第150話
ガルダトイア神王国領内トリエス王国軍野営地の中を、首後ろを揉み解しながら歩く第十三騎士団団長ディルク・ブラントは、目的地としていた焚火の周囲に集まる者らが見えてきたのに、全身に溜まる疲労を息に乗せて吐き出した。
視界の端に見える夜空は澄んでいて、月も星も見事に輝いている。
暗雲も紫の雷も豪雨も、今はその影も無い。
クラウディウスが斃れたあの夜から十日が過ぎていた。
ガルダトイアに入った全ての騎士団が各々極簡単な残処理を熟し、今後は、まだ暫く残留する団と帰還する団とに分かれる事となっている。
第一陣で帰還する団はディルク率いる第十三騎士団を含め、珍獣様の顔見知りが居る団が優先された。
この第一陣で彼女が王城ヴィネリンスに帰還するからだ。
焚火の近くまでディルクが辿り着くと、それを囲い座る者らから「お疲れ」と声をかけられた。
銘々に飲食をしていたようだ。
場に居たのは、第一のヴィルフリート・アッヒェンヴァル、フェルテン・ビショフ、第三のラードルフ・ベッケラート、第五十一のホルガー・ザイデル、第十三のベルント・ツァイラー、そしてレネヴィア貴族のアドルファス・エインズワースといった面々だ。
この十日間、それぞれが残処理に動いていた為に、この面子で集まったのは彼女が攫われて以来初である。
ディルクは空いていた場所にドサリと腰を下ろした。
「……疲れが取れない」
それに応えたのは長年の悪友ヴィルフリートだ。
「だろうね。温かいお茶でも飲む?」
「飲む。濃いのを淹れて。公爵家では決して出されない下品な濃さのヤツ」
「うーん、逆に難しい注文だね」
下品な濃さというものの想像が出来ないのか眉を寄せるヴィルフリートの手から、ホルガーが茶器を引き取った。
「俺が淹れてやるよ。公爵家で求められるものより淹れるのが断然簡単だしな。疲労と眠気が吹っ飛ぶような渋みと苦味があればいいんだろ?」
「そうそう、そういうの。もう兎に角、疲労度がヤバイ。走り回ったよ、俺は。珍獣様が攫われてから休みなく。いや、珍獣様がこの世界に現れてから、休みなんてほぼ無かった。……疲れた。眠い。休みが欲しい」
「ちなみに希望休日日数は?」
質問をしたのは、温かそうな汁物を手にしているフェルテンだ。
「一ヵ月……と言いたいが、一週間、いや最大で三日がいいところだろうな」
湯を注いでいたホルガーが吹いた。
「骨の髄まで扱き使われてるな」
ホルガーの言葉にディルクが肩を落とした。
それを見て、黙々と干し肉を齧っていたベルントが口を開く。
「だが、我々はその分、給金を多めに貰っているのだから仕方ない」
「まあ、貰ってるな、確かに」
ディルクが諦めたように言うと、焚火を眺めながら茶を飲んでいたラードルフがディルクに視線を移した。
「ディルク、珍獣様は?」
「あー…珍獣様の天幕内に蛾が何匹か入り込んだと、ユーリウス・ベルクヴァインと一緒に大騒ぎで捕獲を頑張っていたから逃げてきた。オッサンも近くで彼女の就寝準備をしていたから問題ないだろうし」
「相変わらず賑やかだね、彼女は」
ヴィルフリートの言葉に、焚火を囲う全員がフッと笑った。
「ディルク、出来たぞ。下品な濃さの茶」
ホルガーがディルクに淹れたお茶を手渡した。
同時にベルントも干し肉をディルクに幾つか渡す。
受け取ったディルクが簡単な礼を口にしたところで、それまで黙って会話に耳を傾けていたアドルファス・エインズワースが静かな口調で話し出した。
「私はクラウディウスが神獣の乙女に堕胎薬を飲ませるのを防げなかった。トリエス王の御子は……」
「大丈夫ですよ、エインズワース卿。彼女はそもそも懐妊していませんしね」
ヴィルフリートが穏やかな様子で言うのに、ディルクも其れに続く。
「陛下と彼女の間には体の関係は無いので。あー…お聞きしようと思っていたんだ、エインズワース卿」
ヴィルフリートとディルクの言葉に安堵した様子のアドルファス・エインズワースに、ディルクが疲労度の増した表情を見せた。
「陛下に詳細報告をいい加減に送らないとならないのですが、クラウディウスと珍獣様との間に何も無かったと思っていいですか?」
「大丈夫です。クラウディウスは彼女に対しては、とても慎重に動いていた。正直、クラウディウスよりも遥かに危険だったのが神王ミトリダテスでした」
「は?」
思わず聞き返したのはラードルフだ。
ググッとラードルフの眉間に深く皺が入りだし、しかし其れはラードルフだけでは無かった。
