世界を守る人々

五月雨 芽吹

第1話 旅立ち

「天気よし、装備よし、財布と傷薬もある」

アニーは自分の荷物を声に出して点検した。アニーというのはこの少女の愛称であり、公的な場以外では本人もそう名乗っていた。アニーは鏡でもう一度身だしなみを確認する。鏡に映った少女はまだ幼さが残っていた。髪は短く切りそろえられ、服装によってはかわいい系男子にも見えそうだ。女性特有の丸みを帯びたシルエットからは少し離れており、動きやすさを重視して履いたハーフパンツからはしなやかな足の筋肉が見えている。上半身は、下半身の軽快さとは対比的に金属質な物々しい鎧を身に着けている。ハーフパンツも鎧も深い夜闇のような紺色をしており、影に溶け込んで行動することを想定されていた。足首には短剣が固定されており、それとは別に腰にも肩掛け鞄の陰に短剣が仕込まれている。肩掛け鞄も暗いこげ茶色をしており、財布、携帯食料、応急処置を行うための簡素なセットといった必要最低限のものが仕舞われている。最も、アニーは治癒魔法が条件付きとはいえ多少は使えるので、応急処置セットも出番があるかと聞かれれば甚だ疑問ではある。

「ではお母様、アンジェ、行ってまいります」

アニーはそういって生家を後にした。


様々な種族の生き物が生きているこの世界では、不必要な争いを避けるため一定の知能を持つ生物間では翻訳魔法により言葉を交わすことが可能となっている。種族により得手不得手が異なるため、なれる職種が異なり、また、競わせることこそ社会や技術の発展に寄与するという考えのもと積極的ではないにしても貴賤の差は存在していた。言葉こそが武器であり、知識は宝であるが、それらは全て持てる階級の存在のものである。翻訳魔法が使えない種族や自分の身一つしか持たない存在の前では武力こそが防衛手段であり、力となる。基本的に抑止力として機能している武力も、目標であったり発揮する場面であったりそういうものがなければ水準が落ちてしまう。そこで世界は戦いにおける26人のスペシャリストを立てることにした。剣であれ拳であれ魔術であれ呪術であれ、戦いにおいて秀でた才を持つ26人だ。彼らにはAからZまでの階級が与えられ、挑戦者が勝利するか、譲渡するにふさわしい相手を見つけたときは譲る決まりとなっていた。この26人は挑戦を受けること以外では世界の秩序が守られていることを見守るのが主たる任務となり、その足で、その目で平穏が維持されていることを見るため世界中を飛び回っていた。彼らは子供たちの憧れであり、戦いにおける目標であった。その目標に挑戦するための最初の試練が16歳の時に参加できる武術大会となっている。参加することに強制力も資格も性別も何もないが、参加しないもしくは参加しても才能がないと判断された場合はそれ以降挑戦権を持つことは原則としてない。一種の成人としての通過儀礼であり、文武どちらへ進むかの分かれ道でもある。母子家庭であり病気で寝込む妹のアンジェラと暮らしているアニーは最低限の学しかない。また、妹の治療費の問題もある。そのため、アニーはなるべく武の方で高い職に就きたいと考えており、その大会に出場するのが今回の目的であった。


この年の武術大会は、最寄りがアニーの住んでいる村から二つ離れた町で行われ、アニーの足では歩いて一日ほどかかる距離だ。交通手段に対する規定は特にないが、慣例として徒歩で行くのが一般的だ。その理由は諸説あり、交通網が発達する前の時代から続いている風習だとか、今後の仕事で徒歩以外の手段がない場面に出くわした時のための適性試験だとか言われている。そのため、アニーも慣例に従って徒歩で向かうことを決めており、そのため二日早めに家を出ている。受け付けは前日の15時ごろが締め切りとなっている。誰でも挑戦できるように治療師などは公費で手配されている代わりに、遅刻には厳しいのだ。遅刻してしまえば挑戦権はなくなってしまう。アニーの予定では一日歩いて会場の町に到着した後、受付を済ませて一日休息に充てることになっていた。携帯食料も応急処置セットも万が一を考慮したものであって、使う必要のない物ではあった。


