第29話 私の好きだった人

 初秋の夕方。

 コンビニに出勤してレジカウンターに立つと、同じシフトのちーちゃんが哀しげな表情で言った。

「そういえば、残念なお知らせがあるんすよ」

「え、どうしたの」

「昨日、くらちゃん先輩休みだったじゃないすか。そしたら、めっちゃ久しぶりにあの人きたんすよ」

 あの人とは、私が密かに恋をしている人だ。そういえば、夏以降めっきり見かけなくなっていた。残業なんかで忙しいんだろうと思っていたけれど、やっと来店してくれたらしい。

 その場にいられなくて残念だったと思うものの、前なら地団駄を踏むほど悔しがっていたはずなのに、なぜか心は穏やかだ。

 ……うーん。なんだろ、この感じ?

 どうしたのと私が続きをうながすと、ちーちゃんはため息交じりに言った。

「女子連れてきました」

 えっ、と目を丸くした私に、焦ったちーちゃんが謝った。

「なんかすんませんっ。黙ってようかなって思ったんすけど、きっとまたくるだろうなと思って。ただの友達かなーとかも思ったんすけど、手つないで帰っていったんでガチ

確定だなって……」

 いまにも泣きそうな顔する。対する私は、ものすごく冷静だ。

「いやいや、ちーちゃんは悪くないよ。教えてくれてありがとう」

 なんとなくだけれど、わかっていたような気さえしている。ちょっとだけ胸がちくりとしたものの、落ち着いている自分にあらためてびっくりした。

 そんな私の様子を目にし、ショックでフリーズしていると誤解したらしいちーちゃんは、ひきつりながらも無理に笑顔をつくった。

「けど、どうせすぐ別れるかもですよ? そんな美人とかかわいい感じとかでもなかったですし、めっちゃアウトドアとか好きそうないい感じの女子でしたけども……っ!」

 私は思わず笑ってしまった。

「いい感じの人なら、すぐに別れたりしないよ」

「そ、そうですけど……!」

 ちーちゃんがそう言ったとき、レジに人が立った。それぞれレジについて、しばらく業務を続ける。やがて人波が少し落ち着き、肉まんとピザまんを補充しはじめた矢先、ちーちゃんが「あっ」と声をもらした。

 その声に気づいて顔を向けると、ちーちゃんの横顔が青ざめている。その視線を追って売り場を見ると、噂の的の彼がいた。

 その隣に、ショートヘアでバックパックを背負った女性がいる。仲良さそうに談笑しながら、カゴに飲みものとお菓子を入れていく。

 久しぶりに目にした彼が、なにひとつ変わっていなくて嬉しかった。変わっていてもおかしくないはずなのに――となぜか思い、違和感を感じて内心首をかしげる。


 変わっていてもおかしくないはずって、なんだろ?


 カゴを持った二人が、ちーちゃんの列に並んだ。私は穏やかな気持でこちらにうながす。

 目の前にカゴが置かれた。顔をあげると、彼がいる。と、彼女さんのスマホが鳴った。

「ごめん、職場からだ。ちょっと出てくるね」

「うん」

 ヘンなの。あんなに好きだったはずなのに、不思議なことにそんなにショックじゃない。いつかこういうときがくるって、覚悟していたからだろうか。そうかもだけど、それだけじゃないような気もする。

「レジ袋にお入れしますか?」

 レジから視線を移して彼を見たとき、目があった。とたんに私は息をのむ。

 彼は、まるでなにかを思い出そうとしているかのような表情で、微動だにせず私を直視していた。

 どうしたんだろ。もう一度、袋がいるか訊ねようとした寸前、彼はまばたきもせず私を見つめながら言った。

「……あの。もしかして、どこかで」

 ――えっ?

 話しかけられた? 自分の耳を疑いそうになった直後、彼女さんが戻る。彼ははっとしたようにまばたきをし、「袋はいりません」と返答した。

 ショッピングバッグを持った彼が、彼女さんと手をつないで去っていく。

 さっきの、なんだったんだろう。もしかして、誰かと私を勘違いしたのかな。ああ、きっとそれだ。

「だ、大丈夫っすか」

 ちーちゃんが心配そうに近づく。

「うん。なんか妙に平気で、むしろ怖いかも」

「マジすか? 強がってないすか?」

「そういうのでもないっぽいから、自分でも謎かな……。けど、いろいろありがとう」

 そう言葉にして、やっと気づく。日々の中で一番おしゃべりをしていて、一番心配してくれていた目の前の相手のことを、私はなんにも知らないということに。

「あの、今度さ、ちーちゃんの時間のあるときでいいから、なにか食べにいかない?」

「えっ、マジすか? それ嬉しいっす!」

「ほんと?」

「ほんと、ほんと! 倉ちゃん先輩ともっと仲良くなりたいって思ってたんすけど、あたしから誘うのもなんかなーとか思ってて! いきましょ、いきましょ! あとで連絡先とか交換しましょ! うわー、めっちゃ嬉しいっす!」

