第30話 覚えてたんですね
黒いコートにマフラー姿で、あきらかに普通の人じゃないオーラを放っている男性がきた。
今夜はどうした。このコンビニ近くでなにが起きてる?
「ちーちゃん、もしかしてこのヘンって、ドラマとか映画の撮影場所になってる?」
レジを前にしながら、隣にいるちーちゃんに訊いてしまった。
「や、そんな情報ないはずっすけど……なんか今夜、お客さんド派手っすね」
二人して首をかしげていると、やがて黒髪イケメンが近づき、まっすぐに私を見つめながら言った。
「……あんまん、ください」
さっきの『みりん』のヤンキーさんに輪をかけて意外だ。しかも、ギャップ萌え的なものもある。にやけそうになるのを必死に堪えて、あんまんを渡した。会計をすませた彼は、それを片手で持ってコンビニを出た。
「なんか……すごいギャップっすね」
ちーちゃんが言う。私は笑った。
「だね。なんか今夜、面白いね」
にやにやしながらしばし業務にいそしんでいると、突然ちーちゃんが小声で言った。
「……く、
「なにそれ」
笑いながら自動ドアを見ると、たしかにちーちゃんの言ったとおりの人が入ってきた。
この世ならざる雰囲気の超絶イケメンは、グレーのコートに黒いマフラー姿で店内を見まわし、私に気づく。目があった瞬間、彼はやわらかい笑みを浮かべた。
胸がざわりと揺れる。一瞬なにかを思い出しかけたような気がしたけれど、そのこともすぐに忘れた。
彼の視線が私から動かない。なんだろう、不安になってきた。
「ちーちゃん、私の身なりとか、なんかおかしい?」
「はい?」
「見た目とか、ヘンなところある?」
「ないっす。いたって普通に素敵っす」
「そ、それはありがとう」
じゃあ、どうしてあんなきらきらした目で、楽しそうに見つめてくるんだろう。それこそ、サンタからのプレゼントを前にした子どもみたいだ。
奇妙に感じつつ、レジ業務に専念する。お客さんが途切れて息をついたとき、その彼が目の前に立った。カウンターに置いたのは、カゴいっぱいのお菓子だった。
「レジ袋に入れますか」
「うん、お願いします」
私がバーコードを読み取っている間も、彼はにこにことこちらを見ていた。もしかすると、こういう表情がデフォルトな人なのかも。そうだとしたら、勘違いしてしまう女子が山ほどいそうだ。
「ありがとう」
レジ袋いっぱいのお菓子を両手に持ってにっこりし、楽しそうに去っていった。
「あのイケメン、めっちゃ倉ちゃん先輩のこと見てましたね」
「だから、身なりが心配になったんだけどね……」
きらりとちーちゃんの目が光る。
「タイプなんすよ!」
「それはない!」
強く断言できる。「即答っすね」と笑うちーちゃんのレジに、おばあさんが並ぶ。なにやら探しているものがあるらしく、レジから離れたちーちゃんがおばあさんを連れて売り場にいった。
その直後、さっきの黒髪美人がふたたび入り口に立った。
いや、あの人じゃない。すごくきれいだし似ているけれど、彼よりも小柄だ。それに、なによりもアウターが違う、濃紺のダッフルだった。
中性的だけれど、華奢な肢体で女性だとわかる。私を見た彼女は、なぜか控えめに優しく微笑んでから、店内に足を踏み入れた。
あんなにきれいな人に微笑まれてしまって、ちょっと顔が赤くなる。と、店内を一周した彼女は、ホットの缶コーヒーを手にしてこちらに近づく。
「このままでいいです」
透きとおるような声で言い会計をすませると、私を一瞥して微笑み、軽く会釈してくれた。つられて私も頭をさげる。
「ありがとうございました」
背中を向けた彼女が、自動ドアをくぐる――と、なにか買い忘れたのかきびすを返し、ふたたびこちらに向かってきた。
目の前に立つと、なぜか恥ずかしそうに視線を落とし、息をつく。
「これ、ホントはあたしの役目じゃないんだけど、兄貴がどうしてもって言うから、やっぱそうする」
ひとりごとだろうか。そうだとしても、いったいなにをおっしゃっている?
「…………はい?」
ふうと息を吐き、私を見た。そうして、ゆっくりと口を開く。
カウンター越しの声は聞き取りにくいことがあるので、私は少しだけ身をのり出し、耳を寄せる。すると、微笑んだ彼女が、私に告げた。
――
時間の止まった感覚におちいる。風なんて吹くはずがないのに、髪があおられて逆立つような錯覚を覚えた。
全身をめぐる血液が逆流し、もやのかかったような思考がはっきりとしていく。それとともに、私はすべてを思い出した、
――きみを迎えにいったら、とある言葉を伝える。
――それを聞いたら、きみはこの時間を取り戻す。
さっき、カゴいっぱいのお菓子を買っていった人は、数ヶ月前、私にそう言った。
その言葉を、私はたったいま耳にしたのだ。
私は目を丸くして、彼女を見つめる。私を見返す彼女は、満面の笑みで言った。
「あたしはずっと眠ってたけど、あなたのこと知ってる。いろいろごめんね。それと、ありがとう」
いまのいままで、ちらりとも思い出すことなんてなかった。
「……すっかり、忘れてました」
「それでいいんんだよ」
「あ、あらためまして、はじめまして……!」
「こちらこそだけど、そんな挨拶含めてさ、しゃべりたいこといっぱいあるんだよね」
わかります。
「せ、僭越ながら、私もです」
「マジでただの合図とかじゃなくハワイに通じてるから、長くなりそうなおしゃべりならそこでしたくない?」
「え?」
砂己さんが外に目を向ける。ドアの向こうに、みんなが立っていた。
外にいる櫂さんと目があう。と、またもや胸の奥が大きく揺れて、じれったいような照れくさいような複雑な思いが絡みあった。
どうする? と砂己さんに訊かれる。戸惑いがないと言えば嘘になる。でも、いまの私なら大丈夫かもしれない。
新しい世界に――恋に、飛び込んでもいいかもしれない。
若干……というか、かなり手のかかりそうな困った人ではあるけれども。
私は思わず微笑む。そうして砂己さんを見つめて言った。
「――ぜひとも、いかせていただきます」
(了)
カゲながら恋してる。 羽倉せい @hanekura_s
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