予定とは、予定通りに進まないものだ。気に止めなければよかったのかもしれない。それはアニーの性格として無理な相談だった。路地裏で人が殴られている音がしたのだ。いくら短剣を装備しているとは言えど、アニーは16になったばかりの小娘。恐怖は大きかったが、ここで見捨てることは一生の後悔に繋がりそうな気がした。大切な人たちを守るための武術を志したのに、挑む前に逃げることは志に反している。アニーは一度大きく深呼吸をして路地裏へ足を踏み出した。神経をとがらせ、周囲の物音に気をつける。話し声と足音の数から複数人で一人を囲っていることが推測された。物音を立てないよう気を付けながらアニーはじりじりと現場に近づいていく。ローブの人間を三、四人ほどの男が囲っているのが見えた。おそらく物取りか何かだろう。ローブの人間はローブによって顔も体つきも隠れていて性別も年齢もわからない。ただ陰になっていてもわかるローブの光沢からとても良い素材が使われていることが想像できた。囲っている理由はおそらく物取りだろう。話しても埒が明かなくなったのだろう。ローブの人間の正面に立っている男が手を振り上げた。アニーはとっさに駆け出し二人の間に割り込む。直後に力強い衝撃が左頬から伝わってくる。一拍遅れて殴られたことを理解する。歯は折れなかったが、頬を切ったのか鉄の味が口の中に伝わってくる。

「どういう理由があっても、犯罪は、ダメです。誰かが、誰かを、傷つけることは、見過ごせません」

途切れ途切れに、しかしはっきりとアニーはそう言った。言葉が途切れ途切れになったのは、殴られたこともそうだが、それ以上に恐怖心が支配しているところが大きいのだろう。自分の体すら支えるのがままならないぐらい足も震えていた。

「お嬢ちゃん、それは正論だ。だが、正論で腹は膨れない。俺たちは生きるために何でもすると決めたんだ。物取りだろうと、殺人だろうと。お嬢ちゃんが代わりに払ってくれるというのなら見逃してやってもいいぜ」

リーダー格なのだろう。アニーを殴った男がそういった。アニーの現在の所持金は宿代と食事代に少し余裕を持たせた額しかない。それでも囲っている人たちが何回か食事する分はある。

「わかりました。お支払いしますので、これでこの場は収めてください」

アニーが己の財布を出して言う。余ったら妹の治療費に回したかったなとか、なけなしのお金なのは私もなんだけどなとか、そういう思いは脳裏をよぎるがその思いはぐっと飲み込む。リーダー格の男は財布の中身を確認し、フンとお金を抜き取った財布を投げ捨てた。

「お嬢ちゃん、払うっていうのはこれだけじゃないだろ」

アニーの前髪を鷲摑みして男が言う。抵抗しようと腕を必死に動かしたら短剣の柄に腕が当たった。そこでアニーは自分が丸腰でないこと思い出すが、恐怖と痛みでうまくつかむことができない。

「僕だけだったら殴られても構わなかったんだけれど」

ずっと黙っていたローブの人間が言葉を発した。声から男性であることがわかる。

「ちゃんと彼女は君たちがその日暮らしをするだけの金銭は出したでしょ。約束違反は君たちの、君たちなりの矜持すら汚すことになると思うけど」

ローブから出てきた腕はとても細く今にも折れそうである。そんな細い腕のどこにそのような力があるのか、ローブの男の手はアニーの前髪を鷲摑みしていた男の手首を掴み、その指をめり込ませていた。さすがにそれは痛かったのだろう。アニーの前髪は開放され自由になる。アニーの頭が離れたのを確認してローブの男の手が発火した。

「これ以上痛い目に遭いたくなかったら早くこの場を去りなさい」

ローブの男の言葉が言い終わるや否や、アニーたちを囲っていた男たちは一目散に逃げだした。アニーとローブの男は黙ってそれを見送った。


「ケホッ、ケホケホ」

男たちが見えなくなってから時間として数分も経過していないころだろうか、ローブの男が咳き込んだ。口元を覆っていた手には血が付着しており、喀血していることがわかる。

「大丈夫ですか?」

驚いてアニーが今にも倒れそうなローブの男を支える。その体は焼けるように熱い。もしかしたら本調子でないのに、助けに入ったアニーを助けるために無理をしたのかもしれない。