「ミトリダテスはクラウディウスを大神殿に追いやり、神獣の乙女と関係を持とうとしていました。間一髪、気づく事が出来まして。走りましたよ、私は。何ヵ国もの王城を訪れた事がありますが、王城内を形振り構わず全力疾走したのは、あの時が初めてです」
「神王は息子の妃に手を出そうとしていたのか。……腐ってるな」
軽蔑を隠さないホルガーに、アドルファス・エインズワースが苦笑した。
「ミトリダテスは元々、気の病んだところがありましたからね。原因は私には分かりませんが、神獣の乙女という存在に縋りたかったのだろうと思いますよ」
「ありがとう。助かりました、エインズワース卿」
礼を述べるディルクに、アドルファス・エインズワースが首を振る。
「いえ。私には其の見返りが十分ありますから」
野営地内の焚火の前であろうと美しい所作を崩さずにお茶を飲んでいたヴィルフリートが口を開いた。
「陛下にお会いした後は直ぐにレネヴィアに?」
「はい。マティアス陛下がお約束通り、腐敗しきったレネヴィア王族と高位貴族を大掃除して下さっているようですので、いち早く帰国して立て直さないと民が死に絶えてしまいますから」
ホルガーが自身の顎を触りながら、アドルファス・エインズワースに話しかけた。
「俺は他国の事情はあまり詳しくないんだが、レネヴィアは末端の貴族まで腐りきっていると耳にした事がある。大丈夫なのか?」
「ええ。立て直しは其のあたりも掃除しながらとなるでしょう。マティアス陛下が手を貸して下さる手筈になっています。それに、どちらにせよレネヴィアという国は無くなります。マティアス陛下は国を残す形のご提案を幾つかして下さったのですが、あの国はもう豊かなトリエスに組み入れてもらい、その恩恵を直ぐにでも受けた方がいいのです。それ程までに民が疲弊していますから」
ヴィルフリートが手にしていたお茶を飲み干したのか、ホルガーの淹れた残りを自身のものに注ぎ、あまりの濁り具合に眉を顰めつつも会話を続けた。
「エインズワース卿がレネヴィアで先頭に立って頑張られるなら、私も頑張らないとね」
「やはり団長職を退かれるのですか」
濁ったお茶を一口飲んで溜息をついたヴィルフリートに、フェルテンが話しかけた。
「ディルクの表現で、非常に甚だしい越権行為を繰り出してしまったからね、私は。その事自体には陛下は何も思われていないだろうけれど、責任を取る姿勢は周囲に見せないと示しがつかない。第一を宜しく、フェルテン・ビショフ団長」
気の重そうな様子でフェルテンが目を瞑る。
それを横目にラードルフが会話に参戦した。
「団長を退いて、どうするんだ」
「やる事はたくさんあるよ。忙しくなると思う。まずは父上に公爵位を退いてもらう。父上は背後に陛下のちらつく私が怖くて仕方ないからね、一言言えば直ぐに隠居するよ」
「おい」
ホルガーが突っ込んだ。
「公爵に就いたら珍獣様を私の養女に迎える」
「君の父君の養女としてではなく?」
ラードルフが疑問の声を出して眉を寄せるのに、ヴィルフリートはニヤリと笑い、会話を聞いていたディルクが呆れながら干し肉を咀嚼した。
「妹だとつまらない。私の娘でないと。私の娘を陛下の妃に。あのトリエス国王マティアス陛下が私の息子になるんだよ? 精一杯、笑わせて貰おうと思ってね」
弄り甲斐がありそうだろう? と可笑しそうに笑い出すヴィルフリートに、その場に居る全員が引いた。
「どちらにせよ、陛下の方から直ぐにアッヒェンヴァルに彼女を迎え入れる話は出してくるだろうね。私のすべき事は掌握と排除、そして彼女の為に盤石な体制を敷き維持する事。ディルクとベルント、邪魔者の排除の方、宜しくね。頼りにしているよ」
「いや、俺は総団長になる予定だし」
「王の青薔薇は陛下直属の組織だ」
「楽しみだね。本腰を入れて政の世界を掌握していくよ、私は。どう料理してくれようか。ああ、本当に楽しみで仕方ないよ!」
「…………」
「…………」
ディルクとベルントの言葉などヴィルフリートには微風にもならなかった。
このままだとヴィルフリートの独壇場になりそうな予感がしたのか、ホルガーが「そういえば」と話を変えた。
「俺さ、城に帰る道すがら、パピヨン名産の村に寄ると珍獣の嬢ちゃんと約束してんだよな。ちょっと寄ってもらってもいいか?」
「パピヨン?」
アドルファス・エインズワースが突然出てきた果実の名前に不思議そうに首を傾げ、ディルクがその果実に反応した。
「生パピヨンか。食べたいって言っていたからなぁ」
