第4話 紙飛行機
いまは繁王朝が倒れるまえから内戦を戦っていた三派が、武器は収めることにして、党派を作って舌戦を繰り広げているようだ。
たまに三派のどこかの党首やらが変死したり、なにかの会合が襲撃されて議員とやらがたくさん死んだり、さまざまなことを批判していたジャーナリストとか言う肩書の者が投獄されたりするから、裏ではなにをやっているのか、余人には計り知れないが、まずまず世は平穏に見える。
天命は、いずくにありや?
これまでにも、王朝が倒れ、次の王朝が定まるまでの期間が長いことはあった。
けれど今回はなにかが違う予感がする。
私ももうこの世に千七百年近く居座っているから、天命のことは焦っても仕方がない、その程度の達観はある。天命を承ける者があるとすれば、それは私以外の者だ、ということだけは分かっている。今はそれでいい。
今も昔も困るのは食事で……とはいえ、昨今は輸血用血液のパックなどという新鮮さにおいてはいまひとつだが、おかしな病気はもっていない保証のついた便利な栄養食もあって、選り好みしなければどうにかやりくりを付けて用意してもらえる。
抱くの抱かれるのと色恋のまねごとをして精を喰うのも悪くはないが、ときどき、相手が本気になりもするから面倒だった。
だいたい血のほうが美味だ。たとえそれが輸血用のパックでも。
ただ、痩せても枯れても私は皇族だぞ、という気持ちが邪魔をして、結局、みずからすすんで苦労する羽目になる。
血を吸うだけならなんの苦労もないのだが、首を伐ってその
世が定まってくると、そのあたりを
手間暇を惜しむな、と、これは竹書を書き写すときの話だが、汎砂の教えのおかげで、手間を苦にしないよう躾けられたから良いようなもの。
獲物を探して日の落ちたばかりの街を歩く。
異国の映画に登場する仲間のように、日光を浴びても私は灰になったりはしないが、ずいぶん長い歳月、
繁華街のネオンサインが目にまばゆい。
それらには私の生まれた時代から使われている文字がいまも使われている。
ただ、昔と意味の変わってしまった文字もあれば、文字の形が変わったものもあり、ぼんやり読んでいると、目が滑る。
それでも使っていた文字ごと滅亡した王朝よりは恵まれていると言うべきだろうか。
文字を失うということは、その王朝が記してきた歴史を失うということに等しい。
たとえ民族は残っても、文字を失えば、その文字でしか書き表せなかった民族の魂は記せなくなる。どれだけ言葉を尽くしても、違う歴史、違う文化のもとに生まれた文字では書き記せぬものというのは必ずあるのだ。
だが、たとえ文字は失われなくとも、一瞬、一瞬はなにも変わっていないように見えるのに、気がつけばこんなにもさまざまなものが移りゆく。
『用心深くありなさい』
だれも見知った者のいない街路を、人混みに紛れて歩いていると、水晶のように硬質で、胸に刺さる響きの
私の
「書巻など守ろうとするからだ」
滅びゆく王朝、書額堂の書巻を最後の一巻まで持ち出そうと
そして……汎砂。
みな、それを遺すことに命を賭けた。
「あまりに必死だと、あとに遺された者が迷惑する」
遺された私が、手を抜けないではないか。
いまとなっては、書は、彼らと私とを結ぶ最後の絆であり、呪いだ。
「天命は、いずくにありや?」
その
大理石風の加工を施した安っぽい化粧石を敷き詰めた歩道に落ちたそれを拾い上げると、紙飛行機だった。
翼に何事か文字が書いてある。
【
学校の試験用紙だろうか。この紙の持ち主の書いた回答は、どちらもバツ、間違い。
広げてみれば正答は三割に満たず、これは今で言うところの赤点というものではないだろうか。私は大学に無試験で入れる皇統だったが、それ以外の者が予科でこんな点数を取れば、即座に「郷里に帰れ」と放校されるところだ。
もちろん、官吏登用の最難関、科挙に受かる見込みは万が一にもない。
いまは科挙はやっていないらしいが。
それに、なんだこいつは。私の従妹の名を覚えていないなど、不勉強にもほどがあろう。
くわえてこの問題もいけ好かない。彼女は確かに効野の
その功績のほうを問題にすべきではないか。
わざわざ戦死したことを問題にするなど悪趣味な。
「済みません、ちょっと気分がむしゃくしゃしてて、つい力任せに飛ばしたら……」
紺の地味な制服を着た二十歳前に見える学生が、ぺこりと頭を下げて手を差し出す。
その手に紙飛行機だった試験用紙をのせて、私は彼に笑みかけた。
気が合うじゃないか、私もいま、すこしばかり機嫌が悪い。
……今宵の獲物は、君にしよう。
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