「大丈夫、少し、魔法を、使いすぎた、だけ、だから」

そうローブの男は言うが、切れ切れの言葉と現状では説得力がない。

「そんな、どこも大丈夫じゃないですか!見ず知らずの私が信用できないのはわかりますが、無理しなくていいんですよ」

「いや、君は、信用、できる」

泣くように叫んだアニーを、具合悪そうに、しかしはっきりとローブの男は断言した。そしてすぐにアニーの両腕にかかる重みが増した。ローブの男が気を失ったのだ。

「えっ、えっ?」

予想していなかった信用できるという言葉と、男が気を失った現実にアニーは戸惑った。宿泊費は先ほど全額持っていかれて夜を超す場所はない。そこに意識を失った男が加わったのだ。置いていくわけにもいかなければ、男の宿泊先を聞くこともできない。結果としてアニーは膝を貸してその場にとどまるしかできなかった。応急処置セットは主に擦り傷に向けたものだ。発熱して気を失っている人に遭遇することを想定していなかった。アニーを信用していると言った男の信を裏切らないためにもここで見捨てることはできない。アニーは自分が持てる可能な限りの応急処置を行うことにした。


大気を冷やし、ありあわせの氷を生成して解熱を試みる。氷を直で肌に触れさせないよう応急処置セットに含まれていたガーゼと包帯を使って包む。効率よく体を下げるには大血管を冷やす必要があった。首元、ローブの中は失礼して腋下、さすがに足の付け根は憚られるのでそこはなし。手で伝わる熱から想像するよりもずっと早く氷が溶けていく。先ほど手が発火したことを考えると炎系魔法が氷を溶かすことを加速させているのかもしれない。氷が溶けて濡れたガーゼは汗を拭きとるのと、多少の水分を残して揮発させる。揮発するときは周囲の熱を奪うため、濡れたガーゼも無駄なく解熱に使用した。アニーは寝ずに看病し、夜が明けるころローブの男の呼吸が安定するのを確認した後、アニーの意識は途切れた。


強い陽光を受けてアニーは目を覚ました。日の入らなそうな路地裏も、太陽が真上の時は日の光が差し込むようだ。変な態勢で寝ていたため関節が痛む。一瞬アニーはなぜそこにいるのかわからないでいた。すぐに前夜の出来事を思い出す。所持金全部差し出したので宿に泊まることができなかったのだ。そうなった理由を思い出してアニーははたと膝を貸していた男がいないことに気づく。回復して去ったのならそれはそれでいい。お礼の一言もないのは薄情だと思わないでもないが、お礼が欲しくて行っているわけではないのだからないものは仕方ない。

「ああ、起きたんだね。おはよう」

少し離れた所から男の声がした。しっかり立っていて、まだどこか調子が悪いという様子は見られない。着ていたローブがなく姿がはっきり見える。全体的に細い体つきは実際よりも小柄に見えた。逆光で表情はよく読めないが、優しそうな顔をしているように感じた。

「昨日は僕のトラブルに巻き込んでごめんね。宿に連れていくべきだとは思ったんだけれど、昨日も話したかもしれないけれど、今魔法が使えなくって」

「いえ、大丈夫です。それよりも、ローブありがとうございます」

男がローブを着ていないということに気づいてから改めてアニーは自身を確認すると、男のローブがかけられていたのだった。男が炎属性の魔法の使い手だったからなのか、上質なローブだからなのか、ローブは見かけ以上にぬくもりを伝えてきていた。アニーが手に取って返そうとすると、ローブは自分で持ち主のところへ帰っていった。立ち上がろうとしたアニーは眩暈がしてすぐに地に手を付けた。

