お腹の腫れ

きと

お腹の腫れ

「あれ?」

 仕事から帰宅し、着替えていた時のこと。

 女性は、お腹の一部がれていることに気づいた。

 位置で言えば、ちょうどへその下あたり。

「虫にでも刺されたかな?」

 腫れた部分を外で露出ろしゅつした覚えはないが、気づかないうちに変なところを刺されるとこなどよくあることだ。

 女性は、引き出しから虫刺され用の薬を取り出し、腫れにっていく。

 ――なんだか、今日は少し変な夜だな。

 虫刺されも気づかないうちにできていたが、なんだか帰り道の記憶もあいまいなのだ。

 音楽を聴きながら歩いていたからか、ぼーとしていたのだろう。

 もう少し周りに気を配らないと、もしかしたらひったくりにでもうかもしれない。

 「……気をつけないとなぁ」

 女性は、着替えを終えて呟くと、夕食の準備を始めた。


 腫れができてから一週間。

 腫れは、まったく治る気配がなかった。

 なので、女性は病院に来ていた。

 せっかくの休日だったが、もしかしたら悪い病気だったらシャレにならない。

 待合室で少しだけ待つと、診察室しんさつしつへと通される。

 初老の医者に診てもらうと、

「おそらくは、うみまっているのだと思います。切除した方がいいでしょうね」

「えっと、手術するってことですか?」

「はい。といっても簡単なものです。局部麻酔きょくぶますいをして、膿を取り除く。時間にしても長くて二十分程度でしょう」

 まさか手術まで話が進むことになるとは思わなかったが、こばむ理由もない。

 詳しい説明を聞いた後、手術を一週間後に予約して女性は自宅へと帰った。


 さて、手術当日。

 女性は人生初の手術ということもあり、ドキドキとワクワクが入り混じっていた。

 先週と同じように待合室で少しだけ待って、ベットのある部屋に通される。

「では、これから手術を始めていきます。少しの間、動かないようにしてくださいね」

 医師ののんびりとした声に、なんだか気が抜ける。

 とは言っても、自分の身体がメスで切られるのは、女性にとって見て気分がいいものではなかった。

 女性は、手術が終わるまで目をつぶっていることにした。

 なんてことはない。

 長くても二十分程度だと聞いているし、仕事の方がまだ辛い。

 女性は、静かに目をつぶる。

 ――あれ?

 そして、すぐ違和感に襲われる。

 なんだか、意識が朦朧もうろうとするのだ。

 部分麻酔なので、意識は残ると一週間前の説明で聞いていたはずだ。

 女性は不安になり、医者にこの違和感を話した方がいいだろうと思い声を上げようとする。

 でも、声は出なかった。

 なんだ?

 なにが起きている?

 混乱する女性を置いて、事態はまた変化する。

「うわ!?」

 医者が突然、大声を上げたのだ。

 ――もう、今度は何!?

 女性は、思わず閉じていた目を開く。

 そこには、人をみ込めそうなほど巨大にふくれ上がったれが見えた。

「………………………………え?」

 まともに動かすことができない口から、呆然ぼうぜんとした声がこぼれる。

 それと同時に、扉が強く開かれる音が聞こえてくる。

 起き上がって扉の方を見ようとするが、身体が動かない。

 どんどんとまともに機能する箇所がなくなっていく身体に絶望を感じる。

 なんとかまだ動かすことができる目を使って、周りを見ると、手術を担当していた医者が複数人の看護師などを連れてきたのが見えた。

「せ、先生! なんなんですか、これ!」

「分からない! とりあえず、他の医師たちに連絡を……!」

抗炎症薬こうえんしょうやくなども試してみますか!?」

 明らかに、混乱している様子を見ながら女性の意識はさらに遠くなっていく。

 そして。

 大きな破裂音はれつおんひびわたった。

 混濁こんだくする意識の中、女性は医者や看護師が破裂によって吹き飛ばされたのを見た。

 すぐにでも、この部屋から出て助けを求めたかったが、動かない身体ではどうすることもできない。

 しばらくの間の静寂せいじゃく

 やがて、医師がゆっくりと立ち上がる。

 その顔には、黒い何かが張り付いていた。

 その黒い何かは、どろどろと融けると、床に落ちることなく顔に吸収されていった。

 女性の動かない体は、心臓の鼓動こどうだけが早くなっていく。

 他の看護師たちも黒い何かを張り付けたまま立ち上がる。

 そして医者と同じように、黒い何かを吸収した。

「みんな、上手く移り変われた?」

「うん、大丈夫だと思うよ」

「記憶もちゃんと受けいでる?」

「わたしは、もんだいなーし」

 突如とつじょ聞こえた声は、医者や看護師のものだった。

 だが、明らかに口調が違う。

 まるで、幼い子供の様だ。

 でも、明らかに良くないものだ。

 得体の知れない何かに囲まれながら、女性は願う。

 もうたくさんだから。もう、これ以上。何も起こりませんように。

「ああ、そう言えば――」

「この女の人、どうしよっか?」

 ――ああ、どうして、こんなことに。

 静かに女性は、絶望する。

 こんな形で最期を迎えることになるとは思わなかった。

 なんで、あのれが私にできたのか。

「僕たちを助けてくれた優しい人だもん。僕らの仲間に入れてあげようか」

「さんせーい」

「それじゃ、お姉さん。生まれ変わる時だよ」

 医者の声をした何かが、女性の顔に手を乗せる。

 そこ手から、黒いどろどろしたものが流れ出てくる。

 それは女性の顔をおおうと、ゆっくりと吸収されていく。

 女性は、どんどんと侵食されていく。

 遠くなっていく意識の中で、思い出す。

 腫れができた日。その日の仕事からの帰り道。

 夜遅い時間なのに、一人で泣いている男の子がいた。

『ねぇ、君。どうして、こんなところで泣いているの?』

『友達が……いないんだ』

『ご両親は?』

『……いないよ』

『そう……。でも、こんな夜に子供が一人だと危ないよ。お家、どこ? 送っていってあげる』

『……お姉さんは、僕が可哀そうだと思う?』

『うーん、悪いけど、そう思っちゃうかな』

『ならさ――僕の友達増やすの、手伝ってよ』


 …………女性は、動かなかったはずの身体を起こす。

「おはよう。どんな気分だい?」

「まだまだ、ボーとするよ」

「だいじょうぶ、すぐになれるよ」

 医者だった何かは、周りの人間だった何かに言う。

「それじゃ、まずはここを片付けよう。それから――」

 とても無邪気な声で、言う。

「もっと、僕らの友達を増やしに行こうか」

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お腹の腫れ きと @kito72

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