第149話




『―――誰?』

『トリエス王国軍第十三騎士団団長ディルク・ブラントと申します。クラウディウス殿下』


 ディルクがガルダトイア王城内の神獣の乙女に与えられていた部屋に入室すると、夜の闇の中に不可思議に浮かぶ幾つかの淡い光の中に、ガルダトイア神王国王太子クラウディウスは居た。

 クラウディウスは等間隔に幾本も並び立つ柱の側の長椅子に無気力な様子で座っており、ガルダトイアに古来より伝わる民族楽器が其の傍らに落ちている。

 ディルクはクラウディウスに近づく為にゆっくりと広い室内を歩いた。

 置かれている彼女が使用したであろう寝台の辺りで一旦足を止め、何とは無しに其れを見ると、時間が経ち変色した血痕がそのままの状態で残されていた。

 手に持っていた頑強な黒い箱をディルクは寝台の上に置く。

 クラウディウスは暗雲立ち込める夜空を見続け、侵入者であるディルクを気にする様子は無かった。


『トリエス軍の欠番とされる第十三騎士団。存在を隠された親衛隊であり、諜報であり、精鋭の暗殺集団。王の青薔薇、か』

『ご存じで?』

『まあね』


 クラウディウスが視線を向け続ける暗雲から紫の雷が落ちた。もう何度も落ちてはいたが、今の落雷は王都の東方だ。

 把握している軍の施設の一つがある辺りだとディルクは思い当たるも、何故、現在のような事象が起こっているのかという情報までは得られていなかった。

 だが、神獣と神獣の乙女である彼女に関係しているのだろうとは当然の事だが予測がついている。


『第十三騎士団の団員全ては王の青薔薇ですが、他の団にも兼務者はいまして、色々と手広く何でも屋に近い組織とも言えますね。……まあ今更の、余計な情報ではあると思いますが』

『そうだね』


 再び紫の雷が落ちた。今度は西方だ。やはり軍事関連施設がある場所で、落雷によって発生した火災が延焼して王都全体に広がるのが見て取れる。

 クラウディウスはただそれを眺め続け、ディルクはそんなクラウディウスの姿に視線を向け続けた。


『君は死神の後継?』

『いえ』

『第十三の騎士団長なのに?』

『俺は表の地位を希望し、死神の後継を辞退しました。妹がいますので。時期がきましたら総団長の地位に就く事を約束されています。死神の後継は第十三の副団長に。ヴィネリンスの青薔薇庭園の庭師も兼ねる少々変わった男です』

『王位、死神、優秀な配下、そして神獣に神獣の乙女。……全てが揃う、全てが与えられる、世界の悲鳴であり希望か』


 視界に入る王都の炎が一層激しさを増した。

 その炎の一部が王城の端にも燃え移る。

 それを視界の隅に入れたディルクは、命じられている別件が頭を過ぎり、あまり時間が取れない事を把握する。


『私はね、彼女といちから関係を始めてみようと思ったんだよ。彼女が意識を失い、暫く目覚めなかった時にね。出会って、たくさん会話を交わして、互いを知り合って。意識し、想いが膨らんで、好意を持ち、互いに愛し合う。そういった事をね、順を追ってやっていこうと思ったんだ。彼女を大切にしたかったからね』

『…………』

『だから結局、彼女に何の説明もしなかった。私が夫である事も、彼女が妻である事も、神獣の乙女という存在である事も、セイメイの血筋である事も、神獣の存在も、私が継承者である事も。ほぼ全て教えていない。今となっては、トリエス王にとても都合の良い状況だよ』

『……そうですね』

『父上、神王陛下には箱庭だと言われた。まあ、そうだと思ったよ。箱庭だ。私個人としては彼女と何処かで二人、花でも摘んで、作った料理を一緒に食べて、笑い合い、ただ無条件に愛おしく思える家庭というものを彼女と作ってみたかった。それが望みだったのだけれどね。平凡と思われてもいい、そのような幸せ、それだけで良かった』

『それが到底望めない御立場であった事を貴方こそが御理解されていたでしょう。それこそが贅沢な望みであったと』

『うん。そうだね』

『……貴方は足掻かれないのですか? ガルダトイアが滅ぼうとしているのです。神力というものをお持ちだと伺っています。それを駆使し、我々トリエスをどうにかなさろうとは思わないのですか』


 クラウディウスが紫の稲妻が走る暗雲を眺めるのを止めた。寝台の方を向き、血を連想させる瞳に立ち続けるディルクを映す。

 自嘲の色の濃い薄笑いをクラウディウスは浮かべた。


『きっと其処が私とトリエス王との違いなのだろうね。とても大きく決定的な違いだ。でもね、私は神獣という存在がどういうものであるのか、継承者として誰よりも知っているんだよ。足掻ける事は知らないからとも言えるとは思わないかな。知っていれば、神獣が去るという事がどういう事であるのか。トリエス側に神獣が付く事がどういう事であるのか。知っているからこそ、分かっているからこそ足掻けない。何をしても無駄だと理解しているからね』