「まだ休んだ方がいいよ」

男がアニーのそばに近づいた。

「限界以上の魔力を絞り出したんでしょ。立つだけのエネルギーが残っていなくて仕方ないよ」

「でも、あなたは」

もっと状態がひどいのでは、という言葉を続けることは男に手で制された。

「自己紹介がまだだったね。僕はロジャー、ソロで旅をしている魔術師だよ」

「あ、アニーです。16になったので武術大会に参加する予定でした」

聞きたいのはそこではないんだけどなとは言葉にせず、アニーはそう返した。

「僕は体質的に魔法を使うのに制限がかかっているんだ。普段は持ち合わせの魔法陣とかである程度は対処できるんだけれど、困ったなあ」

男が心底困った風にしている理由に思い至らず、アニーはクエスチョンマークを頭上に並べた。

「転移魔法は用意していないんだ。少なくとも二人を運べるものはすぐに用意できるものではない。僕のせいで君は参加資格を失うかもしれない」

ロジャーがそう言ったことでアニーにもロジャーが困っている理由が分かった。ロジャーはアニーの心配をしていたのだった。そうだ時間!と思ったが、今のアニーの手元には時刻を確認するものはない。日の高さから考えて、受付締め切りの時間前後だろう。

「ダメ元で話をしてみる?通信魔法なら魔法具があるから使えるけど」

「お願いします」

アニーはロジャーから通信具を借りて武術会場の場所を脳裏に思い浮かべる。意識を集中させて武術会場の通信具の波動を感じ取る。アニーは感じ取った通信具の波動に自分の魔力を混ぜる。アニーは通信具の原理はよく知らないが、こうすることで接続され魔術回路は隔離空間へと移動することで外から通信が読み取れないのと、通信具の波長が感じ取れなくなることは知っていた。いわゆる通話中という状態だ。

「こちら武術大会受付です」

落ち着いた女性の声が脳裏に響く。

「あの、今年の武術大会に出たいのですけれど、ちょっと到着が遅れそうなのですが大丈夫ですか?」

アニーは通信具に送る魔力にそう言葉を乗せる。

「申し訳ございません。今年の受付は30分ほど前に終了しました」

事務的に冷酷なまでの現実がアニーに告げられる。

「間に合わない正当な理由があるのなら、締め切る前に事前に連絡をするものです。それを怠ったのですからあなたに瑕疵があると判断され、規則として参加資格は認められません」

でも、だって、と言いかけたアニーに無情にも現実を突きつけた。

「わかりました、ありがとうございます」

そう伝えてアニーは通信を切った。


通話が終わった後のアニーの表情が芳しくなかったのか、ロジャーはなんて声をかけたらいいか悩んでいるような表情をしていた。

「もう受付終了しているから駄目です、って言われました」

アニーから話を振らないとこの重い空気に間が持たなかったので、アニーは努めて明るく事実を伝えた。

「ごめんね、僕に関わらなければこんなことにならなかっただろうに」

ロジャーはそう謝罪したが、間に合っても間に合わなくても、アニーはきっとその場面に出会ったら相手が誰であっても同じことをしただろう。

「いえ、同じような場面を見ていたら誰であっても介入していたと思います。実際何もできなかったですけれど」

苦笑いしてアニーは言葉を返した。

「どんな形であれ、初めての戦いでいきなり攻撃を仕掛けられる人はほとんどいないよ。狩猟経験があるなら多少はましでも、対人戦という自分たちと同じ種族と戦うということにためらいは大体起きるものさ」

ロジャーがアニーをそう慰めた。

「でも、私は武術大会に出る以上その覚悟は決めておかなければなかった。決めていたつもりだった」

「そう、そこが聞きたかったんだよね。良かったら精霊術師の君の参加目的を聞いてもいいかな」

悔しんで歯ぎしりするアニーにロジャーは問いかけた。

「アニー、君は心根が優しいから自分では冷酷になれると思っていても、いざその場面に出くわすと非情になれない。もちろん場数を踏めば多少は耐性がつくとは思うけれど、場数を踏めばという仮定の話だ。精霊術師として戦うならまだしも、場数を踏んでいない現状で、そこの二本の短剣で近接戦をとるなら余計に覚悟が必要なはずだ」

言外に覚悟が足りないと言われているが、この結果を見れば事実なのでアニーは甘んじて受け入れる。今の状態だったら、仮に受付できても何もできなかったよ、とロジャーは付け加えた。