 私も楽しくなってきた。どうしていままで、こんなふうに誘えなかったんだろう。

「そういえば倉ちゃん先輩って、スマホなに使ってるんすか?」

「四年ふんばってるアイフォンなんだけど、夏あたりからなんかヘンなんだよね」

「故障とかっすか」

「いや……どうなんだろ。わりと前だけど朝起きたら履歴とか全然残ってなくて、新品みたいにきれいになってたんだ。それからなんとなく違和感があるって言うか……」

 悩ましげに眉をさげると、「なんすかそれ」とちーちゃんは笑った。

「履歴とか寝ぼけて消したんじゃないすか? それに、きれいならいいじゃないすか。まだふんばれますよ」

「まあ、そうだね」

 私もつられて笑う。そもそも通話履歴だって、コンビニかアパートの管理人さん、光熱費系の会社しかなかったから、消えていたところでどうということもないのだ。ちーちゃんの言うとおり、きっと寝ぼけながらきれいにしたんだろう。

 ただ、私が覚えていないだけで。



 薄曇りの街を、枯れ葉が舞っていく。

 強い風に髪があおられるたび、なにかを思い出しそうになる。でも、それがなんなのかわからないまま、私はバスに揺られて自宅に戻る。

 最近、なぜか料理を覚えるのが楽しい。それに、休日はやたら掃除をしている。

 朝は早く起きて、近所を散歩する。ときには走ることもある。いつまでも布団の中にいて、ゴロゴロと動画ばかり見ていた日々が嘘みたいで、いったい私になにが起きているんだろうと笑ってしまうこともある。

 いままでときおり思い出し、いやな気持になっていたパパやママのことも、不思議なことにどうでもよくなった。過ぎたことはどうにもできないし、片方はもういない。それに、もう片方だってすでに他人みたいなものだもの。


 * * *


 すっきりと片付いた部屋で、自分でつくった漬物で朝食をいただく。

「……うーん……またダメだ。うまくいかないなあ」

 漬物は奥深い。レシピどおりに漬けているはずなのに、謎すぎる。酸っぱさに顔をしかめつつ、お皿の分はもったいないので平らげた。残りは漬けなおしてみよう。

 台所の窓から外を見ると、雪が降っていた。初雪だ。

 バイトに行くためしっかり着込み、ニットキャップもかぶる。リュックを背負って外に出たとき、自分の吐息で眼鏡が曇った。

「……忘れてたけど、こういう季節だった」

 ひとりごちながら、思わず笑う。

 いつからかかけはじめた度のない眼鏡は、自分を守るためのものだった。自分の視界と現実世界を隔ててくれるから、かけているとなぜか安心できた。

 誰の視界にも入らない、透明人間になれた気がしたから。でも――。

 なにげにはずしてみる。曇らないし、なんだか楽だ。

「……今日はいいかな」

 下駄箱に眼鏡を置いて、アパートを出る。バイト先ではコンタクトにしたのかとちーちゃんに訊かれ、なんとも答えらなくてとりあえずうなずいた。

 その日だけのつもりが、翌日も翌々日も眼鏡をせずにバイト先へいった。そのうちに髪を切りたくなって、肩の上まで短くした。

 私の好きだった人は、春になる前にニュースの小さなコーナーに登場し、子どもたちの学習格差をなくす活動をしているとして、取りあげられた。将来は全国規模に広げていく夢を語り、すでに活動している団体と連携をとったり、寄付をしていることも伝えていた。

 彼がコンビニにくることは、二度となかった。最後に店内で見かけたとき、友人らしき男性に引っ越すと話していたので、きっとそうしたんだと思う。

 とうに終わった片思いだけれど、素敵な人に恋することができて、素直に嬉しい。だって、自分の見る目はちゃんとしてたってことになるから。

 次は、両思いな恋がしたいな――なんて思いはじめている自分に、私自身が一番驚いている。人はそんなに変わらないと思っていたけれど、案外変化するものらしい。

「倉ちゃん先輩、明日のクリスマスどうするんすか?」

 ちーちゃんに訊かれた。

「いやあ、明日もバイトだし、地味に過ごすよ。ちーちゃんはおばーちゃん家にいくんだっけ?」

「毎年恒例なんで、家族でいくっす」

「そういうのいいね。楽しそう!」

「親戚もくるんでパリピ状態っすよ。そうだ、倉ちゃん先輩もきますか? バイト終わりでも全然いいっすよ!」

 お誘いは嬉しいものの、見知らぬ人たちで大人数のパリピ状態はさすがにハードルが高い。

「ありがとう。でも、今年はいいかな……」

 微笑みながらそう返答したときだ。ものすごく目立つ男性が、自動ドアをくぐった。そのとたん、ちーちゃんが固まる。

「ヤバ……マジかっこいい人きたっ」

 真っ赤なダウンを着込んだ〝マジかっこいい〟人は、アイドルのようなかわいらしい顔立ちで、ゆるめな金髪リーゼントだった。私は思わず声をひそめる。

「……あれはもしかすると、ヤンキーな感じじゃない?」

 冬はアウターで隠れがちだけれど、スカジャンとか愛用しているタイプに思える。私の言葉に、ちーちゃんは瞳をきらきらさせた。

「どストライクっす!」

 そ、そうなんだ。

 金髪さんはガムを噛みながら店内をまわり、やがてまっすぐ向かってきた。と、なぜか『みりん』をカウンターに置く。

 え……意外だけど、料理でもするんだろうか。それとも、誰かのお使い?

「レジ袋に入れますか?」

「や、持ってくからいい」

 私を見てにっと笑うと、会計をすませて立ち去った。

「あんな人、はじめて見たっす。サンタさんのプレゼントかもですよ!」

 ちーちゃんの言葉に、私は笑った。

「まだ早いよ。前のめりなサンタだなあ」

 そう言った数分後、今度は黒髪のモデルみたいな人がきた。

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