『……ひとつ貴方にお聞きしたい事があります』

『うん、何かな』

『貴方は神獣の乙女であり異世界人である彼女を、おやりになろうと思えば元の世界に帰す事が出来ますか?』

『出来るよ。やろうと思えばね。フェリシアではない彼女の本当の名を私は知っているから』


 その言葉を聞き、ディルクが僅かに表情を崩した。

 それを視界に収めたクラウディウスが、少しの溜飲が下がったといった様子で嗤う。


『いいね。そういう表情が見たかった。出来ればトリエス王でだけれど。―――で? 帰したいの?』

『いえ。貴方の他に出来る者は?』

『さあ? 何をやるにしても継承者でないとね。継承の印の有無が重要なんだよ。私が死んで、直ぐに誰か他の者が継承者になれば可能かな。その辺りは神獣に聞くしかないね』

『アレと言葉が通じるのですか?』

『言葉が通じるというのとは少し違うと思うけれど、会話は出来るよ。それが継承者であるという事かな』


 暗雲から雨がポツリポツリと降り出してきた。

 それに気づき、クラウディウスとディルクが外へと目を向けると、瞬く間に雨脚が激しさを増して豪雨となる。

 ほんの少しの間無言となり二人で眺めていたが、先に沈黙を破ったのはクラウディウスだった。


『―――で、どうするの? 私を見逃しはしないのだろう?』

『はい。数ある抹殺対象を仕損じる事はそもそも許されておりませんが、その中でもクラウディウス殿下、貴方は絶対です』

『だろうね』

『何か言い残されたい事はございますか?』

『誰に?』

『……神獣の乙女に』

『伝えてくれるの?』

『時期を見てですが』


 クラウディウスが再びディルクの方へと向いた。


『では伝えて。彼女に幸せになってと。そしてトリエス王には、大陸の悪魔という二つ名に相応しい呪いを―――』

『何を?!』


 ディルクの見ている前で、突然、クラウディウスの全身が発光し出した。

 止める間も無くクラウディウスは何かを呟き、指で何かを描いて其れを外へ向かって放つ。

 何が起こったのかはディルクには分からない。何かを感じられた訳でもない。

 けれど僅かの間があり、クラウディウスが銀の美しい髪を乱しながら座っていた長椅子に脱力したように凭れた。

 つうと口端から赤いものが流れ落ちる。

 ディルクが眉を顰めた。


『…………どうされたのです』

『ああ、駄目だね。やはり神獣に弾き返された』

『何故、貴方が突然吐血されたのか理由をお聞きしても?』

『何かに呪いを掛けるには其れなりの代償が必要でね。そして其れを弾き返されれば、致命的な生命の喪失を。人を呪うという事はそういう事だから』

『…………』

『でなければ疾うの昔に呪っていたよ、トリエス王を。ガルダトイアという国にとっては目障りで、そして今は、何より私のものである彼女の周囲に付き纏い続けた忌々しい存在だったのだから』


 クスクスといった様子でクラウディウスは嗤う。

 嗤い動く度に口端からの血が流れ落ちていった。

 呼吸も大きく乱れ始める。


『……随分と苦しそうですね』

『そうだね、とても苦しいよ』

『……分かりました』


 息の荒いクラウディウスから、ディルクは一旦視線を外した。

 そして先程、変色した血痕が残る寝台に置いた頑強な黒い箱に手を伸ばして開ける。

 目を僅かに細めながら眺めて、ディルクは中に納められていた物を取り出した。


『それは?』

『銃という物だそうです。まだ試作品に過ぎないので、耐久性的に確実に安全に打てるのは一度だけという代物で、正直、実戦にはまだまだ不向きですね。我が国の細工師らが此れでも頑張ったようなのですが、齎された図面がかなり不完全だったようです。ですが、概念が知れただけでも研究材料が出来て嬉しそうでした』


 クラウディウスの血の瞳がディルクの手元を映した。

 ディルクは其れを感じながら、教えられ、練習した通りに銃弾を装填する。

 カチリカチリと音を立てながら準備を終えたディルクは、呼吸の荒いクラウディウスに向けて静かに構えた。


『俺は貴方を苦しめたい訳ではありません。一発で仕留めます』

『……そう』

『正直なところ俺としては申し上げたくないんですが、我が主であるトリエス国王マティアス陛下より、ガルダトイア神王国王太子クラウディウス殿下への言葉をお伝えします』

『うん、なに』

『お前がこの世界に呼び寄せた娘によって齎されたもので死ね、と。今、俺が手に持っている物が異世界の武器になります』

『彼は残酷だね、やはり』 

『ええ、其処は俺も否定しません』

『いいよ、いつでも』

『彼女に他に伝えたい事は?』

『……君を私の手で幸せに出来なかった事だけが残念だ。私の死が君に伝わったとしても、どうか何も思わず感じずに君は幸せになるのだよ。私は君を巻き込んだ事を謝らないのだから、と彼女に伝えた方が良いと君が判断した時に伝えて』

