第9話 神隠し
書額堂は汎砂の指揮のもと、幾多の革命を乗り越えて王朝の歴史を記録してきた。
革命が起きそうになるたびに書額堂の古い王朝の記録は原本から書き写され、安全な霊廟や洞窟の奥に隠された。いよいよとなれば原本を安全な場所に隠す。
そして
汎砂がいなくなったあとも……書額堂の書史たちは各地に散り、革命後の地位に見合った暮らしを営みながら隠した書巻が盗掘になど遭っていないかと監視をしている。ここ五百年分の記録は竹簡より紙の記録がおおいので、湿気にもより気を遣わないといけないから、見回りは欠かせない。
結局、利便を考えて、貴族の霊廟だけでなく、自分の父祖を
ただし、彼らの廟は見回りは行き届くし、農民の廟に入る盗賊などないので、盗まれる心配もしなくていいが、狭いのが難点だ。
書額堂の書史の姻戚は地方の半官半農の者が多かったから、そこに身を寄せているとも聞く。
地方のほうが食糧事情はいいとはいえ、大変だろう。都勤めで俸給がよいうちはちやほやもしてもらえるが、次の王朝が定まるまではただの厄介者だ。農作業をするにも文官だから鍛えていないし、農事のことに詳しくない者はおおい。
おまけに大量の黴臭い書巻を持ち込んで、納屋やら廟やらをいっぱいにしてしまうのだ。
いまも各地で内乱が続き、
物不足に物価高……生活はどんどんしづらくなってゆく。
とはいえ、まだ通貨が機能しているだけましだろうか。
私の過去の経験からすると、もうしばらくすれば本物の金銀を除けば、紙幣や貨幣で交換できるものがなくなり、物々交換しかできなくなっていくはずだ。
それはこれからじわじわ起こることだが、いま目の前に迫った危機もある。
軍隊の通り道にあたることだ。
農村なら、事前に山にでも逃げ出して隠れておけば命ばかりは取られまいが、収穫前の田畑は根こそぎ刈り取られ、備蓄も略奪される。
都市は逃げ場がない。軍とは関係のない市民の住居も砲撃され、建物から出てきた市民に襲いかかるのは、兵隊たちの略奪、強姦、殺人だ。
千年経とうが二千年経とうが、人のやることは変わらない。
「私のやることだって大差ないが」
じつのところ荒れた世は、私にとっては生きやすい。
血を吸って首を
とはいえ、みな人それぞれに縁者があり、いなくなれば哀しむ者はいる。
民は
――そうだろう? 汎砂。
今朝、書状が届いた。
郵便事情も年々悪くなっているが、金を積めば仕事をしたい者はたくさんいる。
『盗掘団が現れました』
――そろそろだと思った。
そういう廟は造りもしっかりしていて湿気の害もなく、しかも広い。
竹簡の保管にはもってこいだが盗掘の目印になりやすい。
廟に副葬された金銀珠玉は盗掘団の格好の的だ。
とくにこんな荒れた世では、廟に祀られた者の子孫もどこかに落ちのびて、祀りもおろそかになる。
彼らに竹簡の価値は分からない。けれど戯れに持ち出され、あるいはその場で打ち壊されては堪らない。
私は手紙の送り主の示す場所に、出かけることにした。
エンジンの音がする。
武装した自分たちに刃向かう者はいないと思っているのか、白昼堂々と窃盗にやってくる。
エンジン音を聞くところ、トラック二台と軍用車両一台だ。
お宝を貯め込んでいると睨んで、一切合切、持ち出すつもりらしい。
ここに詰め込まれている
相当な悪路でも自在に乗り入れできる軍用車両は消音用のマフラーなどしていないから排気音が大きい。だからかなり遠くから、その近づいてくる気配が分かる。
いま、この国を紅、白、青、三分している内乱軍がよく使っている車種のひとつだった。内乱の三派はほんの一時期、東からの侵略者に対抗するということで統合政府を作って結束してみせたが、脅威が去ったとたん、また争い始めた。
繁王朝の最後の皇帝が退位を宣言したのが五年前。
名ばかりだった三派統合政府を数に入れなければ、五年前から正統政府がない状態が続いているこの国で、『内乱』軍と言って良いか悩ましいところだが、内乱自体は正統政府のあったときから続いている。
軍用車両は戦場で放置されていたのをくすねたか、内乱軍の脱走者か、あるいは……内乱軍の資金集めか。
「昨今、日々の暮らしに困る者もおおいと言うし、内乱も続くと軍の規律は落ちていく。金が続かねば兵卒の腹が膨れない。理由は何であれ食い詰めてのことだろう。が、同情はしないよ。久々の『大盤振る舞い』を逃す手はない」
これでも
霊廟の扉を乱暴に開ける音がした。続いて、バタバタと足早に階段を下る足音。
六名といったところか。
事前に下調べは済ませてきているのか、迷わずこの部屋にやってくる。
おやおや、そんなに急がなくても『普通は』武装しているおまえたちをどうにかしようとする者などいないのだから、静かに入ってくれば良いのに。
ここはまだ、守る子孫のある霊廟なのだよ?
死者には不要の財物を持ち出すのは仮に百歩譲って片目を
暗闇に光が満ちた。
侵入者が持ってきた懐中電灯の光だ。
驚愕の表情は、恐怖に上塗りされた。
この程度で死ぬようなら、私の命は過去の革命のどこかで失われてたことだろう……首でも落ちない限りは死なない、なかなか不自由な身だ。
呪文のようなものだ。
パリン、と音がして懐中電灯の光が消えた。
木片に地の気を注いで芽吹かせたり、地面の下の出来事を探ったり……
ああ、そうそう、人より夜の闇を見通す目もあるのだった。
暗闇ではまともに身動き出来なくなるのは、難儀なことだね。
まず、ひとり。
私は手近な男の首に牙を立てた。
霊廟に、千年の安息を
帰りにがけに手紙をくれた書額堂の顔見知りに会っていっときばかり話をした。
霊廟の前に停めてあった軍用車両とトラック、霊廟のなかで死んでいる者たちが持っている武器や装備は、売れば金になる。いま、武器は国にあふれかえっているから二束三文にしかならないが、車はそれなりの値で売れるはずだった。金が不要なら、村に足らぬ道具や雑貨などと、言いなりに交換してもらえる。
トラックに積んであった食料と燃料は村の者が使えば良い。私には不要のものだ。いま、久々に私の腹もくちくなっている。首を
「ほかの村人たちにも手伝わせて、分け前を渡すといい。独り占めすれば、密告される」
これで村で彼が冷や飯食いだったとしても、多少の面目は立つというものだ。
皇宮で別れたときから五年分老いた顔が「心得ております、
盗人……彼らにだって帰りを待つ者はいただろう。が、いかにも運がなかった。
いや、みずから神域に踏み込んできて、無事に帰してもらおうなど、虫が良すぎる。
人の御霊を祀るだけの廟といえど、神域は神域だ。
――かくて神隠しがまたひとつ、起きる。
見つかることはないだろう。
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