「そう、ですね。優しい子とはお母様からよく言われます。私は精霊術師ではないですが、この子たちが手伝ってくれるのもそのためなんだと思います」

そう言ってアニーが手を差し出すと、一つの光の玉がアニーの手に吸い寄せられるように近づく。光が落ち着いてくると手に吸い寄せられた玉は小さな小人になった。ステンドグラスのような透明で煌びやかな一対の羽をもつ彼らは精霊と呼び、気に入った生き物たちに力を貸してくれる存在だ。彼らは他の生き物たちの心の波長を好み、一種の嗜好品のようなものだ。だからこそ彼らは気に入った波長の持ち主がその波長を損なわないよう力を貸してくれるのだ。アニーが治癒魔法を使えるのは主に治癒を得意とする精霊たちが力を貸してくれることに他ならない。アニーの妹を助けたいという願いが治癒を得意とする精霊たちを呼んでいるのだ。アニーは手のひらにちょこんと座る精霊の頬をもう片方の手で優しく撫でる。

「私の家には病気で寝込んでいる妹がいます。お父様は妹が生まれるころには亡くなったと伺っています。私は家計を助けるために、読み書きと四則演算を習う以外の時間を小間使いのようなことを行っていたので、学はありません。皆様お優しいので礼儀作法などは教えてくださりましたが、いつまでもその好意に甘えるわけにもいきません。皆様の好意に報いるためにも、妹の治療費を稼ぐためにも、少しでも稼ぎの良い職に就きたいのです」

稽古も近所のおじさんがつけてくれた。なんでも昔は師範を務めたことがあるとかないとか。だからこそ、多少は動けると思っていた。それはただの思い上がりだった。アニーは殺意と悪意に対して何もできなかったのが現実だ。

「これは提案なんだけれど、僕の御側付きになってみる気はないかい?」

アニーと精霊のやり取りをじっと見ていたロジャーが言う。予想しなかった言葉にアニーは目をしばたたかせた。

「責任をとる、という意味でしたら責任を負わなくて大丈夫です。私が自分の意思で介入したことですし。指摘された通り実戦経験のない新米ですし、足手まといにしかならないと思いますが」

「実戦経験はこれから積めばいいよ。誰だって最初は何もできないで足が竦んで終わる場面に出くわしているものさ。それが早いか遅いかの違いでしかない。剣術は教えられないからそれに関しては見て腕を盗んでとしか言えないけれど、精霊術の方は多少は教えられると思うし。君が心配している給金の面はたぶん申し分ないと思うし、君も見たからわかると思うけれど、魔術を使ったあと無防備になる時間を任せるなら君みたいな子なら安心かなと思うんだ」

アニーの不安に対してロジャーがそういう。ロジャーの話はアニーにとっては条件が良すぎるような気もしていた。ロジャーもそんなアニーの不安を感じ取ったのだろう。さらに言葉を続ける。

「同僚、と言っていいのかわからないんだけれど、まあそんな同僚たちから御側付きを持つようよく言われていて探していたんだよね。基本的には自分で何とかできるからいなくても不自由はしていないんだけど。だから能力如何よりも信用関係の方を重視していたんだ。ただ、いいことばかりでもないんだけどね。一つは家にほとんど帰れなくなること。もう一つは行き先によっては危険を伴うこと。大きく分類してデメリットはその二つになるかな。それでもいいなら、選択肢として考えてもらえないかな?」

家に帰れないのは、妹の様子を見られないのはアニーを悩ませる要素ではあった。しかし、ここまでの好条件は今を逃したらもう見つからないような気もしていた。精霊たちの様子を見れば信用のおける人物には違いなさそうだった。何かまだ隠していることがあるような気はしていて、そこだけは引っかかっているが、必要になればロジャーは教えてくれるだろう。

「わかりました、是非よろしくお願いします」

アニーはそういって手を差し出した。

「約束するよ、僕が生きている限りこの待遇は保証する。万が一僕が死亡することがあったとしたら、君が僕を継いでくれてもいいし、僕の御側付きという経歴をもってすれば再就職もしやすいと思う」

ロジャーはアニーの手を取り、握手を交わした。


御側付きの契約のための手続きに役所に行く必要があるとかでアニーはロジャーについて役場へ向かった。役所のスタッフはロジャーの姿を見るなり慌てふためいていた。アニーが知らないだけでロジャーはかなり位の高い人物なのかもしれない。受付に呼ばれたのだろう、すぐに所長と思しき中年の男性がやってきた。