『承知致しました。時が来ましたらマティアス陛下に知られる事のないように必ず』

『ありがとう』

『いきます』

『うん―――っ』


 クラウディウスが斃れた。

 銃声の後、血のような瞳にあった生の光が瞬く間に消える。

 ディルクは其れを見届けると小さく息を吐いた。

 銃を箱に戻してクラウディウスのもとへと近づき、開いたまま逝った彼の瞼を静かに閉じる。

 終えた時、神獣の乙女に与えられていた部屋に新たな人物が入室した。


「―――終わったか?」

「ああ、終わった。そっちは?」


 息をする事のないクラウディウスの傍らに立つディルクは、声のした方へと振り向いた。

 声の主は第十三騎士団副団長のベルント・ツァイラーで、彼は一冊の古めかしい書物を手にしながら此方へと近づいてくる。

 ベルントは特に何も思う事は無いといった表情で、銃弾で命を奪われたクラウディウスを視界に収めていた。


「陛下ご指示の書物が収められている場所は見つけられた。が、王城に火の手が勢いよく回っているからな。運び出すのを急がせている」

「そうか。そっちは任せた」

「ああ」

「紫の雷について何か情報は?」

「いや、此方には何も。それより、ディルク」

「なに」

「たまたま手に取った書物に気になる絵が描かれてあってな」


 古い書物であるからだろう、ベルントが丁寧な手付きで書物の頁を繰っていくのに、ディルクは其の手元に視線を落とした。

 ペラリペラリと捲られ、該当の頁になった時、ベルントは一つの絵をディルクに指し示す。


「この書物によると、この印が継承者の胸の位置にあるらしい。……一部が珍獣様に頂いたマガタマに形が似ていると思わないか?」

「……見てみるか」


 ディルクは深く息を吐き、再びクラウディウスの方を向いた。

 腰を屈め、永遠の眠りに就いたクラウディウスの衣服に手を掛ける。

 一度だけ瞑目して、丁重な手付きで死したクラウディウスの胸元をディルクは開いた。


「書物に描かれているものと同じものがあるな」

「ああ。この印は一度見た事があるよ、俺は」


 言いながら、ディルクが疲れたように眉間を揉んだ。


「何処で?」

「地下の小部屋の扉の模様だ。神獣の居た、な。珍獣様が現れて直ぐ。陛下と珍獣様が正体不明の地下通路に落ちた時だ」

「あれか」

「全ては最初から繋がっていたんだ」

「……そうだな」


 ディルクが開いたクラウディウスの衣服を元に戻した。

 それを見ながらベルントは書物をそっと閉じる。

 作業を終えて姿勢を起こしたディルクとベルントは、ほんの少しの間沈黙したが、会話を再開させたのはディルクだった。


「そういえばオッサンは?」

「……この王城でここぞとばかりに暴れたらしいとの報告は受けた」

「オッサン、刃物を持つと人格の方向性が真逆に振り切れるからなぁ。まあ、回収は宜しく、死神の後継」


 ディルクの言葉に、ベルントは眉間に皺を寄せて深い深い溜息をついた。


「…………分かった」


 そう言葉を残して、ベルントが部屋から去った。

 まずは火の手が上がる王城から書物を運び出すのに力を入れるのだろう。

 死神の回収などその後で十分で、むしろ放っておいても、そのうち勝手にヴィネリンスに帰ってくるのだ。

 ただ珍味好きである為に、放置すると寄り道をして帰還が相当遅れるだけの話である。

 しかしその珍味好きの寄り道で、五歳のディルクが拾われた経緯もあったりするのだから侮れない。

 ディルクが外へと視線を向けた。

 神代から続くと言われた王都は酷く炎上していて、暗雲から降り続く雨は止む気配を少しも見せない。

 ベルントが今動いている、神獣、神力、神術、継承者、神獣の乙女に関する書物は、陛下の指示の下、ほぼ全てがヴィネリンスの禁書室に保管される事が決まっていた。

 少なくとも陛下の在位の間は誰の目にも触れる事は無いだろう。いや、全てに目を通した後、後世に要らぬものを残さぬよう陛下は焼き払うに違いない。

 今日この時を以て神の力を持つガルダトイア王族の血脈は絶たれた。トリエス側が把握していた傍系や落胤まで全てを始末するという徹底ぶりでだ。

 継承者であるクラウディウスは異世界人の彼女を元の世界に帰せると言った。

 そのクラウディウスを筆頭に血脈の断絶を命じたのは陛下だ。

 可能性に気づいたから命じた。だからこそ命じたのだ。決して譲れないものだから。彼女を望んだが故に。


「珍獣様、もうこれで貴女は元の世界に帰れなくなりましたよ。貴女を庇護しているはずの陛下の手によって、永遠に」


 降りしきる豪雨は益々激しさを増し、其れはまるで天上の神々が、神獣という存在が、愛する血脈の喪失に酷く嘆いているかのようだった。



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