第6話 どんぐり

 父の物好きはたいしたもので、ときどき我々の荘園で働く下僕たちの農地や小屋を見て回り、身の回りの世話をする上郎じょうろうを困らせていた。

「汚くて危ないですから、お怪我なさったり、病気をうつされてはたいへんです」

 と再三止める上郎に、

「皇帝陛下からの預かりものである役夫えきふを、そんなに汚く危ない場所で働かせているのかね?」

 なとど、わざとらしく溜息を吐いて言うものだから、皆弱り果てていた。

 結局、賦役ふえきに従事する者がいる戸籍には、年に一反いったん、麻の布を支給する、賦役の日の糧食は雑穀が中心だが、一日二食のうち一食は、雑穀に加えてかならず米か豆を半合以上出す、作業の安全を監督し、道具などの補修を行う部署を設け、そこに人員を割くと決めたらしい。怠れば担当の官吏を処罰する、と定めた。

 そして布だの米だの余分の人手だのの費用については、父が気前よく出していた。

 これで皇兄なのだ。まったく、変わり者の父だった。

 長じてから我が家に仕えている大夫たちに聞いたところ、父の荘園は役夫が逃げ出すこともすくなく、手入れが行き届いていて、収穫も豊かだったらしいが。


 たしかあれは私が数えで七歳の、中秋の名月の夕のことだ。

 田を背景に眺める月はさぞ風情があろう、来春、『年賀の儀式』で披露する詩の霊感を得たいと、稲刈り前の田の畦に毛氈もうせんを敷き、椅子と卓子、そして日よけの傘を立てて月の出を待っていた。

 周りでは蚊除けの香木を焚いた炉を捧げ持つ者、我々の護衛をする者、十名ばかりがうろつき回っていたが、もちろん、そういう者たちを目に入れないくらいの訓練は、数え七歳の私でも充分に積んでいる。

 日はまだ高い。

 父はのんびりとすずりで墨を擦っていた。

 暇な私はあちこちとあたりを見回し、畦道の先で、同じくらいの歳のわらべふたりが、なにやら小さなものを回して遊んでいるのを目を留め、よく見ようと駆け寄った。

 童たちはどんぐりのてっぺんに細い棒を突き刺し、平たい石の上で棒を捻って、どんぐりを独楽こま代わりに回して遊んでいた。

 童が泣き出すのも構わずひとつ取り上げて、父のもとに戻り、そのおもちゃを見せたものだ。

「なぜ盗みなどするのだね? それはあの子のものだろう」

 父は墨を擦る手を止めて、静かに笑んで私に問う。

 私の背の向こうで、泣き声がする。

 私は返答できなかった。

 これが盗みにあたるなど、つゆほども思っていなかったのだ。

「お詫びして、返してきなさい、そしてあの童たちをここに呼んでおいで」

 相変わらず微笑んではいたが、目が笑っていなかった。

 なにが悪いのかさっぱり分からなかったが、こんなときの父は私の為したことにたいへんお怒りである……そのくらいは幼い私でも分かったから、言われたとおりに泣いている童にどんぐりを返し「父が呼んでいる」とふたりの手を引いた。

 謝るところは、省略した。どう考えても必要ない。

「おまえは本当に愚かだね」

 父は深く溜息を吐き、

所詮しょせんはわたしの子ということか。ともに太祖たいそ血胤けついんであろうに。父祖ふその霊に申し開きができぬ」

 そう独りごちた。

 その言葉は私の自尊心をずいぶんと傷つけたが、それでもなにをお嘆きなのか身に染みていなかった私は、父の言うとおり愚かに過ぎた。

わらべや、そのおもちゃの作り方をわたしに教えてやってはくれまいか?」

 童たちが顔を見合わせ、やがて親を連れてきた。

 親は恐懼きょうくしながら、どんぐりの独楽の作り方を、皇兄である父に指南して見せた。

 形の良いどんぐりの選び方、竹ひごの削り方、そしてどんぐりに穴を開けるこつ。

 竹ひごを削るための刃物は、上郎が腰に差していた短刀を借りた。短刀といえど細工物には大きすぎ、農夫の持つ小刀が使いやすそうで羨ましかった。

 半時ほどの指南で、我々はめでたく独楽と起き上がり小法師こぼしの作り方を習得した。

 父に下賜かしされたお菓子と銀の粒を押し頂きながら農夫が童とともに立ち去ったあと、私は

「どうして自分で作る必要があるんですか? こんなもの、彼らに作らせれば良いだけなのに」

 そう父に問うた。

「無論、そうかもしれないが、稀梢きしょうよ、たまにはみずから手を動かしてみるのも悪くはないものだよ。自分で工作し、墨を擦り、詩をめば、いろいろなことに気づき、工夫するこころが湧いてくる。それにね……このおもちゃの作り方を心得た我々は、太祖であらせられる鳳岳英ほうがくえいのいにしえより、天命を受けて天下を主宰する我ら鳳家で一番、どんぐり細工に精通した皇族に違いない。これはなかなか素晴らしいことだとは思えないかな?」

 にこりと笑う父に、私も満面の笑みを返した。

 たしかに、それは素晴らしいことだと思ったから。

 果てなく広がる田の穂波のうえに、十五夜の月が昇り始めていた。

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