「これはロジャー様、本日はどのようなご用件でしょうか?」

所長の対応を見ていると、アニーのロジャーに対する態度は失礼にあたるような気がしてくる。ロジャーは気にしたそぶりを見せなかったが、無礼な態度をとったのでは?という考えが脳裏をよぎり、今更ながらにアニーは青ざめた。

「この子を僕の御側付きにしようかと思うんだ」

アニーの様子に気づいていないロジャーが来訪理由を告げる。

「ロジャー様、Xの階級を持つ御身の御側付きとなるとこの国の人間ではなくなることを彼女は理解しているのですか。見た所まだ新米のようですし、階級章を認識できているようには見えないのですが」

アニーの様子に気づいたであろう所長が言う。所長の口から出る言葉はアニーにとって初耳のことばかりだ。それと同時に、ロジャーが言っていた金銭面のことに関しては納得した。

「あの、確かに今のお話は初耳ですが大丈夫です。むしろ私なんかでいいのか聞きたいぐらい光栄なお話だと思います」

納得しているならいいよ、と所長はアニーとロジャーを奥の部屋へ案内した。

「真名が外部に漏れないための措置だよ」

ロジャーがアニーに奥の部屋へ行く理由を説明した。名前や体の一部は形代を作るために使われることが多い。本体と結びつきが強いものほどできることは多く、高等な術者では操ることも可能となる。そのため、特に結びつきの強い真名は秘匿することは子供でも知っていることだ。ちなみに、脱落した髪などは本体との結びつきは弱いものとされており、せいぜい持ち主の位置情報を知ることぐらいしかできない。


奥の部屋は誰もいず、目的がわかっているだけに重々しい空気が感じられた。所長が戸を閉めると魔法によって外の世界と隔絶される。翻訳魔法共々この世界を形成する重要な施設であり、真名をやり取りする契約の場などに使われている。立会人を務める所長はこの場で起きたことは口外禁止の誓約がされている。

「アニー、君の名前は」

ロジャーが尋ねた。

「アニスです」

アニーが答えた。

「アニー、これから僕は魔法を使う。君の最初の仕事は僕が回復するまで僕の足の代わりになることだ」

そういってロジャーはどこからか紙を出す。紙は光っていた。よく見るとロジャーの胸元もローブに抑えられているが光を発しているようにみえる。おそらく所長が話していた階級章だろう。

「我、階位Xエクロジャイトが任ずる。汝アニスを我の御側付きとする」

ロジャーの言葉に従って紙に文字が綴られていく。ロジャーの言葉が紙に写され終わると紙の光はゆっくり消えていった。ロジャーの階級章の光も消えていた。

「これで終わりだよ」

ロジャーがにこやかに伝えるがアニーにはその実感がない。ロジャーは先ほどまで文字を綴っていた紙を所長に渡した。どういう原理かこの契約が有効な間アニーは戸籍から抜けるが、廃棄されると抜けていた事実もなかったかのように復帰するらしい。

「覚えていて、これは君を縛るためのものじゃない。君が望むならいつでも廃棄してかまわないし、その時はここに転送するようにしているから帰りに困ることもない。僕からは廃棄できないようにもなっている」

それだけ伝えるとロジャーの体は傾いた。足の代わりというのはこの事だろうというのは、さすがに一度倒れたのを見ているだけに想像はついていた。アニーはロジャーの体に自身の体を入れ、ロジャーに肩を貸す。契約が終わると隔離されていた空間も元に戻っていた。アニーは所長の案内でロジャーを支えながら部屋を後にした。


その後ロジャーが回復するまで小一時間ほどの時間を要した。その間所長の案内で待合所の一角を休息スペースとして使用していた。アニーはロジャーの回復を待ちながら、直前までのロジャーの言葉を脳裏に反芻させる。ロジャーはどこまでもアニーの身を案じていたことがゆっくりと実感を伴っていく。

「ご家族には挨拶する?」

ロジャーが聞いた。アニーはそっと首を振った。階級を持つ26人はどこの国にも所属しない。それは権力と切り離した存在であるためだ。どこかの国に肩入れすることもなければ、どこかの権力に屈するわけにはいかない。アニーの弱点である家族をロジャーの弱みにするわけにはいかない。せっかくロジャーがそのあたりをうまくやっているはずなのだから、みすみす危険にさらす理由はなかった。


アニーの門出はそうして密やかに行われたのだった。

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