第5話 秋灯

「これであなたも革命を経験したわけですが」

 河縁を歩きながら、汎砂はんさが呟いた。

 革命とは、天命を承けた姓が改まること……王朝が変わることを言う。

 私が皇位の継承権を失った日から数えて二百五年目に、太祖 鳳岳英ほう がくえいが天命を承けて興った王朝は、よわい四百三十七歳にして倒れた。

「幾度経験しても革命はつらいものですが、こと、最初の革命は特に重い。あなたを育んだ皇統が、あなたを遺して絶えたのですから」

 対岸に街の灯りを見晴るかしながらの夜の散策、いつもはどんなろうがわしい場所にいても聞こえてくる汎砂の声が、静かな河の流れにかき消されがちだった。

「正直なところ、よく分かりません。書額堂しょがくどうを守るので手一杯で、ほかのことなど考える暇がありませんでしたし」

 この言葉には偽りはない。

 ちょうが改まっても書額堂は遺す……この一事いちじを成し遂げるために、我らはあらゆる手を尽くした。万が一のことを考え、寝食を惜しんで竹簡を複写し、いくつもの田舎の廟堂を借り受けて複写した竹簡を納めた。

 運良く皇城が燃えることなく王朝が倒れたあと、汎砂は新しい天下の主宰者と知恵の限りを尽くして交渉した。そして今がある。

 古い王朝の歴史の封印……廃棄ではない……と、新しき王朝の歴史を司るために、書額堂は存続する。

「それに……」

 言いさして、言葉が宙に浮く。

 言いたいことが上手く言えないわけではない。

 それをいま、言ってしまってよいものか、迷ったのだ。

 ――父も母も、そして従妹も……私が大切に思っていた人々はもう、とうの昔にこの世からいなくなってますから。

 ああ、そうか。

 この国がどうなろうとどうでも良かったのだ。

 私の両親を殺し、大切な従妹を死地に追いやった屑どもの末裔の行く末など知ったことか。

 私が大切に思った人々の血は、もう私の身体にしか流れていない。

「汎砂は、どれだけの革命を経験したんです?」

 結局、言いさした言葉を呑んで、違うことを汎砂に問うた。

「今回で、五度目ですね」

「最初の革命は?」

「……書額堂の奥の書庫に眠っています。秋の夜長は書に親しむにはよい季節ですよ。暇なときに探してみると良いでしょう」

 それ以上、話すこともなく、ただ歩き続け、見知った場所で足を止めた。

 河原の、すこしひらけたところ。

 私とおなじ姓を持っていた皇帝をはじめとした皇族たち、権勢をほしいままにしていた貴族たちが、並んで首を伐られた場所。

 一族郎党、女も、幼児もみな。

 三ヶ月を費やし、処刑人たちは腕が上がらなくなるまで斧を振るい、処刑者、その数は二万人を超えた。

 血の臭いは、もうしなかった。

 時の流れに似た河の流れが、みな流し去ってしまった。

 対岸に、灯火がかぼそく輝いている。

 戦乱は収まったばかり。

 実際に街は燃えていなくとも、幾度となく戦火に脅かされ、重税に苦しみ、若い者は一人残らず軍に取られ……いま、都に住む人は盛時の十分の一にも満たない。

 しかし、まだ頼りない光だが、いずれはまばゆく河面を照らすのだろう。

 あたらしい王朝のもとで。

 父なら、なんとうたったろうか。

 下手な詩で、過ぎゆく季節を嘆いたか……いや、あの父ならきっと、きたるべき季節に向かってゆく人々の背を楽しげに眺め、言祝ことほぐような詩を詠うにちがいない。

 母はそんな父に寄り添い、従妹の松柏しょうはくは「民が残るならそれでよい」と清々しく笑うのだろう。

「いまばかりは、泣いてもよいのですよ」

 ――泣くことなど、なにも。

 汎砂の気遣いを無用だと、否定するための言葉は、喉の奥につかえたままどうあっても出てこなかった。

 対岸の灯りが、滲む。

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