「パピヨンの焼き菓子をウチから届けさせた事はあるけれど、新鮮なパピヨンとはまた別物だしね」
「嬢ちゃん、今回の件で、なんか痛々しいくらいに痩せちまったしさ。栄養あるものでも食べさせて、ヴィネリンスに着く前に少しでも元に戻した方がいい気が俺はするんだよ」
「確かにかなり痩せてしまわれたな」
減量運動担当だったラードルフが心配そうに言った。
「少し肉を付けてもらった方がいいだろうな。陛下に要らぬ詮索をされるのも面倒臭い。寄るか」
ディルクの言葉に、ヴィルフリートが頷く。
「私もいいと思うよ。寄ろう。それに早く帰城したところで、まだ城内は殺伐としているだろうしね。疲れているのに後処理に駆り出されるのも煩わしい」
「ありがとう。嬢ちゃんはさ、ヴィネリンスに帰ったら、もう外に出る事はほぼ許されないだろうから寄ってあげたかったんだよ」
「許されないだろうな」
「許されないだろうね。陛下は二度と目の届かない範囲に彼女を行かせる事はないだろうし。ああ、だったらこの際、他の場所にも寄ってもいいね」
「他の場所?」
何を言い出したんだといった感じで返すディルクに、ヴィルフリートが胡散臭い微笑みを見せた。
「ディルクの故郷」
「は? 何にもないド田舎だよ、俺の生まれた村は」
「行ってみたかったんだよね。珍味もあるらしいし」
「あれはそんなに美味いものじゃないし、あんな小さな田舎の村に、この大所帯の軍が立ち寄ってみろ! 迷惑でしかないし、村人が混乱すること確実だ!」
そもそも村に軍が入りきらない、と否定の言葉を並べ立てるディルクに、ヴィルフリートは引く様子を見せない。
他の者らは成り行きを黙って見守っていた。
どちらでも良かったからだ。
「珍獣様は寄りたいと言うだろうね」
「……聞けば言うと思うよ、俺も。だけどな、」
「君の師匠で上司の死神も言うんじゃないの? 寄りたいって」
「…………」
「珍味、好きなんだろう? 久しぶりにディルクの村の珍味を味わいたいと言うのではないの? ディルクは総団長の地位を確かに約束されているけれど、今現在の総団長はヘロルド・ブロンザルト、彼だしね。総団長が寄りたいと言ったら、我々は従わないとね?」
「……ヴィルフリートッ」
「まあ、それにね、彼女には帰城する途中で色々と見せてあげたいと思う気持ちはあるんだよ、私も」
ヴィルフリートの言葉を黙って聞いていたベルントが会話を繋いだ。
「彼女は異世界への帰還の道を断たれ、あの城の囚われ人になるからな」
「大陸一の贅沢な、か」
そうフェリクスがポツリと呟き、アドルファス・エインズワースがヴィルフリートに視線を向けた。
「ガルダトイア神王国が滅んだ今、それを成したトリエス王国は帝国を名乗る事になるのでしょう?」
「そうなるでしょうね。名乗らざるを得ないというのが本当のところですが」
「嬢ちゃんが皇妃か。陛下が皇帝というのは違和感が全く無いんだがな」
「お二人は大陸一の最強夫婦になるでしょうね」
焚火に視線を戻してアドルファス・エインズワースがそう言うと、ヴィルフリートもパチリパチリと音を立てて燃える炎を碧い瞳に映して小さく笑った。
「そうですね」
ディルクが口を開く。
「向かうところ敵無しだろうな」
「大陸の悪魔と神獣の乙女か。怖い夫婦だ」
ラードルフの言葉にホルガーが応えた。
「それはもう最凶夫婦だろうよ」
ドッと場に居る全員が爆笑する。
「最強夫婦であり、最凶夫婦か」
「違いない」
フェリクスが言い、ベルントが肯定する。
ヴィルフリートが手にしている濁るお茶を澄んだ夜空に掲げた。
それに合わせ、各々が手にしているものを天へと掲げる。
ヴィルフリートが音頭をとった。
「大陸一の最凶夫婦に乾杯!」
「乾杯!」
全員が一斉に声を上げる。
こうして、大陸一の最古の歴史と格を誇っていたガルダトイア神王国と、同大陸では新興であり格下とされていたトリエス王国との戦いが終わったのだった。
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【 陛下と私 ~小話~ 】の方に、【 長い題名の本についての彼の感想 】を投稿しました!
https://kakuyomu.jp/works/16816700428873231227/episodes/16816927861730650374
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