沸いてこない。
考えているうちに思考が頭の中をグルグルと回り、疲労と傷の痛みで意識を失いそうになる。
あと数時間で朝だ。東の空が白み始めているものの、まだ辺りは暗い。
途方に暮れながら、尖塔を出た。
目の前に、俺が立っていた。
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