第28話 隙間

 鳳王朝が倒れ、次に興った王朝は、八十年しか保たなかった。

 もちろん我々の為すべきことは、その王朝の長さの如何いかんに関わらず、変わらない。

 天命を承けた王朝の歴史を編纂し、書巻を守る。ただそれだけである。

 そしていま、新しい王朝が定まらぬまま、時が過ぎている。

 書額堂がないいま、各地の霊廟や洞窟に隠してある竹簡の状態を見て回るほか、汎砂と私にはやることがない。

 いや、やろうと思えばやることはたくさんある。

 各地の地誌を収集するような仕事がそうだ。

 この中原を囲む北狄、西戎、東夷、南蛮……そしてその向こうの地にある国々のことを知り、その風俗を知れば、書額堂の仕事の役に立つ。

 場合によっては、次の王朝に書額堂を作る、その交渉に役立つかも知れない。

 最初は内乱に巻き込まれぬよう、国の一番『外側』を巡った。

 争いはいつしか三国で争われ、いまや中原は荒れ果てているが、外国に近い場所は戦災に見舞われにくいだけあって活気がある。

 異国が近いせいか、中原の言葉とは似ても似つかぬ発音に四苦八苦しながら、異国の伝承や政治の話を国境を越えてやってきた商人から聞き、筆談し、収集した。

 加えて、その土地の風俗や伝承、年々としどしに起こった災害の話なども聞き集めていると、案の定、敵国の間者かと追い回されもした。

 ひととおり、ぐるりと巡って次をどうするかと話し合い、せっかくいまは汎砂はんさだけでなくふたりいるのだから、思い切ってもっと遠くに出てみようということになった。

 ただしふたりともは出て行かない。

 中原に残る者がひとりと、旅に出る者がひとり。

 一度、崑崙こんろんの山々を見てみたかった、と言えば汎砂は笑った。

「何故です?」

「西の地から、馬に乗ってやってくる人々の生まれ故郷を見てみたい」

 鳳王朝はそのはじめから、西戎に苦しめられた。

 遙か彼方から押し寄せ、我が国の西を蹂躙しては去って行く騎馬の民。

 そのさが、残忍にして貪婪。

 大地を炎で舐めつくし、財貨をことごとく奪い、婦女を犯し、子を奴隷として略取りゃくしゅし、兵は一兵たりとも逃さず皆殺しにする。まさに凶々きょうきょうたる者たちだが、いったい、彼らはどこから来たのか。

 その遙かな地を語る異邦の商人たちのげんに寄れば、騎馬の民の故郷、崑崙の麓は蒼き草の海が見渡す限りに広がる美しい土地だということだ。

 美しいが、厳しい。

 豊かではあるが、知らぬ者が足を踏み入れると、容易に命を奪われる。

 崑崙の山を西に越えると摩訶陀まがだ国。

 そのさらにむこうには、波斯はし国。そのむこうにも国があるという。

 この中原を天命によって支配する王朝が、まだ支配したことのない「世界」。

 だが、それは何故なのだろう?

 天はあまねく大地を覆うのならば、そこもまた天命を承けた者の威光の届く地ではなかろうか?

 それとも天命とは、峨々ががたる山脈や無辺の海原によって目には見えぬ領が定められ、その領の向こうにはまた別の天命の者がいる、ということになるのだろうか。

 崑崙の麓にある西戎には、天命の者があるのだろうか。

 目線を遙か遠くに向ければ、さまざまな疑問が湧いた。

 実際にその地を目に収めてみればなにかが分かるかも知れない。

 なにもわからないかもしれないが、まあ、それはそういうものだ。

 答えを焦る必要はないのだ。

 ――なにしろ、時間はいくらでもある。

「とても難しい問いですね」

 私の脈絡もなく広がってゆく疑問を辛抱強く聞いていた汎砂は目を細めて微笑んだ。

「ですが、とても興味深い」


 結局、旅の準備をしているうちに、次の王朝を興そうとする者が現れ、いくつかの戦いを経て、決まった。

 慌ただしくも私と汎砂は、様々な手練手管を駆使してその宮廷に書額堂をこしらえた。

 旅立ちは棚上げにされたまま、また書額堂での変わりなくも忙しい日々が始まる。

 私の空想のうちの遙かな草原、峨々ががたる蒼い山脈には、ただ風が吹き渡るのみ。


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