第10話 水中花

 冬とは言え、風のない日、柔らかい陽射しが気持ちよくて露台にもうけられた床几しょうぎに横になっていた。絹を二枚重ねにし、毛織りの上着を羽織っているから、寒さはあまり気にならない。

 床几は簡単な作りだが、毛氈もうせんが敷かれてあって、気持ちが良い。

 手慰みに用意していた木工細工にも飽きてしまい、道具は手元に転がしているだけ。

 父に見つかれば皇族としてのたたずまいがなっておらぬと怒られるのは間違いなかったが、なにしろやることがないのだ。

 だが、怒られる心配もなかった。父は年賀の儀式で披露する詩作の最後の詰めで忙しい。

 子供心にも父の詩作のまずさは理解できたが、本人がそれで満足しているなら構わない。その詩の出来がどうあろうと、どうせ皇兄に寄せられるのは、作り笑いと賞賛の言葉ばかりだ。

 海南県かいなんけんの我が家なら、下僕なり上郎じょうろうなりが暇つぶしに付き合って遊んでくれるものだが、ここは皇都鳳極城こうとほうきょくじょう

 年賀の儀式の準備に大わらわな帝の居城では、私は完全に員数外だった。歳は数えで十。加冠の儀も済ませていない身であれば、皇族といえど儀式においてはその他大勢のひとりに過ぎない。

 毎年、年賀の詩を帝に捧げる父はともかく、私には儀式においてさしたる役目もない。

 暇だから構ってくれ、と我が儘を言わぬ分別くらいはあるから、多少、佇まいが緩いのは勘弁して欲しい。


 うとうとしているとパタパタと軽い足音と、少し離れて「ひいさま」と呼ばわる女官たちの声と衣擦れの音がする。

 帝の城で『ひいさま』と呼ばれるのは、皇女のみ。

 どたん、カシャ。

 ああ、これはけたな。

 皇女は御年六つであらせられるが、加冠の儀も済ませられたと聞く。となれば、多少省略していても裾の長い着物をまとっているはず。あの足音のように駆け足になっていれば、けないほうがおかしい。

 しかし、あとのカシャ、というのはなんの音だろうか。

 遅れて、頑是無がんぜなくも騒がしい泣き声がし始めた。

 触らぬ神に祟りなしだが、あいにく私は暇だった。

 この退屈が紛れるなら、多少、祟られるのも悪くない。

 露台から城内に入ると、探すまでもなくそこに皇女はいらっしゃった。

 おそらくは露台に御用のあらせられたものか。

 御影石の廊下には水が撒かれていて、蓋のない竹筒のような形をした硝子がらす容器と、見るからに繊細な加工の硝子製の花が床に散っていた。

 遠く西方、波斯はし国の産だろうか。我が国の玉杯ぎょくはいへきが西方ででられるように、西方国の硝子細工は垂涎の的だ。

 いかにも、日の光のもとで透かしてみれば美しかろうと思われた。

 しかし残念なことに容器は上の方にひびが入った程度で無事なようだが、花は無惨にも砕けている。

「物は大切にしなければいけないけれど、過ぎたことを惜しむのもよくないと、私の父はいつも言っている。惜しむ気持ちが過ぎれば、次を観る心を見失うからだそうだ。それに、女官たちを困らせるのは、君の本心ではないだろう? 代わりのものをこしらえてあげるから」

 言葉こそさかしいが、私のよわいは十歳。

 目のくりくりと愛らしく、ふっくりとした唇、すもものような頬……可愛らしい女の子を前に良いところを見せたいと意気込む少年を想像してもらえれば、そのさまはあたらずといえど遠からず。

 私が手を引いたところで泣き止んだのは、彼女の気質の順良さを思わせた。

 十歳にもなって時々、愚鈍な下僕に癇癪かんしゃくを起こして、数日、苛立ちを引きずって父に怒られる私とはすいぶん違う。

 露台の床几にふたりして腰掛け、私は投げ出していた木工細工の道具を取り出した。

 木工用の小刀で竹の板きれを何枚も薄くぎ、指で軽くしごくと緩く巻く。

 皇都に来る道すがら手に入れた三つ小楢こならの実のついた小枝から、小楢の実をひとつ、帽子の部分は枝に残したまま外して、竹で作った花びらを絹糸でくくって帽子の部分に詰める。

 次に竹をすこし幅広くいで、菊の葉を模して慎重に切り抜き、これまた絹糸で枝にくくりつければ、『蕾をふたつ付けた菊の花枝』の完成だった。

 私の手をまじまじと見つめていた女の子の目が、驚きと喜びに見開かれる。

 ――まあ、一流の工匠の作ったであろう硝子の花と比べれば所詮しょせん、子供の細工だったが、輝くばかりの賞賛を受ければ、悪い気がするはずもない。

「素敵!」

 女官が新しく水を汲んできた硝子の筒にそれを浮かべるために、これまた小石を重しにくくりつけ、竹と小楢細工の菊の花を沈めると、我ながらの出来だ。

稀梢きしょうさま、お手をわずらわせて申し訳ありません」

 女官たちが平伏した。

松柏しょうはくさま、こちらはお父上のお兄さま、鳳犀湖ほうさいこさまの令息れいそくであらしゃいます鳳稀梢ほうきしょうさまでございます。どうぞお言葉を」

「ありがとう。今日はみぐるしいところをおみせしてごめんなさい。このお花、大切にします」

 こくりと頷くように頭を下げる姿も可愛らしい。

「なんの、私は鳳家で一番、木工細工に精通した皇族なんだ。このくらいのこと、造作もない」

 女官たちに手を引かれて去って行く彼女を見送ったあと、私はその日一日、浮き浮きと過ごした。

 我ながら単純なことだが、いくら天命を承けた鳳家の血胤けついんといえど、齢十歳の少年なればこそ、多少の凡庸さは致し方ないと思って欲しい。


 年賀の儀式を終え、麦州海南県ばくしゅうかいなんけんの我が家に帰ってから数ヶ月、初夏のころ、私のもとに、一巻の書簡が届いた。

 送り主は鳳松柏ほうしょうはく

『初めて書簡を差し上げます。

 稀梢さまからいただいた菊のつぼみのひとつから、芽が出ました。たいそう嬉しくて、わたしの部屋から見える庭に植えたいと思ったけれど、小楢は大きくなるから、庭師の丹精した庭を損なうと父に言われました。青峰殿せいほうでん汎砂はんささまが書額堂しょがくどうの裏庭に植えるとよいでしょうと仰ってくださったので、先日、女官たちとそこに植えに行きました。いま、葉が三枚ついているかわゆい子供の小楢です。これがわたしの身の丈よりもずっと大きな木になるなんて信じられません。来年、稀梢さまがいらっしゃったら、ご覧に入れたいと思います』

 書簡の端に、楕円の形の、さきがすこしギザギザした葉の三枚ついたか細い木の絵が描いてある。

 毎年、父についていくだけのつまらない旅に、楽しみができた……そんなことを考えていた私は、やはりどうしようもなく凡庸な少年だった。


 しかし、私が次に松柏に会い、言葉を交わしたのは、この三十五年後……泉名二十二年のこととなる。

 彼女が書額堂の裏庭に植えた小楢の木を、ふたり並んで見上げる未来は、来なかった。

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